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しおりを挟む全体は三階建で、上から下へ向かうにつれて、深海の生き物が増えていくような作りの水族館は、平日のためか空いていた。
自然光を取り入れた水槽の前で、アリアナはいちいち足を止めて感嘆の声を上げる。
頭上を覆うトンネル型の水槽では、白いアザラシが可愛らしくこちらへ好奇の目を向けてくる。
別の大きな水槽には、イルカが優雅に泳ぎ、イルカショーとやらも人気であった。
アリアナは終始ニコニコと先を歩き、従って俺は灯のすぐそばを歩く。
下の階へエスカレーターで移動。仄暗くなった空間に、魚の群れが大群で泳ぐ円形の大きな水槽があった。アリアナはそれに目を奪われて立ち止まり、熱心に泳ぐ魚を見つめている、と見せかけて、あれは多分俺に灯と話す時間を作ったつもりなのだろう。
「あの、灯……昨日はごめん」
ソソソ、と灯の隣へ立ち、声を控えて言う。でも灯は黙ったままで、気不味くて、どうしようととりあえず続ける。
「俺さ、昔あったんだ。人間に特別な好意を持ったことが」
そして思い出す、80年前のあの頃のこと。それに付随する、いくかの出来事を。
「その頃の俺は、そうだな……出所したての犯罪者みたいな、そんな感じだった」
世の中の全てがくだらない。色彩のない、墨を塗りたくったようなそんな世界。当然自分の存在や、ましてや価値なんか、考えたこともなかった頃。
「ひとりの人間が、俺のことを見つけて、認めてくれた。嬉しかった。勘違いするほどね。俺も、自分の役割以外の他の経験をしたことがなかったから」
灯は無言だったけれど、ちゃんと聞いてくれているとわかった。
「俺はそいつが好きになった。最初は友人として。でもしばらく経つとそれは多分、恋愛的な意味になってた。俺にもそんな感情があるのかって、自分が一番ビックリしていた」
でも、そんなのは長く続かない。所詮、俺は吸血鬼。相手は人間だ。何もかも、感覚から違った。
「俺はそいつが大切だったから、機動班に入るなんて言われた日には、心配でいてもたってもいられなくて。誘われるままに俺も機動班に入った。そいつについて行きさえすればずっと一緒にいられる。そんな風に、単純に考えてた」
俺はそいつと沢山の事件に関わり、時には喧嘩もしたけれど、でも、お互いの命を預け合えるそんな関係を築いた。
「それで、さ……俺の好意には、多分あいつも気付いてたと思う。実際に最後まではしなかったけど、そういう触れ合いはあった。だけど、俺が家の所用で魔界都市を離れた間に、そいつは彼女と婚約したんだ」
彼女がいたなんて、全く気付いていなかった。それも結婚を前提にした相手なんて。
「なんで?って思ったよ。でもさ、俺は吸血鬼で、そいつは人間だ。結局理由なんてそれに尽きる。あいつはちゃんと人間として生きたかったんだ……それで、俺は笑顔を取り繕って祝福した。そうするしかなかった」
「ルナ、もういい。わかったから」
灯はそう言うけれど、俺はちゃんと最後まで聞いて欲しかった。今まで溜め込んでいた、心のうちの全てを。
「ダメだ、最後まで言わせて?」
そう言うと、灯は再度沈黙した。
「それでね、俺はそいつとはバディだったから、平静を装っていつものように事件解決のために奔走した。そんな中で、俺は……」
言葉にすると思い出す。あの瞬間の絶望感を。懺悔を。
「そいつをひとり残して、少し現場を離れた。多分、5分も立っていなかった。俺がさ、そいつの所にもどると、」
「もういい。ルナ、おれはお前をそんな気持ちにさせたくはない。だから、昨日のことは忘れてくれ」
俺は灯を無視して続けた。
「そいつはね、もう手遅れなほどにさ、俺でもすぐにわかったよ。だって、もう鼓動が聞こえなかったから……そいつはさ、家に奥さんと、産まれたばっかの子どもを残して……あの時俺がかわりに残ればよかったんだ。だったら死なずに済んだ。俺はなかなか死なないからさ」
この何十年と思い出さないようにしてきた記憶が、あまりにも鮮明に自分の中に残っていることに驚いた。
「灯はね、どこかそいつに似てるんだ。全然顔とか雰囲気は違うけど。俺が勘違いしてしまうほどに似てるんだよ」
あいつはどちらかと言うまでもなく、明るく社交的で、楽しいことが好きで、俺と共に、バカなことを平気でやる人間だった。
