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しおりを挟む家の裏には小さな温室がある。ここは俺の叔父が好きだった場所だ。いや、正確には好きかどうかを聞いたことはない。そんな話をする関係性でもなかったから。
でも叔父はここで、時々四季折々に咲く花を見ていた。別に自分で世話をしたりということはなかったが。
2年ぶりに、しかもクリスマス時期以外ではゆうに数十年ぶりに帰ったが、何も変わらないここは時間がループしているような気分になる。
月明かりだけが頼りの闇の中、しばらく温室の中で、石のベンチの上に座って過ごしていると、俺たち吸血鬼とは違う騒がしい足音が近付いて来るのがわかった。
「ルナ」
灯が温室のドアを開けて中へ入って来た。
「ルナのお母さんが、ここじゃないかって言ってたんだが、やっぱりここにいたんだな」
そりゃ俺の居場所なんてここか、自室かのどちらかだ。それ以外の場所にはあまり行かないから。
「温室まであるんだな……あの黄色い花はなんだ?」
「……知らない。誰か、その辺のメイドの方が詳しいんじゃないか」
素っ気なく返すが、しかし灯はめげない。
「じゃあなんで花を見てるんだ?」
「花はどうでもいい……俺はあそこに、叔父の灰を撒いたんだ」
眉間に皺を寄せているだろう灯に、俺は説明してやった。
「役目を引き継いだ時、俺が叔父を殺した。それで、あそこの花壇に灰を撒いた……叔父はよくここに居たから」
その時のことを思い出すと、不思議と心が落ち着いた。機動班にいた頃や、総司に出会った頃の俺の方がおかしかったんだ。
「ルーカスの3番目の子は、俺をどこに撒くんだろうな……」
とは言っても、ルーカスの相手は現在第一子を妊娠中だ。俺が自由になれるのは、もっと、下手すると何百年も先かもしれない。
「……あのさ、おれはちゃんと理解した上で同意した。お前に殺されるなら、おれはそれでもいいと思った。でもお前は、おれを守る為に怒ってたんだな」
「そうだよ。だって大好きな人を自分の手で殺してしまうかもしれない。でも血をくれる灯から離れることも出来ない。だから俺は、灯からは絶対に血を貰わないって決めていた。それにこんなことにならなければ、俺は後何年だって……灯が死ぬまでだって人工血液だけで生きる覚悟だったから」
好きだから。
傷付けたくないから。
それも、俺のこの抗えない欲求のせいで、大切な人を危険に晒したくはなかったから。
なのに今となっては、常に灯から良い匂いがしていて、俺は暴走しそうになる自分を抑えるのに精一杯で。
でも本当は触れたい。別に噛みたいわけでは決してない。
普通に恋人がするように。今までの俺たちがそうだったように。触れたいのに、そこに吸血鬼としての本能が被ってしまう。
「俺は今でも灯が好きだよ。隔離部屋にいた時とか、そのほかの時もだけど、俺はものすごく酷い事を言った。自分でもわかってる……だけどね、この俺の今の灯を好きな気持ちが、愛なのか、食欲なのか、もうわからなくて……そんな事言ったら、灯を傷付けると思ってて……だから離れて欲しかったんだ」
こんなことを言うつもりはなかった。灯が飽きるまで、もしくは死ぬまで、灯の思い通りに側にいてやろうと思っていた。
俺の気持ちはどうでもいいから。
「総司の時もそうだった。この家での、俺への態度を見たでしょ?息苦しいんだ。まあ、俺も必要以上に関わって、俺が死んだ時に想いを残して欲しくなくてああいう態度を取ってるところもあるけど、だからこそ、総司や灯みたいに普通に接することができる誰かの存在が嬉しくて、依存して、でも人間は弱くて短命だから……」
いっそ離れてくれ、と思っていたのに。
「俺はどうしたらいいの?灯が決めてくれよ……もうわからなくて苦しい。いっそのこと、本当に灯が俺を殺してくれたらって、そんなことばかり考えてしまって……」
灯の事を信用できないわけでは決してなかった。もちろん、それ以外の誰かのことは正直怖い。
「……おれが我儘ばかり言って良いのだとしたら、間違いなく、どんなお前でもいいから側にいてほしい。それともし許されるなら、ルナに触れた奴ら全員、おれの手で殺したい。ルナのお父さんが言っていたのはこのことについてだろ?」
察しのいい灯だから、おそらくこの家に呼ばれた時点で何かあるのかと思っていたことだろう。
「そうだよ。父は俺の顔を見て判断したかったんだと思う。本当に放っておいて大丈夫か?ってね。ベルセリウスの名に恥を塗ったままではいけないから。ルーカスがいないのは、その事で情報を集めているからだと思う。俺がもし自分で動かなければ、ベルセリウスとしてルーカスかルイスが手を下しに行くはずだよ」
それとね、と俺はこの際だから言ってしまうことにした。もう、どうやっても灯は俺の側から離れるつもりはないだろうと判断したから。
「俺がジークに捕まったのは、決して油断してたからじゃないんだ」
「おれの名を出されたからか?」
俺はフフ、と少し笑ってしまった。でも灯は真剣な、というか怒った顔をしていた。
「当たり。お前の恋人がどうなってもいいのか?って言われたんだよ。ねえ、俺は灯のことを守りたい。そのためなら
自分も差し出す。そう言う意味でも、灯の側にはいられないって思ったんだ」
「悪い……」
「いいんだ。灯は何も悪くない。俺はさ、本当にお前が好きだよ。愛してる。もし俺が吸血鬼じゃなかったら……もっと対等に接することができただろうな、なんて女みたいなことを考えるくらいにはね」
そう、例えば総司とこうして愛を語ることができたなら、それはどれだけ幸せなことだっただろうか。
でも結局総司は、愛という感情で俺に接していたわけではなかった。
戯れなキスと、時々あった友達よりも深いスキンシップに、勝手に期待して失望したのは俺だった。
灯とは、一方的な感情を抱いているんじゃなくて、お お互いに気持ちの擦り合わせができる関係だ。
「対等とかそうじゃないとか、おれたちには関係ないと思う。違う種族だからこそ、お互いを尊重してやっていける、とおれは思っているんだ。だからどうか、おれの血を飲むことで罪の意識を感じないで欲しい。だってこれは、おれがお前を好きだからできた決断だ。おれはそれを誇りに思う」
そんなことを言われて、もう素っ気ない態度で突き放す事なんてできなかった。
俺たちは今、やっと、ちゃんと向き合うことができたのかもしれない。
「灯、俺の部屋、来る?」
急な提案に、灯は訝しげな表情を浮かべた。
「あっちのお屋敷にも俺の部屋はあるんだけど、あまり使ってなくて。いつもここに帰って来ると、俺は別の部屋で寝泊まりするんだ」
「行ってもいいのか?」
「もちろん」
俺たちは曖昧に笑って温室をでた。
並んで歩くのはいつぶりだろうか、なんて思いながら。
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