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 その夜も、俺は灯にバレないように部屋を出た。

 誰にも気付かれる事なく、夜の闇の中を歩き、そしてとあるマンションへと辿り着く。

 目指す最上階はすでに暗く、家人は寝静まっているようだった。

 最上階は全てが個人が所有するその部屋は、贅沢な間取りの中に煌びやかな調度品がぎゅうぎゅう詰めにされ、自慢げなそれらに見える傲慢さに吐き気がした。

 俺の価値を金で買った人間が、如何にも住みそうな部屋だな、と思った。

 ベルセリウス家の冷酷な第三子。それは一部にとって興味を惹く存在だ。どんな朴念仁なのだろう、とか、筋骨隆々で巌のような男なのか、とか、そんな執行人の姿を思い浮かべていた彼らに、俺はどう映ったのだろう。

 華奢で幼く、まるで虫も殺したこの無いような外見で、だから、組み敷くのも容易いと、そんな話をあの牢獄の中で聞いた覚えがある。

 ただ自分の興味や好奇心のために、俺を金で買った人間共。彼らが感じたのはどんな感情だったのだろう。強いものを組み敷く征服感か。弱い立場に成り下がった強者をを蹂躙する嗜虐感か。

 そんなのはどうでもいい。ただ、彼らがミスをしたとしたら、楽しんだ後にトドメを刺さなかったことだ。

 俺は静まり返った部屋に入り込んで、指紋を残さないように嵌めた手袋で、部屋のドアを開けて回った。

 運がいいことに、すぐにそいつは見つかった。

 ビール腹の小太りのおっさん。こいつは俺の首を絞めて、それから高らかに笑いながら腰を振り、俺の中に何度も、何度も、欲望を注ぎ続けた。意識のない俺の体に、どれほどの屈辱を刻んだのか。

 それを、死を持って償わせるのだ。

 バカみたいな顔をしてイビキをかく姿の無様なこと。

 その瞬間駆け抜けた怒りや復讐心の全てを抜き身の剣に乗せて、俺は何の躊躇いもなくそいつを刺し貫いた。

 シーツに広がる赤いシミや、衝撃に驚いて目を覚ましたそいつの顔を見て、俺は笑みさえ浮かべていただろう。

 その隣に寝ている、多分妻だろう女も同罪だ。お前がこいつの手綱を握っていたなら、俺はこんな奴に犯されずにすんだのに、と、それは完全な八つ当たりだが、俺は躊躇わなかった。

 ベッドに2人分の死体ができた時だ。

「誰…?」

 背後の部屋のドアの方から、幼い子どもの声がした。俺は振り返ってその子どもを見た。

 哀れなガキだと思った。お前の父親は、わざわざ大金を叩いて男を抱いていたんだと、そんな現実を突き付けてやるには幼過ぎた。

 だったら、お前も、お前の親の犯した罪のせいで死んでしまった方が楽なんじゃないか、なんて自分勝手なのはわかっていたが、気付けば俺は、その子どもを刺し貫いていた。

 特になんの感情も湧かなかった。多分それが、執行人として生を受けた吸血鬼が成るべき姿なのだ。

 そんな一夜を過ごしたなんてお首にも出さずに、俺は朝、何事もなかったかのように灯が起きるのを待っていた。

「ルナ……やけに早いな?」
「お腹が空いちゃってね、冷蔵庫にあるもの食べちゃった」

 灯が作り置きしていた卵サラダと、昨日の晩御飯の残りである野菜炒めを食べながら、俺は朝の教育番組を見ていた。

 バカみたいな人形が動き回る教育番組。別にそれが見たかったわけではないけれど、ふと流れるニュース番組よりマシだった。

「別に構わないが……そういえばそろそろだな」

 灯が、テレビの前のソファに座る俺の隣に座った。

「気付くのが遅れてすまない。お腹すいたよな」
「ん、ちょっとね」
「ほら、好きなだけどうぞ」

 灯は俺に左の掌を差し出して、ニッコリ微笑んだ。

「ありがと」

 すっかりその、灯の左掌の親指の付け根の膨らんだところがお気に入りになってしまって、俺は躊躇わずに牙を立てた。

 他のどんなものを食べても満たされることのない欲求が、その瞬間だけ消えていく。甘い。美味しい。ずっと舐めていたい。

 そんな衝動に任せて、俺は灯の手に喰らい付く。灯が、はぁ、と甘い溜息を漏らす。

「ね、灯。俺、準備してみたんだ。だからさ、も、すぐ突っ込めるよ……」

 まだ溢れてくる血を舐めながら言った。そのまま灯を押し倒して、俺はその上に乗る。

「ふぁ……ね、もう少しだけ噛んでもいい?ちゃんと気持ちよくするから……」

 灯の寝巻きのズボンと下着を下げて、硬くなったそれを取り出す。そのまま、俺は上に乗ってゆっくりと腰を落とした。

「アアッ、はぁ……灯、きもちい?俺はね、気持ちいいよ…?」

 そのまま灯の左手を掴んで、もう一度同じ所を噛んだ。ジワリと生暖かい血が溢れて、溢さないように口をつける。

「……ルナ?どうしたんだ?」
「ん…?何が?」

 見下ろすと、灯は戸惑った顔をしていた。

「いや……いつもより積極的だな、と」
「そういう時もあるでしょ。それより、灯は動いてくれないの?俺、勝手に気持ちいいとこにあててイっちゃうよ?」
「ダメだ。おれがやる」

