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しおりを挟む「あははっ……はぁ。なぁ、俺のお腹の中、どうなってるのか知ってる?ふ、アハハッ!!」
突然、この荒んだ空間に似合わない笑い声が響いた。
おれは背後のヴラドレンの圧力を感じて、静かに床に座り込んでいた。
この何日かで、おれとルナが置かれた状況が、いかに危険かを思い知っていたから。
おれがなにもしなくても、ルナは一方的に蹂躙されて傷付いてしまう。だったらおれは、ただルナのために血を与える以外にどうしようもなかった。
おれが死んだら、ルナがどうなるのか、そんなことを考えるのも嫌だった。
そしてこの日、ヴラドレンが早々にルナを解放して、カイリたちに場所を譲った。それはこの日が初めてのことだった。
カイリやもうひとりのハーフのやつの言い分は、かなしいかなおれにも理解できる。
おれにとってルナはかけがえのない存在だが、彼らにもそんな存在がいて、理不尽に奪われてしまった。その状況を考えると、おれだって復讐したいと考える。現に自分は、そんな不毛な復讐心もあってこの魔界都市へともどり、機動班に所属することにしたのだから。
でも、じゃあ産まれた時から、役割を背負わされてきたルナに全ての責任があるのかと言われると、おれはそれもまた違うと思う。
結局、卵が先か鶏が先かという話になってしまうのだ。
だったらどうすべきか、そんなことおれにもわからない。
ただおれが今考えているのは、自分の大切な人を守りたいと、それだけだった。
「ほら、もっとさ、力を込めて中まで抉らないと、俺の中身は引き出せないよ?アハハッ!!」
まぎれもないルナの声だった。でもそこには狂気が滲んでいる。カイリは、突然のルナの豹変に驚いて、手にしたナイフを落とした。
それを掴んだルナは、あろうことか自分の腹に突き立てた。
「はぁ……ね、これくらい深く刺さないとさ、俺はね、死なないんだから……ああ、お前も簡単には死なないよな?」
そう、呟くように言って、ルナはなんの躊躇いもなくカイリの腹にナイフを突き刺した。
「ゴフッ、ぅ、な、なんで…?」
「なんで?じゃあ俺も聞くけど、先に罪を犯してリストに載ったのはお前の親だ。子どもが可愛いならそんなことしなければいいのにさ。俺たち吸血鬼の共通認識だろ?知らないでは済まされないのはわかってた筈だ、そうだろ?」
ニヤッと笑ったルナは、一度引き抜いたナイフを、もう一度カイリに突き刺した。
もうひとりのハーフの奴が、慌てたようにルナを抑えつける。が、一見瀕死の重傷を負っているルナは、吸血鬼の本来の力でもって、逆にそいつを組み伏せた。
「お前もさ、俺が憎いのはわかるが……相手が悪かったな。俺と言う存在に、お前ら中途半端な奴が勝てると、本気で思ったのか?俺はベルセリウスの第三子として教育を受けてきた。その辺の吸血鬼よりも手強いのはわかるだろう?」
そう言うと、なんの躊躇いもなく、手にしたナイフでそいつの首を掻き切る。
「お前らハーフの奴がどれだけ頑丈かなんて知らないけど、生きているといいな。生きていてもさ、一生牢屋から出してやらないから!アッハハ!!」
はあ、と恍惚的な吐息を漏らし、ルナはこちらに視線を向けた。
「ヴラドレン、あんたはこいつらが邪魔だったんだろ?もう必要ないから。だから、俺に近付けた。こうして、俺が、フフ、めちゃくちゃに殺しちゃうところが見たかったんでしょ!?フフッ」
ルナは、狂ってしまったんだと思った。
おれの知っている、無邪気で可愛くて、ときどかうるさいけど愛しい、そんなルナの顔ではなかった。
おれはいつのまにか泣いていた。
もう、おれのルナはいないんだと思ったから。
でもそれも仕方がないんだと思った。
こんな仕打ちを受けて、正気でいろなんて、そんなのは無理だろうと思ったから。日に日に変わっていくルナを見ていたから。
だからおれは、ただ泣くことしかできない自分が憎かった。
「ルナ、ルナ……おれは、お前が好きだ。愛してる。でも辛いのもわかる。おれは、どんなお前も愛してる」
