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 それは多分、1秒くらいの時間だった。

 灯が俺の方へと走った。

 でも俺は、そんなのよりヴラドレンを殺したかった。

 だけど、先にヴラドレンが銃を撃って、それが灯の背中に命中したのを見た。

 それまで、俺は自分が何をしてるのか、何を言ってるのか、ほとんど理解してなかった。

 カイリに片目を潰されて、もうひとりのハーフの奴に腕を潰されて、それから腹を捌かれて、もう、俺のどこかの何かが焼き切れてしまっていた。

 腹が痛い。血を流しすぎて、意識が曖昧だ。あげくに肺を撃たれて呼吸が苦しい。

 でも、灯が必死に走ってくるのは見えた。

 ああ、俺の大好きな人。沢山謝りたいことがある。ありがとうを言いたい。それよりも、何より抱きしめて、その温かさを感じたかった。

 銃声が響いた。

 目の前で、灯が血を吐いてつんのめった。俺はその体を抱き抱えると同時に、手に持っていたナイフを投げた。

 それはまっすぐ飛んで、ヴラドレンの胸に刺さった。

 ちょうどそこに、ルイスが駆け込んできて、何か喚いた。いつものことだから、何を言っているのかはわからない。

「ル、ナ……」

 俺はハッとして腕の中の熱の塊を見た。灯は、苦しげに口から血を吹き出して、でも俺を真っ直ぐ見ていた。

「ごめ、ん……助けて、やれなかった……」

 俺はなんて言っていいのかわからなかった。

 だって、変化していくものを遠ざけて来たから。変わっていくのが怖くて、避けていたから。

 お気に入りの喫茶店もそうだ。

 雨宮を亡くした上野にもそうだ。

 総司の奥さんと子どももそうだ。俺はもっと、彼女らのためにできることがあった。

 でも触れなかった。

 俺は、亡くすのが怖かったから。そして残ったものに触れるのも怖かったから。だって俺は変わらないから。この先も、何事もなかったみたいに過ぎていくから。

 灯もここで亡くしてしまうのなら、俺は今すぐ、ここから逃げてしまいたかった。

「ルナリア……遅くなってすまない」

 そう言って、ルイスが俺に自分のジャケットをかけてくれた。

「ル、ルイス…?灯、死んじゃう?」
「わからん。もうすぐ救急隊が来る。お前は、何か声でもかけてやれ」
「なんて、なんて言えばいいの?」
「そんなの僕が知るわけないだろう。お前と秋原灯の時間を、僕は知らないのだから」

 俺は必死に考えた。でも出て来たのはこんな言葉だ。

「灯、あのね、灯が死んだら、俺もすぐに後を追うよ」
「フッ……おれが死ぬ前提か……」
「ごめん。違うんだ。あの、灯のさ、ねちっこいキス好きだよ。それと、俺がやめてって言ってもやめない、しつこいとこも好きだよ」
「お前……おれを、笑わせようとしてるのか…?」
「そうじゃなくてっ!あの、だから、灯……お願い、俺をひとりにしないで」

 俺は無様に泣いた。

 ふっと光が消えてしまった灯の瞳を見つめて、その胸に顔を埋めて、バカみたいに泣きじゃくった。

 救急隊が来たことにも気付かなかった。灯を離したくなくて暴れる俺を、ルイスが必死に止めた。

 そして俺はわかっていたけど止められなくて、ルイスに八つ当たりして、でも、もともと血を流し過ぎていたから、呆気なく意識を狩られて、もう、何もわからなくなってしまった。

 それからどれくらい経ったのかわからなかったけれど、俺はまた真っ白で薬品くさい隔離部屋で目を覚ました。

「ルナリア?わかるか、ルイスだ。お前の優しい兄だ」
「ん、兄上…?」

 意識が戻ったからと言って、全てをすぐに把握できるわけではない。

「あ、れ?俺、ジークに脅されて、それで……」
「ルナリア、それは少し前の話だ。お前は、一度機動班に戻った。それから、しばし復讐に明け暮れ、結局秋原灯と一緒に、事件の主犯である男に捕まった。で、お前はボロボロで、秋原灯は、」

