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しおりを挟むその日の夕食は、食堂にて家族全員とおれと席を共にした。
まるであの有名な絵画、最後の晩餐を彷彿とさせる食堂は、こちらも上品な装飾品が華美過ぎない程度に飾られた、異国のような空間だった。
家長であるサムエルが上座に、そしてその左側にエイラ、双子の妹であるアイラとアイナが座っている。この双子の妹たちとは自己紹介程度に挨拶をしたが、顔がルナにそっくりで、黒い髪と青い目をしているため全く区別がつかないでいる。
テーブルを挟んで向かい側には、ルイス、ルナ、おれ、という順で腰を落ち着けた。
ルーカスは所用で家を空けているらしく不在だった。
「では、客人もいることだし、早速食事をはじめようではないか!」
と、サムエルが宣言して食事が始まった。
「今日はあなたたちが帰って来るから、少し作り過ぎてしまったの。灯さんも、沢山あるので遠慮せず食べてくださいね」
「え、作ったんですか?」
思わずそう言ってしまった。このお屋敷には沢山の使用人がいる。皆吸血鬼だからか、気配程度にしか存在がわからないのだが。
だからおれはてっきり、料理人もいるものだと思っていた。
「フフッ、わたくしだってお料理くらい出来ますよ。もちろんもっと大人数分を用意する時は料理人にお任せしますけれど、長く生きると趣味でもないと虚しいですし」
「私はエイラの料理の腕が良くて妻にしたんだ。長い生涯、食事くらい美味いものを楽しみたい……すまない、決してそれだけではないんだ。君はどんな令嬢よりも美しい。そこもポイントだ」
エイラに微妙に睨まれて、サムエルが慌てて付け足した。
料理が趣味だというのは伊達ではなく、食卓には色とりどりの料理が並んでいる。それらは日本でよく見る、肉じゃがや魚の煮付け、ほうれん草のお浸しなんかで、おれはなんだか微笑ましく思った。
「灯さんにあわせて、日本のご家庭料理にしてみたの。それとわたくしの得意な唐揚げとポテトサラダよ。好きなだけ取ってね」
「はい、いただきます」
得意だと言う唐揚げはジューシーで、程よいスパイスの風味と鶏肉の甘味が絶品だ。ポテトサラダは大ぶりのじゃがいもが入っていて、こちらもホクホクで美味しい。
「ルナリア、お前も食べなさい。少し痩せたというか、やつれてるぞ」
サムエルがそう促すと、おれの左隣にまるでマネキンか石像のように、呼吸すらしているのか怪しいほど固まって座るルナリアが渋々とテーブルに手を伸ばす。
大皿盛りにされたポテトサラダを、大きめの木のスプーンに少しだけ取って自分の皿に移す。それから箸を手に、これまた少しだけ摘んで口に入れる。
それから、しばしの沈黙がテーブルを覆った。
サムエルも、双子たちも、ルイスでさえ、マネキンが動いたぞ、という風にルナの事を見ている。ニコニコしているのはエイラひとりだ。
「どう?美味しいでしょ?」
「……はい、お母様」
ルナがそう呟くと、食卓にホッとした雰囲気が広がった。おれはそれがなんだか面白かったのだが、しかし、こんな調子では、そりゃあルナもこの家で落ち着くなんて出来ないだろうな、とも思った。
「灯さんはお料理はするの?最近の男の子は自炊ができるのでしょう?」
「そうですね……あまり得意とは言えませんが、両親を亡くしてから親戚の家に引き取られたので、迷惑をかけないようにと、早くにそこを出たんです。なのでひと通りは自分でできる方だと思います」
「そうなの。大変な思いをされたのね。ルナリアは灯さんのお料理は食べた事あるの?」
そこで再び、サムエル、ルイス、双子たちがルナへと、あくまでも食事をしながらさりげなく伺った。
「……はい」
「灯さんのお得意なお料理は何かしら?」
ルナがはたと手を止めて、首を傾げた。それからチラッとおれの顔を見た。
その表情には、「なんて答えたらいい?」と、わかりやすく書いてあった。
「ルナと食事する時は、結構鍋にすることが多いですね。ルナ、ものすごく食べるので」
ははは、と笑って言った。が、今度はおれに全員の視線が向けられた。
「……ルナリアは大食いなのか?」
と、ポカンとした顔でサムエルが言うので、おれは頷いて言った。
「はい、トンカツはヒレ肉を6枚ペロッと食べますし、大盛りのラーメンも3杯は余裕ですね。ケーキバイキングでは限界まで皿にケーキを乗せてて。あ、ルナは機動班の給料の殆どを食費に使っていました」
「ちょっと、灯!!余計な事言わなくて良いよ!!」
バシ、とルナがおれの膝を軽く叩いた。が、軽くても吸血鬼なのでとても痛かった。
「ゴホン……今の灯の話は忘れてください。人工血液だけではなかなかお腹いっぱいにならなくて、仕方なく食事で補っていただけですから」
「仕方ないって量ではなかったけどな」
「もう!本当に怒るよ!?」
そう言ってルナは、さっきよりどこか乱暴に箸を動かしてポテトサラダを摘む。
「ルナ、さっきからにんじんを避けてるだろ」
「っ、そ、そんなことないよ?あ、後で食べようと思ってるから!」
