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しおりを挟む灯が仕事に行くと言うので、俺も久しぶりに簡素な支給品のスーツに袖を通した。
そしてふたり鏡の前に並んで、なんだかおかしくて同時に吹き出した。
「お前のお屋敷や高そうな私服姿を見た後だと、この支給品のスーツがどれだけ安物かがわかるな」
「だよねぇ。生地はゴワゴワだし、ストレッチも効いてないし、全然体にフィットしてないよね。これで飛んだり跳ねたりしてる俺、逆にすごいと思わない?」
「まあ、確かに」
外に出ると、早朝にも関わらずすでに凄い日差しがアスファルトを焦がし、俺はたまらず呻いた。
「灯、おんぶして連れてってくれない?暑くて死にそう」
「おんぶしたら逆に暑いだろ、おれが」
「そんなぁ……俺の繊細で白い陶器のような肌に、この日差しは可哀想だと思わない?」
「思わないしさっさと歩いてくれ」
そしてやっとの思いで辿り着いた署内は、冷房がガンガンに効いていてホッとした。
何ヶ月ぶりだろうか。もうよく思い出せないが、機動班の事務室兼待機室に顔を出すと、中には高嶺とジョンがいた。
「おはよーう!お久しぶりだな、お前ら!元気?」
「おはよ……ま、まあ、元気だよ」
ジョンは余所余所しく挨拶を返してくれたが、高嶺はこちらをチラリと見ただけだった。数日前の夜中の出来事に、ふたりともドン引きしてしまったのだろう。
きっとあの日署にいた職員は、地下の拘置所の惨状を聞いたか、もしくは実際に目にしただろうから。それを瓜山署長権限で口外無用、とされていることにも、何か思う事があるだろう。
そんな微妙な空気を、灯は敏感に感じ取っていた。こういう勘がいいところがちょっと面倒でもある。
「なんだ…?どうかしたか?」
灯は眉間に皺を寄せて、室内のメンバーを見やった。
「アレじゃない、俺のこと幽霊かなんかだと思ってんじゃない?実に数ヶ月ぶりの再会だよ?そりゃ余所余所しくもなるだろう、なぁ、ジョン?」
ジョンはビクッと体を震わせて、そうだね、と弱々しく答えると部屋を出ていってしまった。
首を傾げる灯に、俺は気を逸らすためにこう言った。
「ねぇ、俺のストックしてたカップ麺食べてないよな?」
「はあ?お前、そんなものデスクの引き出しに入れてたのか?」
えへへ、と曖昧に笑い、懐かしい我がデスクの一番大きな引き出しを開けた。
カップ麺はそのままそこにあった。ホッとした。
「お前ら揃ったか?」
その時、部屋のドアを牧田課長が勢いよく開けて入ってきた。バァーンと、まるで車が衝突したかのような音が響いた。
俺らD班と、部屋を共有しているC班が、皆立ち上がって牧田課長の方へと視線を向ける。
「突然だが今日からD班に人外のメンバーが増える。来年度から正式採用なんだが、本人の希望もあって機動班に正式に入る前に研修として同行させてやって欲しい。いいか、秋原、ルナ?」
「え、俺?なんで?」
いきなり名指しされて、俺は素っ頓狂な声をあげて聞き返す。灯が隣で呆れた顔をしたのは見えた。
「そいつが吸血鬼だからだよ!そうじゃなかったらお前になんか任せるかアホが」
「アホは余計だよ!!」
言い返すが、乗ってこないのが牧田課長だ。
「ともかくそいつを紹介しに来た。おい、さっさと名乗れポンコツが」
と、牧田課長の背後にいたそいつが、おずおずと前に出て来ると、ペコリと一礼して名乗った。
「カイリと言います。どうぞよろしくお願いします」
俺より少し背の高い、スラリとした男の吸血鬼だった。こいつがまた、びっくりするほど気配が薄くて、同じ吸血鬼として少し心配になった。
「俺の舎弟にしていいってこと?」
「違うだろ。後輩として見てやれってことだ」
こっそり灯に耳打ちすると、呆れた声で返された。
「ああそう。まあ、堅苦しいのはやめにしてさ、こっち座りなよ。おーい、牧田課長、もう行っていいぞ!」
「なんでお前が偉そうなんだ!ったく……じゃあ頼んだからな!」
来た時と同じくドアを叩きつけるように閉めて、牧田課長は消えた。
俺はニコニコ笑いながら、新入りをソファへと誘導。向かい合って座らせると、灯に言った。
「灯、コーヒーでも淹れてやってくれ」
「暇なお前がやれ!!こっちは長期休暇のせいで事務仕事が山積みなんだ!!」
チッと舌打ちして、俺は隅っこに置いてある保温ポットの前に立つ。コーヒーってどうやって淹れるんだっけ?
