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しおりを挟む今日はクリスマスイブだ。
アリアナは結局1週間ほど滞在し、俺と灯を散々振り回して帰って行った。
あの女がいないと、なんだかとても平和な気がする。署内では慌ただしく捜査に向かう足音や、大声で怒鳴り合う人間の声がひっきりなしに聞こえているけど、そんなの俺には関係ない。
「おい、そこのサボり魔。印刷物を綴じるくらいしてくれ」
「……もしかして俺のこと?」
「お前以外に誰がいる?」
さっと室内を見回す。事務室兼待機室である室内には、俺と灯しかいなかった。
はあ、と灯が大きな溜息を吐く。
「そんなことよりさ」
「そんなことで済ますな。ほら、後で甘いものでも買ってやるから手伝ってくれ」
俺は急いでコピー機から沢山の書類を取ってきて、灯の隣に座って作業を始めた。
「で、なんだ?何か言いかけてたが」
そうだった。灯に言わなければいけないことがあったんだった。目先の甘いものに釣られて忘れるところだ。
「あのさ、俺たち明日非番だろ?今日の夜、灯んちでクリスマスパーティーしようよ」
「……それは吸血鬼的にどうなんだ?仮にもキリストの誕生日だろ」
「なんかまずい?俺の実家キリスト教徒だよ?」
なにやら複雑な顔をしている灯だ。俺なんか変なこと言ったかな?普通に恋人として一緒にいたいだけなんだけど。
「まあ良いか。だが急にどうしたんだ?お前からそういうことを言ってくるとは思ってなかったが」
「いや、だってほら……あれ以来、その、えっちしてないから……」
ブワッと自分の顔が熱くなるのを感じた。言ってしまってから、ものすごく恥ずかしくなってきた。
灯からの反応がないので、チラッと顔を確認する。いつも無表情だけれど、言葉まで失ってしまったようだ。
「灯が嫌なら別にいいよ?まだまだ人生は長いんだから、いつかその気になる事があるだろうし。まあ、ふにゃふにゃのおじいちゃんになるまでに誘ってくれると有難いけれど。体力とか寿命とか、心配で俺が集中して出来ないかもしれないし」
と、灯の老後を思って言った。人間ってなんでこんなに短命なのだろう。可哀想に。
「それにちゃんと気持ちがわかったのに、アリアナのバカ女の所為でキスも出来なかったじゃん。俺ね、灯のねちっこいキス好きだよ?なんか俺が食われてるみたいで。本来なら俺が食う側なのにね。貴重な体験だよ。アハハッ!」
なんだか灯がガタガタと震え出した。と思ったら、とびっきりキツいゲンコツが降ってきた。
「痛ったぁい!!なんで!?」
「お前は一旦母親の腹に帰ってデリカシーを拾って来い!!」
そんなこと言われても。
「まあでも、ルナから言ってもらえて嬉しいのは事実だ。わかった、今日はおれの家で食事でもしよう。何か食べたいものはあるか?」
「それだけど、俺あれが食べたい。カリッとしたチキン、それとパリパリのパイシチューセットの奴」
この前歩いていてその某チェーン店のチキンを見てから、俺の胃袋があれを求め続けているのだ。
「そうだな、じゃあ買って帰ろうか」
「いや、今日は別々に帰ろう。俺、灯にクリスマスプレゼント用意したんだけど、嵩張るから家に置いてきたんだ。俺が取りに帰ってる間に、灯はチキン買っといて?」
「わかった……というかいつの間にそんなの用意してたんだ?お前って意外と可愛いとこあるよな」
そこで俺はフフンと胸を張って言った。
「灯さんよぉ、俺いくつだと思ってんの?もうね、300歳を超えてんだぜ?それなりに知識というものがあるんだよ……ってのは冗談で、俺んちは毎年家族にクリスマスプレゼントを贈るという面倒な習慣があってだな。両親と上の兄2人と妹2人へのプレゼントを選ぶために街を歩いてて気付いたんだ。そういや今年の俺はおひとり様じゃない!って」
これで今年は面倒な実家に帰らない理由ができた、とホッとしたのだった。それは灯には黙っていよう。
「すまないが、お前がそういうタイプだと思ってなくて、プレゼントを用意していないんだ。今日は遅くなってしまうから、明日どこかに買いに行こう」
「いやいいよ。俺が勝手に用意しただけだからさ。それよりチキンを頼んだ。これは重要度トリプルS級の任務だぞ」
真剣な顔でそう言うと、灯はクスリと笑ったのだった。
そして仕事を終えた俺たちは、署の前で「また後で」と約束して、灯はチキンへ、俺は家へと急いだ。いや急いだのは俺だけだった。
舞い散る粉雪のせいで、さらなる哀愁を漂わせる我が家に帰り付き、用意しておいた紙袋を持って再び外へ。
灯の家は、行ったことがないが場所は知っている。バディとしての情報交換内容に記載されていたからだ。
で、その住所のマンションへ辿り着いて、俺は舌打ちした。
8階建てのほぼ新築と言っても良い綺麗な外装の、シンプル且つオシャレなマンションだった。そして灯の部屋は、最上階の角部屋という、なんとも贅沢な位置にあった。
綺麗に清掃された廊下を歩き、エレベーターに乗り、8階で降りる。そしてまたツルツルに光る廊下を歩いて灯の部屋のインターホンを押した。
ちなみに俺の部屋にはインターホンなどない。従って何か用がある奴は、ドアを思いっきり叩く仕様となっている。
「早かったな」
玄関を開けてグレーのセーターと濃い色のデニム姿の灯が言った。そりゃもちろん最速で走ってきたからな。チキン目掛けて。
