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 俺は結局、3ヶ月ほど隔離部屋で過ごして、それから灯の部屋に居候することになった。

 外に出ると、ほんのりと夏の気配が色濃くなっている、そんな時期だった。

 灯と和解できたかと聞かれると、よくわからない。俺も、灯も、あのケンカのような言い合いをした日のことには触れていないから。

「ルナはこの部屋を自由に使って良い。もともと空いてたから」
「……ん、ありがと」

 がらんとした部屋。シングルサイズのベッドがひとつ。空っぽのクローゼット。そして、六畳一間の愛くるしい我が家を引き払って持って来た、段ボール箱ひとつ分の私物。

 その段ボール箱をフローリングの床に放り出して、俺は窓際の角に座り込んだ。すっかり隅っこが定位置になってしまった。

 灯の匂いがするこの部屋は、正直言うととても居心地が悪い。常に血が欲しくなってしまうからだが、今のところまだ大丈夫そうだ。

 隔離部屋から出る時に兄2人がやって来て、とても申し訳なさそうに謝って来た。灯は悪くない。提案したのは自分たちだ、と。

 でもそんなのはもうどうでも良かった。

 俺の感情なんて、どうでも良いのと同じように。

 ぼーっと窓の外を眺めていると、部屋のドアをノックする音がして、灯が顔を出した。

「ルナ、夕食を作ったんだが……お前の好きなナポリタンにしてみた。食べられそうか?」

 俺はただ、いらない、とだけ答えた。

 人間の血を飲んでいる今、食欲なんてほとんどなかったから。

 それでも何か言いたげな灯だ。だから俺はこう言った。

「別に、食事なんて作らなくていい。血があれば特に腹が減ることもないから。放っておいてくれて構わない」

 また、窓の外を見る。日が翳ってきて、カラスが集団で飛んでいく。俺も、どこかへ飛んで行けたらいいんだけど。隔離部屋を出るにあたって、当面の間俺の首についた装置からGPS信号を、署と病院と兄と灯が確認することになっていた。

 籠の鳥とは、まさに今の俺のことだ。

 灯はしばらく俺のことを見ていたけれど、何も言わずにドアを閉めて行ってしまった。

 そして1人きりになると、睡眠不足の頭の中は記憶があちこちと飛び回ってしまって、必死で自分に言い聞かせるのだ。

 あの地獄のような日々はもう終わったんだと。

 俺は感情のない機械だから、過去のことなんか何も感じる必要がないんだ、と。

 気付けば両腕が噛み跡だらけだった。そして、カーテンを開け放したままの窓の外は、すっかり明るくなっていた。

「ルナ、おはよう。眠れたか……ああ、またそんなに噛んで……ごめん、全然気付かなかった。手当するから出て来てくれないか?」

 ドアを開けて顔を出した灯が、悲しげに声をかけて来た。

「必要ない。そのうち治る。お前はさっさと仕事へ行けばいいだろ」
「しばらく休みをとったんだ。ルナが落ち着くまでのつもりなんだが」
「……俺は落ち着いてる。それより、休みなんだったらちょうどいい。灯、こっちに来て?噛んだりはしないからさ」

 そう言うと、灯は警戒しつつも部屋へと入って来て、俺の前に座った。

「なあ、居候させてもらってるし、定期的に血をもらうのも悪いからさ、俺にも何かさせて欲しい」

 それから、俺は着ていたTシャツを脱いで、灯にのしかかった。

「はぁ……あのさ、俺ね、正直言うと溜まってんだよ。あんだけ毎日めちゃくちゃにされてたらさ、体がそれに慣れてしまってて。ねえ、食事とかさ、世話焼いてくれなくていいから、たまに相手してくれない?灯だって俺にブチ込みたいだろ?ずっと我慢してたんじゃないの?」
「やめろ。今すぐどいてくれなければ、制御装置を使う」

 どこか悲しげな灯の顔を見て、でも俺も、欲求不満なのは本当で。

「いいよ。俺をどうするかなんて、俺自身に決める権利なんてないんだからさ」

 もう、どうでも良かった。俺は何処にいても地獄なんだと、諦めてしまっていた。

 灯は多分、心の中ですごく葛藤しているんだと思う。右手には制御装置を起動させる小さなリモコンを持っているけれど、使う勇気はないらしい。

 そういえば、灯はまだ一度もそれを使った事がないな、と俺は思い出した。

「ああ、そうだな。最初はさ、怖いかもしれないけど、慣れてしまえばどうってことはないさ」

 俺は灯の右手を掴んだ。一瞬ビクッとした灯に笑いかけながら、俺は灯のリモコンに乗せた親指を押し込んだ。

 ビリビリと強烈な電気刺激が一瞬、痛みを伴って首から下へと駆け抜けて行った。

「ぅ、ギッ!あ、はぁ、はぁ……ね?別にさ、死ぬ訳じゃないんだからさ、使えばいいんだ。確かに俺はちょっと痛いけど、お前を襲うことはないからさ」
「やめろよ、ルナ……おれはそんなことがしたくてお前を側に置きたいんじゃないんだ。どうしたらわかってくれるんだ?」