 そこでやっと思い出した。

「兄上!!灯は、灯はどうなったのですか!?」

 渋い顔をしたルイスに、俺はまた気が遠くなりそうだった。

「それはまた、おいおい話そう。それよりもお前はもう平気か?」

 そう言われて、俺は自分の違和感に気付いた。

 右目が真っ暗で、右腕はガチガチに固定されている。

「別に、特に不自由はないですが……」
「そんなわけないだろう。お前、腹を掻っ捌かれて、目を抉られて腕を折られて、いくら我々吸血鬼でもさすがに耐え難いだろうが」

 そんなことを言われても、俺は本当に何も感じなかった。

「兄上、俺のお役目をお忘れですか?」

 ルイスは顔を歪めて俺を見た。きっと、そんな兄には絶対にわからないだろうと俺は思った。

「俺も別に、最初から全てうまくやっていたわけではありません。最初の頃は……お恥ずかしい話ですが、反撃にあって瀕死の重傷を負うこともありました。それを思うと、別に大したことはありません」

 それが、俺のお役目を負った運命でもあった。

 彼らは必死だった。罪から、死から逃れようと必死で抵抗した。

 俺も必死だった。

 これが俺の運命だからと、必死で、時には反撃にあって、数日動けないことも頻繁にあったのだ。

「すまない。僕らはお前の境遇を、どこか他人事のように思っていたのだな」
「別に兄上がそんな顔をする必要はありません。これは俺の運命ですから」

 そう答えて、俺は改めて尋ねた。

「灯は、どこにいますか?」

 ルイスは苦い顔をして、でも、俺の手を引いて隔離部屋を出た。

「秋原灯は生きている。ただ、まだ目を覚ましてはいない」

 それでも俺はホッとした。生きているのなら、死んでいるよりもいい。

 ルイスは俺の手を引いたまま、院内をスタスタと歩いた。俺も良く知っている院内を、時々他の人外とすれ違いながら、そして集中治療室と書かれた場所へと連れて行ってくれた。

「秋原灯はな、肺を撃たれていて一時失血で心停止した。だが今は持ち直して、とりあえず命は取り留めている……しかしいつ急変してもおかしくはない、と内川は言っていた」

 俺は足元がグラグラと揺れて、奈落の底へと突き落とされるような気分だった。

「ルナリア!おい、お前が倒れてどうするんだ?秋原灯はお前の声を待っているんだぞ!!」

 そこで俺はハッとして目を開けた。

 頽れた俺をルイスが支え、駆けつけた看護師が心配気な顔をして俺を見ていた。

「だ、大丈夫です……すみません、ご心配をおかけして……」
「ルナリア、こんな時くらい僕に気を使うな。お前は僕の弟だ。お役目など関係ない。僕らはそう思ってお前と接しようとしてきたが、うまく行っていないのもわかっていた。すまない。でも僕は、これでもお前の兄なんだ」

 俺はその時、ルイスの寂し気な顔を初めて見た。俺が全て遠ざけていたんだとわかっている。でも、この時ほど家族というものを実感したこともなかった。

 無条件で甘えてもいいのだと、俺はそれを理解していても知らないふりをして来た。どうせ誰も本当の俺なんかどうでもいいんだと思って来たから。

 だけどもう、誰かに縋っていないと耐えられなかった。

「ルイス……俺、灯が死んじゃったらどうしたらいいのっ…?耐えられないよ……ルイス、あのね、俺、本当に灯が大好きなんだっ!俺の所為で、好きな人が死んじゃうの…?そんな、俺……」

 機械音だけが響く集中治療室で、俺は声を上げて泣いた。ルイスの腕を抱きしめて、その胸に顔を押し付けて、無様に泣き喚いた。

「大丈夫だ、ルナリア。お前は僕らより強いな。ひとりで全て抱えて来たのだろう?僕らは知っていた。深山総司とのことも、その後に出会った人間とのことも、知っていたのに手を差し伸べてやらなかった。お前はその方がいいのだと勝手に思っていたからだ。でも違うのだな。お前はこうして、僕らに感情を見せてくれることもあるのだな」

 そしてルイスは、俺の手を引いて立ち上がった。

「お前の兄として、この命に変えても秋原灯を救いたいと、本気で思っている。だけど、それはできないから、僕はお前の背中を支えてやる。そんなことしかできなくて、本当に申し訳ないんだ」

 俺はルイスに手を引かれるままに、灯のところへ向かった。

 灯は、たくさんの機械に繋がれて、弱々しい鼓動を刻んでいた。

 俺には聞こえているんだ。鼓動も、呼吸も。

 それが健康な人間よりずっと弱いことも。

「灯っ、ごめんね!俺の、俺が弱かったから……もっと、違う方法で俺が上手くできていたら、灯はこんなことにならなかったのに……」

 灯の白い掛け布団に突っ伏して、俺はまた無様に泣き喚いた。

 ルイスはそんな俺の背を、ずっと優しく撫でてくれていた。
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