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 俺たちがすれ違って行ったのは、多分この些細な言い合いからだ。

 それからは、最低限バディとしてのコミュニケーションを取るだけの関係になった。昼食も別にとり、極力会話せず、そして業務が終わると無言で帰宅した。

 それまでは別に用もないのに、退勤後に署の休憩室で話をしたり、道草くって帰ったり、休みの日は美味しいものを探して歩いたりしたのに。

 ある時、俺は夜中のお役目の仕事中に大怪我をした。死に物狂いで反撃されて、いくら自分が強くても、必死な奴は時々すごく強くなってしまうから。

 俺は肋骨を数本骨折し、それが肺に刺さってしばらく行動不能に陥った。しかしそれでも、お役目はやり遂げた。

 どこかの廃工場だった。シーンと静まり返るがらんとした建屋内で、俺は蹲って回復するのを待つ。しかし人間の血を飲んでいない俺にとって、この怪我は治るまでにかなりの時間が必要なのはわかっていた。

 やっと動けるようになったのは、朝日が工場内に弱々しく差し込んでからだった。

 フラフラと立ち上がり、ヨロケながら歩いて帰宅する。血で汚れた衣服を着替えて、いつも通りに署へと向かった。

 A班とB班が共同で使用している事務室兼待機室へ入るなり、俺は壁際のソファに座り込んだ。いつもそうしているように、ソファの上で丸くなって目を閉じる。

「ルナ!おい、起きろ!」

 はっと目を開けると、目の前に総司がいた。

「ちょっとした事件の聞き込みに行くぞ」
「……わかった」

 俺は立ち上がって、総司の後を追おうとした。が、血が足りない俺はフラついて、無様に倒れてしまった。その際に胸を打ちつけてしまって、呼吸ができないほど激痛が走った。

「ぅ……ゲボッ」

 ボタボタと口から血が滴って、目の前がクラクラした。

「な、なんだよ?どうした?」
「別に……なんでもない」

 それでも俺は立ち上がろうとした。自分の役目と、署の仕事は関係ない。総司に迷惑をかけるわけにはいかない。

 でも総司は言った。

「お前、そんなんでおれの足引っ張る気かよ。怪我してんなら無理して来なくていい。迷惑だと思わなかったのか?」

 何も言い返せない。そりゃそうだ。こんな状態で、迷惑をかけるだろうことはわかっていたはずだ。

 だけど、まるで突き放すような言葉に、俺はしっかりと傷付いた。

「うるさい……こんな怪我、血さえ飲めば平気だったんだ」
「はあ?」

 多分そこで、室内にいた数人の捜査員が俺を見た。ついに暴走するんじゃないか、なんて、そんな顔をして。

「バカバカしい。耐えて来たのに……俺はなんで、こんなことやってんだろうな……」

 そこからの記憶はない。気が付いたらいつもの病院兼研究所の、白くて狭い隔離部屋にいた。怪我は大方治っていたから、かなりの間ここにいたことはわかった。

 隔離部屋ということは、血が欲しくて暴れたのだろうか。思い出せないのは何か、眠らせる薬でも使われたのだろう。

 その後少しの検査を受けて帰宅の許可を得た。実に10日ぶりに外に出た。

 夕焼けの綺麗な日で、俺はとぼとぼと自宅を目指して歩いていた。そしてまた、嫌なものを見た。

 ああ、総司の匂いがする、と顔を上げれば、商店街の通りにやっぱり総司がいた。加代と子どもと3人で。笑顔で。

 総司が言うように、やっぱり俺には孤独があってるんだ。そう改めて思った。

 俺に思い出をたくさん作って、キスまでして放り出して、勝手に帰ってくるなり、バディになれと言って、俺はそのために生きる糧を捨てたのに、総司は俺の知らないところで勝手に幸せになった。