「苦手だよな、にんじん。おれが食べようか?」
「うるさいな!灯は口を閉じてろ!」
慌ててかき込むようにしてにんじんを口に入れる、ルナ。前からにんじんが嫌いなのは知っていて、それで、どこかで外食した際ににんじんが入っていると、全部おれの皿へ移すのだった。
おれにとってはそんなやりとりが日常だった。ここ最近はギクシャクしてしまって、一緒に食事をすることもなかったけれど。
だからおれは嬉しくて、眉間に皺を寄せながらにんじんを咀嚼するルナを見て笑ってしまった。
「ふむ、僕はアレだ、パクチーやセロリなんかは嫌いだな。あれらを食べるくらいならそこら辺の雑草を口に入れる方がマシだ。後は臭いものは全般に受け付けない。そう言えばこの前、何かの土産で貰った鮒寿司には、ゲロを吐くかと思ったな」
「ゲロとか言わないでよルイスお兄様」
と、発言したのがアイラなのかアイナなのかは、おれには判断がつかなかった。
「アイナも臭いのダメじゃない。わたしもだけど。ルナリアお兄様はどうですか?」
双子の会話から察するにアイラがルナに話を振る。ルナはまた手を止めて答えた。
「俺も苦手だ。スーシュトレンミン?だったか、あれには確かに吐きそうになった」
「スーシュトレンミンって何だ?」
おれが口を挟むと、ルナがまた一瞬首を傾げてから言う。
「ああ、フィンランド語ではそう言うのだけど、灯にはシュールストレミングと言った方がわかりやすいかな」
あの有名な臭いニシンの缶詰か、と理解した。
「全く、お前たちはまだお子様だな。あの臭いこそを楽しむものなのだよ」
なんてサムエルが言うので、おれたちは何とも言えない顔でサムエルを見た。おれも臭いのはあまり好きではない。
「もう、そんな話はどうでもいいでしょう?食事に集中してくださいね!」
エイラにそう言われて、おれたちはそれぞれ食事に手を付けた。
それ以降は誰もルナに会話を振ることなく、そしてルナも口を開くことなく、けれどどこか全員の注意がルナに向けられている、そんな変な空気の中食事は終わった。
食後にコーヒーをどうかと聞かれ、いただきますと答えると暫しの後、マグカップに注がれた香り高いコーヒーがメイド服の女性によって人数分運ばれてきた。
そこで今度は、ルナが口火を切った。
「父上、俺を呼び出したのはあの件ですか?」
おれは熱いコーヒーに口を付けながら黙って話を聞いた。
「……楽しい食事の直後にする話ではないが、そうだ。ルナリアが察している通り、その事についてどうするかの相談がしたかった」
「だったら俺が自分で処理するので。父上や兄上にはご迷惑をお掛けしません。なのでご心配には及びません」
「そうは言うが、お前は奴らに手を下せるか?今だって眠れぬ程なのだろう?」
そこでルナはまた、無表情で固まった。おれは気付いてしまった。ルナのテーブルの下の手が、ブルブルと震えていることに。
「ルナ、大丈夫か?というか何の話だ?」
問いかけると、ルナはテーブルのコーヒーを見つめたまま答える。
「……問題ない。それに灯には関係ない」
しかしサムエルがどこか怒っているような、諭すような声で言う。
「ルナリア、灯君にそんな態度を取るのは辞めなさい。私たちには……仕方のない事だとは思っているが、彼は違うだろう?お前のこの先の為に、彼は自らを捧げたのだから」
それでおれは理解したのだ。
ルナがひとりで処理しようとしている問題に。
「……俺は灯にそんなこと頼んでません。それに灯にそうさせたのはあなた達でしょう?確かに誰かひとり身近な人間から安定的に血を提供してもらうことができるなら、俺たちはそんなに困る事はない。でもそれは人間の方に負担がかかってしまう……灯の負担になるのは嫌だった」
おれがルナに血を提供する際に、ルーカスとルイスからその良い点と悪い点を聞いていた。
食事の心配をしなくても良いと、その吸血鬼は精神的に穏やかになる傾向がある。吸血鬼の中で、パートナーとして人間と付き合いをするのは割とあることなのだ、と。
でも悪い点は、もしその相手の吸血鬼が突発的に欲求を抑えられなくなった時、一番に命を落とす危険が高い、ということだった。
「もし俺が止まれなくなってしまったら、灯を殺してしまうかもしれない。そんな関係性にはなりたくなかったのに」
そんなルナの言葉を聞いて、おれはこの時やっと、ルナが言った、好きだから血を貰いたくない、という意味に気付いた。
「それも灯君の優しさだ。お前はそれを潔く受け入れた方がいい」
「わかっています……もういいでしょう、俺は先に休みます」
失礼致します、と声を掛けて、ルナは食堂を出て行った。
「すまないね、灯君。ルナリアはルナリアの葛藤がある。私達はどうしてもわかってやれない苦しみを抱えて生きているんだ。どうか君は、諦めずに接してやってほしい。身勝手な願いで、本当にすまないと思っている」
サムエルの悲痛な言葉に、おれは頷いて答え、そしてルナを追って食堂を出た。
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