そんなことを呟いて、ルナの顔を見た。
涙に濡れていた。小さな顔にいっぱいの苦悩を湛えて、ルナは泣いていた。
「灯、大丈夫、すぐに助けが来るよ」
そう言って、ルナはナイフを手に立ち上がった。
おれの後ろにいるヴラドレンがクツクツとわらって、おれの腕を掴んだ。
無理矢理立たされて、まるで盾のように前に押し出される。
ルナは鋭く目を細めて、そして、渾身の力を込めて首輪に繋がる鎖を引きちぎった。壁に取り付けられていたボルトごと引きちぎったルナは、ナイフを片手に飛びかかって来た。
が、パァンと空気を裂く破裂音がして、ルナが床に膝をついた。ゲホゲホと咽せると、フローリングの床が真っ赤に染まる。ヴラドレンが発砲したようだ。
「ああ、そうか。お前、どこかに発信機でも仕込んでいたのか」
「ゲホッ……そうだよ。例えばお前が今抱えてる、灯の靴とかにさ。俺の首のは取られてしまうのはわかってたから」
おれはそのルナの言葉の意味がよくわからなかった。
あの日、おれは確かに、ルナに言われて靴の底の溝に小さな発信機を取り付けた。
でもそれは、単なる冗談みたいなものだと思っていた。
「カイリがあんたの側だってのは、まあ、ただの勘だったんだよ。でもあんなにあからさまに俺の悪評をばら撒いて、そんでもって盗み聞きもするんだもん。もう敵だと思った方が自然だよね。灯はなんも知らなかったみたいだけど」
孤児院に行ったのは、ただの聞き込みだと思っていた。しかしよくよく考えれば、直前にルナは、何かあっても俺が何とかできるから、とかそんなことを言っていた。珍しいな、とおれは深く考えもしなかったが。
そしてその孤児院で、おれは初めてルナと、カイリやそこの孤児院との関係を知ったわけだった。
「だからさ、あんたはどっちにしろもう終わりだ。ほら、俺の耳にはちゃんと聞こえてるよ?多分、あれは俺の兄の、ルイスの足音だ。そんで、その後には機動班の奴らが来てる。ここって、結構高層階なんだね」
ルナはニヤニヤと笑って、また一歩ヴラドレンに近付いた。
ヴラドレンは、おれにはその表情は見えなかったが、躊躇わずにもう一発、ルナに向けて銃を撃った。それはルナの腹部に当たって、だらりと血が吹き出した。それでもまるで何も感じていないかのように、ルナはまた前進する。
「あんたのお陰かな。もう痛みなんてほとんど感じないんだ……アハハッ!!俺を殺したい?じゃあ心臓を撃てよ。まあでもその時は、ちゃんと真剣に避けるよ?俺だって命は惜しいからさ!!それにあんたの持ってる銃なんて、俺には見えてるんだよ、あんたの目線とかそう言うので、どこ狙ってんのかなんて丸わかりだよ!!アハハッ!!」
おれはそのルナの狂ったような笑い声を聞いて、ただ恐ろしいと思った。それでもおれはルナを愛していると、再確認した。
「くっ、お前、今すぐ止まらないと、この人間を撃つぞ」
「……はあ。まあ、そうなるよなぁ。でも、別にそれはそれでいいよ。見て、灯!!俺、今お前の好きだったルナじゃないんだ!!もうさ、俺はおかしくなっちゃったよ……だって目玉くり抜かれたって腕折られたって、俺はそれも気持ち良くておかしくなっちゃいそうだったから!!アハハッ!!」
それが本心なのか、ただの演技なのか、おれには見当もつかなかった。
それでもいいから、ルナには生きててほしい。
だからおれは行動した。
後悔はない。
どうせ死ぬにしても、最後に愛しい人に触れたかった。
「ルナ!!」
呼びかけて、さっと前に踏み出した。
ルナのところへ。もう、おかしくてもなんでもいい。ただ触れたい。愛してると伝えて、抱きしめてやりたい。
結果自分が死ぬことになっても。
お前はおれが死ぬ時、一緒に死んでくれると言ってくれた。
それくらいにおれたちは繋がってた。
おれは信じてるから。
愛してる、ルナ。
だから戻って来てくれ。
おれの愛したルナ、どうか、おれのところに帰って来てくれ。
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