 それから灯は、俺がごめんなさいと言うまで下から責めまくった。朝からなんてタフなんだ、と俺はガクガクする足腰を引き摺って仕事に向かった。

 カイリは俺と灯より先に来ていて、高嶺とジョンと、楽しそうに話をしていた。

「おはよーう!何?なんか楽しい話?」

 俺がそう言って3人のところへ向かうと、しかし高嶺とジョンは、相変わらず余所余所しい態度で自分の席に戻って行った。

「おはようございます、ルナリア様」
「ちょっと、ここでルナリア様はやめてよね。俺がまるで王侯貴族みたいじゃん」
「え、でも実際、ベルセリウス家は吸血鬼の中でも相当なお貴族様ですよね?」

 俺はふう、と溜息を吐き出した。

 この俺の抱える問題について、もうひとつ困った事があるとすれば、俺の出身がバレたことにあった。

 多額の寄付金をベルセリウスが署に出していることは知っていたが、兄たちが俺を探すのにその恩を返せとばかりに署員総動員で捜索に当たらせたために、俺の本名がルナリア・ベルセリウスであり、かの有名な吸血鬼を狩る執行人という事がバレつつあった。

 そのせいか、署内での俺の扱いに今までとは違った余所余所しさが滲み出ているのだ。

 人間でも、この魔界都市にて人外の犯罪に関わっている署内の奴らは、噂程度にも吸血鬼の執行人の話は聞いた事があるわけで。

 俺がそうなんじゃないか、ともはや確信に変わっているのだった。そしてそれが事実である事を、同じD班の高嶺とジョンは知っているわけで。2人は何も言ってこないが、避けられて当然と言えば当然だった。

「お貴族だけど、俺は家を飛び出してここで働いているワケだから、あんまりそういうのは出してほしくないのさ。俺のことはただの吸血鬼の同僚で、居眠りばかりするサボり癖のある先輩程度に扱ってくれると嬉しい」

 そう言うと、カイリはなんだか不服そうに、でも一応は頷いてくれた。

「おい、バカガキ!ちょっと話がある、ついて来い」

 と、いきなり叫んだのは牧田課長だった。

 俺は言われた通り牧田課長についていき、小さな会議室に通される。

「なあ、頼むから大事にはしないでくれよ」
「何の話?」

 俺はスッとボケて言った。

「お前、昨晩何してた?」
「何って、」
「あのなぁ、復讐をするのは仕方ないとして、それに直接関係のない人間にまで手を出すのはやめてくれ」

 スッと心の中のスイッチが変わる音がした。つまり牧田課長が話したいのは、今の俺ではなく執行人として、強いてはベルセリウスの屈辱を晴らすために動いている俺に向けられた言葉だった。

「関係のない人間?あいつらの周りにいる全ての奴らが、俺の復讐の対象だ。因果応報、自分の犯した罪は死ぬよりも重いはずだろう?俺は実際に、殺してくれと懇願した。他の何を捧げてもいいから、死なせてくれと頼んだ。なのにあいつらはそれを嘲笑った。だったら同じ目に合わせて何が悪い?自分が死ぬよりも酷い目に遭わせてやるのは当然だろう?それに執行人は、罪人の血を継いだその他の奴も全て殺すのが常だ」

 俺の目は、赤く輝いていたことだろう。牧田課長はそんな俺の顔を見て、そして珍しく、真剣な顔でこんなことを言ったのだ。

「お前、楽しんでるだろう?」

 俺は牧田課長の目を、正面から見返した。

「楽しんでると思うか?ならそうなんだろうな。確かに、俺は物心ついた頃から、狩りを楽しむことで存在意義を見出してきた。同族を狩る、そんな俺が生きるために必要なのは、全てをゲームだと思う事だ。今回だってそうだろう?俺は、俺を辱めた奴らを追う、これは俺のゲームだろう?」

 本心でそう言ったのか、その場を凌ぐためにそう言ったのか。

 この時の俺には、もう判断がつかなかった。

 ただ牧田課長は、とても悲しげに笑った。

「なんて悲しい生き方なんだろうな。お前たちの種族がそういうふうにお前を作ってきたのなら、なんて罪深いんだろうな。お前の一族は同族を消すためだけに子どもを育ててるんだろ?その子がそうと知らずに生を受けて生まれ落ちても、変わらずに育ててきたんだ。おれは親がクズだからって理由で犯罪に手を染める奴らを見てきた。確かにそいつらの親はクズだった。でもお前は違う。根っからの殺し屋で、それを楽しめるように育てられて来たんだろうな」

 俺は何も言えなかった。だって、これ以外の生き方を知らないから。

 じゃあ、俺は自分に降りかかった辱めの数々を、どうやって振り払えばいいんだ?

 その手段を産まれながらに与えられたのだから、俺は自分の境遇に感謝すべきだろう?

「お前の遊びが行き過ぎないことを願う。じゃないとおれたち警察組織が次に狙うのは、お前自身だ」
「ハハッ、じゃあお前らが行き過ぎたと判断したら俺を殺せ。できるのなら、だけどな」

 俺は笑った。牧田課長の冷たい視線を見返しながら。

 取り返しがつかない事を言ったのだと、自分でも気付いていたがもう遅かった。
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