「チキンは?」
「ちゃんと買っておいたって」
「パイは?」
「買ったから早く入れ!寒いだろうが!」
よし、と俺は頷き、灯の部屋へ足を踏み入れた。そして思わず唸った。
「うっ…!」
「なんだ?どうかしたか?」
まず俺は、その無駄のない内装と綺麗好きな灯の丁寧すぎる掃除にドン引きしたが、そんなことより、だ。
「まずい……灯の匂いがキツくてチキンの匂いが薄く感じる」
「はあ?」
ムッとした表情で、灯が自分の服の匂いを嗅いでいる。
「別に臭くないだろ」
「そうだけどそうじゃない。もう、この際どうでも良いか。どうせ灯には全部見せたんだし」
諦めた俺は灯の方へ顔を向けた。灯が戸惑った顔をした。
「なんでだ?」
「そりゃお前の血の匂いと同じだからな。口にしてないからまだマシだけど、ご覧の通り変化はする」
「興奮してるってことか?その、そういう意味で…?」
「そんなわけないだろアホか?これは人工血液しか口にしてない弊害で、俺自身にもどうにもできないんだけど、親しい人間の匂いって、安心するんだよ。それでちょっと脳内でバグが起きる」
つまり俺の目は赤くなり、そして口を開けないとわからない程度の、少しの牙が顔を出しているのだ。
「灯だって美味しいお料理を目の前にして、その香りを味わってしまったら、ヨダレが垂れそうにもなるだろ?それと同じだ」
「つまりおれはお前の飯と言うことか…?」
間違ってはいない。が、黙って笑っておいた。
案内されるままについていくと、広々としたダイニングとリビングがあった。それだけで俺の古惚けて逆に愛らしい六畳一間よりだいぶデカい。キッチンはアイランド型で、しかも最新のシステムキッチンだ。
「ねぇ、俺と灯の給料ってそんなに違うの?」
「正確にはわからないが、おれの方には他の署員と違って機動班としての手当が付く」
なんで俺はいつもほぼ食事だけですっからかんになるのに、灯はこの部屋の家賃が払えるんだろう?人外への差別なのか?
「まあいいや」
非常に納得はいかないが、とりあえずそんなことより先にすることがある。
テーブルの上のチキンが入ったボックスが俺を呼んでる。
「ルナ」
「なに?」
お腹減った。非常にお腹が減った。もう1秒も我慢できそうにない。それなのに、灯がまた、こんどはちょっとキツめに俺の名を呼んだ。
「ルナ!」
「なんだよ!?」
「お前、さっきからチキンばっか見てるだろ!?」
「当たり前だろ!俺が大切にしてる教訓は、食い物は熱いうちに食え、だよ!」
そう言うと、灯は非常に残念だ、と言うように溜息を吐いた。
「あのな、今日はクリスマスイブで、初めておれの部屋に恋人が来てくれて、一緒に食事ができる、そんな特別な日なのに、お前はキスのひとつもしてくれないのか」
なんで?と、一瞬疑問が浮かんだが、なるほど、人間の短い生涯にとって、イベント事がどれほど重要視されているのかを思い出した。
「わかった。とりあえずチキンは忘れることにする。はい、灯」
灯へと向き直り、きゅっと目を瞑ってあげた。お膳立てとしては最高だろう。なんだか溜息が聞こえたけど知らないフリをしておこう。
しばし待つと、灯がそっと近付いてくる気配がした。それから俺の腰に手を回して軽く抱きしめると、軽く、本当に触れるだけのキスをする。それで、ギュッと抱きしめて、次の瞬間には離れていった。
「終わり?」
「とりあえずは」
「じゃあチキン食べていい?」
「……好きにしろよ」
何故か呆れ顔の灯が、食器棚からシンプルな白い皿を二枚出してきた。俺はその間にチキンのボックスを開け、パリパリのパイ生地に覆われたシチューを取り出す。
「ふぁ、良い匂い。冬が来たって感じだな。俺このパイの奴、毎年絶対食べるようにしてるんだ。一年が終わりますよ、って気分になる。ほら、俺らみたいなのは下手すると今が何月かもわかんなくなっちゃうから」
季節のない国へ行くと、本当にもう今が何年の何月かなんてわからなくなってしまう。気が付いたら80年も機動班にいる、と言う具合に。
「去年のクリスマスは何をしていたんだ?」
それぞれチキンを取り、骨から柔らかい肉を剥ぎ取って口に入れながら灯が言った。俺は香ばしいスパイスと、ジュワッと滲み出る鶏肉の旨みを堪能しながら答える。
「実家に帰ってた」
「ご実家か。どこにあるんだ?」
「東北の方。こんなところよりもっと寒いよ。この俺でももう少し厚着しないとって思うくらい」
思うくらいで、実際はしないけど。それでも実家がある山中には、毎年結構な積雪がある。俺はその雪の中で、エサを求めて山から降りてくる鹿なんかを狩るのが趣味だったりする。もちろん素手じゃなく猟銃で、だ。
「ご家族と仲が良いんだな」
「仲が良いのかと問われると、実際はそうでもない。どちらかと言えば、俺は家では無口だし暗かったから、気を遣われていると言う方があってるかも。何にせよ、今は下の妹たちの方が優先度が高い」
ふと灯の方を見ると、何やら険しい目を俺に向けていた。
「お前が無口で暗いなんて信じられない」
「まあまあ、俺にだって色々あるんだ。おい、やめろよその目!なんか憐れんでる?それとも蔑んでるの?」
肩をすくめた灯は、何事もなかったかのように食事を再開する。
なんだか煮え切らないが、まあ、今はチキンに集中することにした。
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