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 その場所を見つけるのに、署員が総動員で1週間はかかっただろうか。

 しかし自分とルーカス、ルイス3人の場合には、さらに何倍もの時間がかかったかもしれない。

 ともかく署からの連絡を受けたおれは、ルーカスとルイスと、機動班のA班B班とともにそこへ訪れていた。

 地上階は至って普通のバーだが、どうやらこの地下には、完全会員制の知る人ぞ知る空間が広がっているそうだった。

 各界の著名人やその子息が、普段は絶対にできない体験をするために大金を叩いてやってくる。それは強力なパイプでのみ知ることができる未知の空間だ。

 ベルセリウスの名がどれほどの影響力を持っているのかは定かではないが、彼らが本気で動けば、どこぞの下水道のネズミの数までわかりそうな勢いだった。

「ふむ。嫌な匂いだ」

 ルイスが地下へと続く階段を前に顔を顰めて言った。おれにはその匂いがなんなのかはわからなかった。

 ただ、ルーカスを先頭にして階段を降りて行くと、嫌でもその匂いがわかった、

 機動班の人狼が数人、うっ、と声を漏らすその匂いは、人間のおれでもわかる、血臭と、そして饐えたような嫌な匂いだった。

 地下にはいくつか部屋があった。どれも頑丈な鉄格子で出来ていて、その部屋の中には、死んでいるのか生きているのかもわからない誰かが、冷たい床の上に横たわっていた。

 女も男も関係ない。そこには、悲惨な虐待の痕が染み付いている。

 B班が、地上店舗から取って来た鉄格子の鍵を使い、彼らの安否を確認してまわる。

 おれとベルセリウスの2人とA班は奥へと足を進めた。

 一通り確認して行くが、どこにもルナらしき人物は見当たらない。

 もしここではないどこか別の場所にルナがいるのだとしても、それでもこの現場を見ると胸が痛くなった。

 自分という存在を、誰とも知らない奴らに弄ばれる。それが許されてしまう空間。止めるものもなく、ただひたすらに屈辱に耐える日々。

 おれなら耐えられないだろう。

 かと言って、自分で自分の命を断つこともできないだろう。

 頑丈な鉄格子を見ながら、おれは奥歯を噛み締めた。

 しばしあちこちを調べていたA班が、あっ、と声を上げた。

「ここに地下へ降りる階段があります!うっ……すみません、我々は降りない方がいいかもしれない」

 そう言ったのはA班の人狼のひとりだった。おれはそこへと早足で向い、地面に設置された扉の中へ視線を向けた。

 とにかく暗い。でも、おれや他の人間には見えていない物が、吸血鬼や人狼にはあるのだろう。そしてこの甘い匂いも、鼻の良い彼らにはキツいのかもしれない。

「ああ、これは昔流行った淫魔のホルモンを抽出して作った催淫剤の匂いだな。僕も試してみた事があるけれど、甘過ぎて向いてなかった。僕らより人に近い人狼にはかなり効果があるみたいだし、君らはそこで待機していろ」

 ルイスが何事もなかったかのように地下への階段を降りて行く。

「秋原さんも辞めておいた方がいいと思います。これは元々人間を籠絡させるために作られたものですから」

 と、ルーカスは言うが、おれは嫌だと首を振った。

「下にルナがいるかもしれない。だからおれは行かなければならないんです」
「……わかりました。なら、しっかりと袖で鼻と口を覆ってくださいね。もし不調が出るようなら、私たちが止めますから」

 物理的に、とおれは理解して、ルイスの後を追って階段を降りて行った。

 階下は上よりも狭く、しかし同じよな檻が四つあった。右側二つは空で、左の一つ目も同じく誰もいない。

 しかしその時、ジャラジャラと重い金属が擦れるような音が、奥の最後の檻から響いて来た。

「はぁ……ね、誰かいるの…?お願い、お腹空いて死にそうだから、ご褒美ちょうだい……なんでもしてあげるから……好きなようにしていいよ……あ、あのね、俺、痛いのも大丈夫だよ…?」

 そんなか細い声がした。

「ん……人間の匂い……ね、俺ちゃんと気持ちよくしてあげるから……ちょっとだけ、本当にちょっとでいいの……最後に噛ませてくれる?痛くしないよ…?いつもみたいに、ちょっとだけ……ダメかな…?」