 泣きそうな灯だ。でも俺だって泣きたい。もう、接し方もわからないんだよって。

「前に言っただろ。俺を殺して、残った灰を貰ってくれればいい。そうすれば、灯の思い通りの俺が、お前の側に残るんだから」

 そう言うと、灯はまた何も言わずに部屋から出て行った。

 残された俺はまた、隅に蹲って静かに泣いた。

 そんな生活が、どれくらい続いたのかはわからないけれど、俺は定期的に灯の血をもらって、といっても直接噛んだわけではなく、少しの量をコップに入れて、だ。

 ともかく、俺はほとんど動かないまま部屋の隅で蹲って過ごした。

 灯は定期的に食事を作ったと声をかけてくれたが、悪いけれどそんな気分でもなかった。

 血をもらっていても少しの睡眠は必要で、だけど眠れない俺は目の下に大きな隈を作ってしまって、そんな顔がまた吸血鬼みたいで。

 日々、何も考えることなく過ぎて行った。

「やあ弟よ。元気、ではなさそうだが死んでなくてなにより。お前、また痩せたか?我々は太りもしないが痩せもしないと思っていたが、考えを改める必要があるようだな。ところで、最近は何か口にしたか?血ではなく、人間的なものという意味で、だ」

 なんでかその日は、ルイスの夢を見ていた。

「うるせえな……お前は夢の中でもうるせえな」
「待て待て、聞き捨てならないな。僕は夢ではないしうるさくもないが、ルナ、起きろ!これは現実だ!」

 はっとして顔を上げると、そこには確かにルイスがいた。

「マジかよ。夢だったら有り難かったのに」
「酷いなぁ……まあいいさ。弟は弟だ。どれだけ捻くれて育とうが、お前の兄であることは現実だからな。可愛くない弟も可愛がってやろうと、僕は思う訳だ」

 やれやれと肩をすくめる次兄に、俺は本気でため息を吐いた。

「何をしに来たんですか、ルイス兄さん。あなたはそんなに暇じゃないでしょう?」
「おお、懐かしい。すっかり忘れていたが、お前は僕にも敬語だったな」
「懐かしがるほど離れていた覚えはないんですが……ああ、そういえばボンヤリですけれど、隔離部屋にいる時に会った記憶はあります」

 アッハッハと笑い出した兄に、俺はもうついていけなくてポカンとその姿を見守った。

「あそこにいたお前は可愛らしかったな。まるで本当に小さい頃に戻ったようで」
「……その節は大変ご迷惑をおかけしました。俺もあまり覚えていないのですが、かなり幼稚な発言をしていたことは少し覚えています」
「ふむ……あれを機会にまたお前が小さい頃のように接してくれるものと期待していたのだが、染み付いたものはなかなか抜けないものだな。それも我らの役割を背負わせてしまったが故だろうが……しかし、秋原灯にも同じような態度を取っているのだろう?お前のために、かなり心を砕いてくれたのだけどな」

 そんなのはわかっている。そんな灯に、冷たい態度をとっていることも。

「しかし兄上。俺も、もう人間に心を乱されるのは嫌なんです。お役目だけの生涯で、終わっておけばよかった。ルーカス兄さんの第三子が産まれるまで」

 もともと、俺はルーカスの第三子が産まれて、その教育をした後にすぐ死ぬつもりだった。後を引き継ぐ者がいれば、もう俺の存在理由はないからだ。

 でもそれを待っている間に、機動班として80年経ってしまったわけで。

 決してダラダラと機動班に残っていたわけではなくて、ただ後継を待っていた、というのもあるのだ。

「まあ、ルーカスの子ども事情は置いておくとして……そんなことより、お前、一度家に帰ってこないか?まあ、これは決定事項で、別にお前の返事がどうであれどうでもいいんだが、とにかく、親父が呼んでいるんだ。ルナリアと秋原灯を一度屋敷に連れて来いとな」
「……俺に拒否権もくそもないのは理解しています。でも灯は、」
「心配するな、すでに了承は得ている。あやつは顔には出さないが、お前の故郷を見れると期待しているぞ、多分」

 これだからベルセリウス家は嫌いなのだ。極端に言えば、全員自己中の集合体みたいなのだ。

「よし、そうと決まれば、早速長旅の準備をするぞ。というかお前の荷物のなんと少ないことか……なあ、そのTシャツ、何日着てるんだ?その、少し匂うぞ」
「俺、段ボール箱にお役目が引き継ぐ長剣を入れっぱにしているんですけど、今すぐ取り出して、まずルイス兄さんを刺し殺しますね」
「おっと、新幹線の時間は明日の早朝だな!まずはゆっくり睡眠をとって、明日に備えようではないか。ルナリアはそこのすみっコぐらしなのだろう?だったら僕はベットを使う。良いよな?」

 もう好きにしてくれ、と俺はため息を吐き。

 次の瞬間には寝入っている兄のいびきが聞こえて来たのだった。
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