 こんな思いをするくらいなら、ずっとお役目だけやって、孤独に生きて勝手に死ぬ方が楽だったのに。

 あの教会で、総司なんて相手にせずすぐに去ればよかったのに……

 悲しくて泣いたことはなかった。俺にはそんか感情要らなかったから。でもこの時、初めて悲しくて涙が出た。

 その後、しばらくたったある日、総司と俺は通報を受けて現場へ向かった。

 近所で怒鳴り合う声がする。人狼でも暴れてるんじゃないか。そんな通報だったから、機動班でたまたま手が空いていた俺と総司が現場に向かった。

 普通の二階建てコーポで、確かに言い争う声が外まで漏れ聞こえていた。野次馬が何人か集まっている中へ、俺と総司は機動班ですといいながら踏み込んだ。

 声が聞こえているのは2階の角の部屋だった。

 総司と一瞬視線を合わせて、俺はその部屋のドアをぶち破った。俺が先に侵入した方が、もし待ち伏せされていても対処しやすい。

 その時も同じようにして部屋へ踏み込んで、その畳敷の一間を見た。男がひとり倒れている。そして、もうひとり、男が窓枠に足をかけて、今にも逃げ出そうとしていた。

「おい!」

 総司が叫び、男は一瞬ビクッとしてから、躊躇いもなく2階から飛び降りた。そして、パタパタと逃げていく足音がした。

「チッ、ルナ、お前が追え。その方が早い」
「わかった」

 いつもそうしているように、俺が犯人を追って、総司は怪我人や被害者のケアに務める。人間と人外のバディなのだから、当然そういう役割分担になる。

 俺は走って逃げ出した男を追い、特に手こずることもなくそいつを捕まえた。両腕を背中にまとめて押し倒し、手錠をかけようとした。しかし、そいつは言ったんだ。

「や、やめてくれ!オレはなんもしてねぇ!突然叫びながら男が侵入してきて、驚いて蹴り飛ばして逃げただけだ!」
「は?じゃあ、アンタがあの部屋の住人なわけ?」
「そ、そうだよ!」

 嫌な予感がした。

 だから俺は、そいつに手錠をかけると腹を殴って意識を刈り取り、それから急いでコーポへ戻った。

 でもその時には気付いていた。

 総司の血の匂いがしていたから。

 慌てて2階の窓から侵入した。

 男がゲラゲラ笑いながら、総司の体を包丁で滅多刺しにしていた。

「総司……」

 もう、これはダメだろう。経験のある俺には、そして耳の良い俺には、もう助からないだろうとわかった。

 弱々しい鼓動と呼吸の音。今にも消えてしまいそうだった。

 俺はその血に染まる包丁を持った男を、とりあえず蹴り飛ばした。総司から離そうと思って。それから、多分思いっきり殴り飛ばした。そいつは白目を剥いて倒れた。まだ息はあった。

 それから俺は総司に近付いて行って、すぐ側で膝をついた。

「総司……ごめん、俺が残っておけばよかったな。そうすればお前は生きていた。俺は、何があっても死なないから」

 そんなような、どうでも良いことを呟いた。

 総司はゴフッと一度血を吐き出して、今にも消えてしまいそうな声を出した。

「ルナ、ごめんな……あんな言い方、して、悪かった……」
「はあ?何の話だ?」
「ほら、ちょっと前にさ……お前を、迷惑だなんて思ったこと、ないからな……」

 俺にはちゃんとわかった。俺が怪我して倒れた時のことを言っているんだと。

「あとさ……あの日さ、キスして悪かった……」
「何だよ、今更……」

 何年前の話をしてんだよと、俺は呆れた。それから、自分が泣いているのがわかった。零れた涙が、総司の頬に流れて行ったから。

 それからはあまり覚えていないけど、様子を見に来たコーポの住人が改めて通報し、救急隊も駆けつけた。そして総司は病院へと運ばれて行った。

 驚いたことに、俺はもうダメだと思っていたけれど、総司は集中治療室に運ばれて、まだ生きていた。たくさんの医療機器に囲まれて、静かに目を閉じていた。

 俺はそれを部屋の隅から見ていて、加代が顔をぐちゃぐちゃにして泣いているのを、他人事のように眺めた。

「ルナさん、総司君、最後になんか言ってた?私とか、子どものこと……」

 全く関係のない、俺たちにしかわからない会話をしたことなんて言えるわけがなかった。

 それから2日後、総司は死んでしまった。

 俺は通夜にも葬式にも行かなかった。変わってしまったものに、触れたくなかったから。

 でもその後、総司の荷物を引き取りに来た加代と出会してしまった。

「あのね、総司君を殺した奴、精神疾患がどうとかで、責任能力がないって、減刑されたの、知ってる?」
「ああ、まあ……」

 この事件はまさに加代が言った通りの経過を辿った。

 総司は署内でも人柄が良くて明るくて、誰にでも公平だけどちゃんと上下関係を大切にする人物だっから、先輩も後輩もみんに慕われていた。

 だからこの判決に、俺たち誰もが憤りと悔しさを感じていた。

「どうして人を殺しておいて、そいつは生きてるのかな?罪を犯したらその罪と同じだけの罰を受けるべきなんじゃないの?…総司君からね、ルナさんのこと聞いてたの。罪を犯したら吸血鬼を殺すのが役目なんでしょ?だったら、総司君を殺した奴も殺してよ……」

 なんて言うべきだ?俺だって同じだ。総司を奪ったあいつを、あの時殺せばよかったと思ってもいた。

「なんで総司君だったの…?なんで、あなたじゃなかったの?あなたは死なないのに……」

 その言葉で、俺は決めた。確かに、俺が変わりにそこにいれば、総司は死ななかったのだから。

 加代は涙も枯れ果てたと言わんばかりに、消えそうな姿で帰って行った。

 そして俺は、総司を殺した奴を、殺してやった。お役目のための剣で首を刎ねた。

 署の誰もが多分わかっていて黙っていた。俺がベルセリウス家の第三子で、お役目の長剣を持っていることを知っている奴もいたから。

 拘留中の精神疾患を持つ殺人犯が、何者かに殺されたというニュースが流れることも無く、その事件のファイルごと署内で隠蔽されてしまった。

 この時から、俺は同じように誰かを殺した誰かを殺して来た。

 その報いが、今俺に降りかかって来たのかもしれない。
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