 はぁ、はぁ、とご飯を待つ犬のような、そんな息遣いが聞こえて。それは紛れもない、ルナの声で。

 ルナは左の奥の檻の中で、頑丈な首輪で繋がれたまま、部屋の隅に蹲っていた。赤い瞳が、懐中電灯の光に照らされてくっきりと浮かび上がる。

 その檻の中は、赤錆のような匂いに溢れていた。至る所に乾いた血の痕がこびりついている。

「やれやれ、覚悟はしていたが、実際に目の当たりにするとキツいものがあるな……ルナリア、僕がわかる?ルイスだよ。お前の兄だ」

 檻の中へと入ったルイスが声を掛けるが、ルナはビクッと震えてさらに縮こまった。

「ヒッ!?ご、ごめんなさ、い…!俺、俺ね、好きで殺したんじゃないよ?……あの、俺のね、役割があって……それで……なんだっけ?俺は、いっぱい殺しちゃったけど……ごめんなさい」
「ルナリア、お前は悪くない。仕方のない事だった。誰もお前を責めてはいない」

 しかしルナは怯えた目でルイスを見て、ガタガタと震えるだけだった。

 ルイスがふぅ、と息を吐き、ルーカスへと視線を向ける。

「仕方ないね。ちょっとだけ眠っててもらおうか」
「そうだな。じゃないと僕らが危ないかもしれない。必死な吸血鬼ほど怖いものはないからな」

 血に飢えた吸血鬼がどうなるのか、以前アリアナに聞いて知っていた。でもおれは、居ても立っても居られなかった。

「ルナ!おれだ、灯だ!お前の恋人で、バディだろ?わかるか?」

 そう叫ぶように言って、おれはすぐに後悔した。

「……バディ?なに、それ……総司?ねぇ、総司なの…?あのね、俺、お前の奥さんに、謝ったんだ……俺の所為だって……なんで総司がいるの…?寂しかったんだ、ずっと……お前、どこ行ってたの?俺、ひとりで、置いてかないでよ……」

 ズキズキと心臓が音を立てるように軋んだ。ああ、ルナにとってのバディは、やっぱり最初の1人目だけなんだと思い知らされているようだった。

「花火……本当は、すごく楽しかった……初めてで、綺麗で、ちょっと熱かったけど……でも、俺、一緒に行きたかった……本当はね、ずっと一緒にいたかった……」

 ハラハラと涙を流して、ルナは譫言のようなことを呟き続けた。それらはどれも、おれの知らない過去の瞬間で、胸が痛かった。おれもいつの間にか涙が止まらなくなっていた。

「総司……ごめんね、約束、破っちゃった……お腹空いた。ねぇ、そこにいるでしょ?血をちょうだい…?ちょっと、ほんとにちょっとでいいの……はやくくれって言ってんだろ!?腹減って死にそうなんだよ!!」

 そう突然叫ぶと、ルナはいきなり立ち上がって、まるで獲物を前にした猛獣の如く飛び掛かってこようとした。

 ガチャリと頑丈な鎖が、ルナの勢いを押し殺す。ふうふうと息を吐きながら、赤い目はおれを射殺すように見ていて、おれはまたなんとも言えない悲しさを感じた。

「秋原さん、あなたには酷なことを言うけれど、止めるのもあなたの仕事です。これからもルナリアの隣にいたいと思ってくださるのなら、我々が手を下すより、あなたがやるべきだと思います。あなたはルナリアに制御装置を使ったことはないでしょう?これから先、そんな心構えでは、弟がかわいそうだ」

 ルーカスが悲しげに微笑みながら言った。

 その意味を、おれは痛いほど理解している。アリアナがルナを止めてくれた時、本来ならおれがやるべきだったのだ。

 そして今回も、ルナを思うならおれが制御装置を使うべきなのだ。

 しかしその制御装置は今はない。ではおれが今取るべき行動は。一瞬でルナの意識を奪うことのできる方法は。

「……すまない。おれのせいだな。ルナ、お前がどう思おうと、おれはお前が大切なんだ。本当は死なせてやるべきなのかもしれないが、おれにはそんなことできないから……」

 おれの懺悔の言葉を、ルナは聞いているのかもわからないが、おれは覚悟を決めた。

 この先も、ルナのそばにいたいから。

 その時に迷うことのないように。

 慣れ親しんだ銃を抜き、それをルナに向ける。ルナは、まっすぐにおれを見ていた。その赤い瞳は涙に濡れていて、おれはまたつられて泣きそうになったが、必死に堪え、そして引き金を引いた。

 バン、と大きな銃声が、狭い地下の空間に響き渡った。

 どさりと頽れたルナの頭から真っ赤な血が流れ出す。

 おれは、ごめん、と心の中で謝り続けた。
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