しばしの奮闘の後、全然香りのしない、コーヒーとは名ばかりの泥水のようなインスタントコーヒーを2杯淹れてソファへ戻った。ひとつをカイリに、もうひとつを自分でひと口飲む。
「ぐっ!?絶妙に不味いが、まあいいや。カイリ、遠慮せずに寛いでくれ」
口にしたコーヒーは、本当に泥水みたいな味がした。
「あの……早く仕事を覚えたいのですが」
弱々しい声でカイリが言った。
「そんなのはさ、俺たち人外にはそんなにないの。お前にはまだバディがいないからアレだけど、本来の俺らのお仕事は、人間のバディが、行けって言ったら行く。伏せって言ったら伏せる。それだけ」
「はあ…?」
「まあ要は、事件が起こらない限り俺たちは暇なの」
そしてさらに、D班が如何に暇かを説明するのはやめた。士気が下がると困るので。
「ところでさ、お前本当に吸血鬼か?」
そんな俺の発言に、C班D班共用の部屋の誰もが聞き耳を立てたのに気付いた。きっと俺と同じ疑問を、特に他の人外達も抱いていたのだろう。
「ああ、それは、あの……僕、実は半分だけ吸血鬼の血が流れているんです」
「なるほど。だから気配が薄いのか」
「そうだと思います。僕もあなたほどの気配が近くにいて、内心ではかなり怯えているんですよ」
ふーん、と俺は興味を失った。が、灯が口を挟んできた。
「半分だけ、吸血鬼なのか?」
「あ、はい。父が吸血鬼だったらしいのですが、人間の母に詳しく聞く前に死んでしまって。それから人外ばかりの孤児院で育ったので、あまり詳しくは知らないんですが……」
灯が俺に顔を向けた。その表情を見ただけで、はやく説明しろと言っているのがわかった。
「俺たちは基本的に同族間でしか子どもはできない。が、稀に、本当に稀に、人間と他の人外の間で妊娠してしまうことがある。人外と人間でしかそんなことは起こらないし、何故かもわかっていないんだが……俺も長く生きている方だけど、カイリのような存在に出会うのは5度目だ」
それまでの4回のどれもが、リストに載った奴らの子どもだった。基本的にリストに載ったら、本人だけではなくその血を引く周囲の吸血鬼も殺してしまう。これはこちらに反乱分子となる者を残さないためと、そういう決まりがあると容易にルールに背かなくなるだろうという意図がある。
でも人間の親からすれば半分吸血鬼だとしても我が子に他ならない。しかし吸血鬼の血が流れている以上、こちらのルールで裁かなければならない。
そうして4人のハーフの子どもを手に掛けてきたが、果たしてそれが正しいのか、ベルセリウスの執行人ではないもうひとりの、ルナとしての自分はまだ結論を出せないでいる。
「僕はあまり体に影響が出ていない方で、成長速度は人間と変わらない。でも感覚器は吸血鬼に近いし、月に何度か血を飲まなければならない。僕は今まで、人工血液だけで生きてきたので、気配が薄いのもそのせいだと思います」
「だってさ、灯。他に質問のある人は手を挙げてくださーい」
シーンと、室内が静まり返った。が、そこでカイリは、俺の顔をマジマジと見て、目を輝かせた。
「あの、僕知ってるんです。ルナリア様でしょう?お噂をたくさん聞いています。とてもかっこいい、と幼い頃から思っていました。実際のあなたは、ちょっと可愛らしいんですね」
フフ、と笑窪をつくって笑うカイリだ。
「おい!可愛いはないだろう!?なあ、灯?俺って可愛いの?カッコイイの間違いじゃない?」
「うるさい!黙ってろ!そしておれに話をフルな!」
怒鳴った灯がボールペンを投げてきて、俺は慌てて伏せて避けた。
それからはカイリと他愛の無い話をしているうちに、一日が過ぎていったのだった。
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