でも灯の言葉の端々が、そいつを思い出させる。
「ごめんね、灯。俺は自分が傷付きたくなくて、思い出したくなくて、灯の言葉を真剣に受け止めることをしなかった。怖かったからだけど……でも、俺、本当は嬉しいよ?その意味に気付いて、それでも俺は灯にそばにいて欲しい」
臆病だからこそ、自分で自分の気持ちに蓋をして。都合の良い解釈をしようとしていたれど。本当はどこかで、灯の気持ちに気付いていたけれど知らないフリをして。
結果的に灯を傷付けた。
「灯がまだ俺を、そういう意味で想ってくれてるなら、俺はちゃんとそれに答えたい……ダメかな?」
もう遅い、と言われても仕方ない。時間の感覚は人間と吸血鬼では違うし。
灯が徐にこちらを向いて、はぁと溜息を吐き出した。
「おれは、結構傷付いたんだぞ。お前も同じなんだと思ったからな」
「ごめんね」
ヘラっと笑って誤魔化す。もうダメならダメでもいい。せめてこの気不味い雰囲気が消せるなら。
「お前のことは、初めて出会った時から目が離せなくなった。それを一目惚れというんだと気付いた時、有り得ないとも思った」
そりゃそうだろう。何度も言うが俺は吸血鬼で、灯は人間。たまに異種族ものの恋愛ドラマなんかが流行るが、実際はあんな風にハッピーエンドにはならない。
「以前それっぽい事を言ったが、お前を避けていた本当の理由は、おれ自身が傷付かないようにしたかったからだ。しかしお前は奔放で遠慮を知らなくて、そう思うと急に何処か遠い目をする。結局目が離せないでいることに気付いた時、この気持ちはもう抑えられないんだと思った」
俺が思っている以上に拗らせているなぁ、とちょっとだけ灯のことが可愛く思えた。
「昨日は本当に嬉しかった。お前もおれと同じだと思ったから。だけどお前は次の瞬間にはやっぱりお前のままだ。心が折れそうだった」
「ほんと、ごめんね!我ながらデリカシーというものを、母親のお腹に置いて来たなって思ったよ」
「自分で言うな」
これはもう、俺の産まれた境遇の所為といえばそうなのだが、俺は昔から、他人のことを思いやるとか、気持ちを考えるとか、そういうものと縁遠い生活をしてきた弊害だ。
「ただ、お前の今の話を聞いて、おれのこの気持ちのせいでまた辛い思いをさせるのなら、最初から手を出さなければよかったと後悔してる」
「そうだよね。うん!わかった!じゃあ今まで通り、俺たちは、」
バディとしてやっていこう、と言う前に。
「おれはその、お前の最初のバディにはなれないが、簡単に死なないように気を付ける。それで、お前の側にいると誓う。バディとしても、恋人としても」
と言って、急に恥ずかしそうに顔を赤くしたかと思えば、そっぽを向いてしまった。
「悪い、気が早かっただろうか…?」
「そんなことないよ!嬉しい!俺は灯が好きだよ。それに最初のバディの代わりが欲しいわけじゃないからさ、灯は灯でいてよ」
ニッと笑ってやると、灯も柔らかい笑顔を向けてくれた。
「お話は終わったようですね。昨晩はどうなることかとヒヤヒヤしましたが、上手くいって良かったです。ね、ルナリア様」
「アリアナが気を遣ってくれたからだよ。ありがと」
満面の笑みを浮かべて近付いて来たアリアナに礼を言う。こういう時はハイタッチでもするべきか?と両手をあげようとした、が。
「……なあ、ちょっと待て。どういう事だ?」
怪訝な顔の灯のせいで、俺は手を引っ込めた。
「どういう事って、昨日の俺と灯のやりとりを聞いてアリアナが、俺にアドバイスしてくれたんだ。灯とちゃんと話せって」
「昨日?」
「うん。俺と灯がヤった後の、」
「ウソだろ…?」
サッと青ざめた灯だ。なるほど、こいつは気付いてなかったようだ。
「まあ、隣の部屋の音くらいは余裕で聞こえてるのが吸血鬼というものだからね」
「おまっ、早く言えよ!?」
「はぁ?お前もわかってやってんだと思ってたんだけど!だいたいお前が急に押し倒してきたんだから!俺もそりゃびっくり仰天するだろ、普通!それに聞かれて恥ずかしいのは俺の方なんだからな!!」
途中でわけがわからなくなって、アリアナの存在を忘れていたのも事実だが。
「お前は……本当に母親の腹にデリカシーを置いて来たんだな」
はあ、とため息を吐く灯を見て、アリアナがクスクスと笑みをこぼす。
「もうなんでも良いではないですか。それよりわたくしは、ルナリア様に恋人ができてとても嬉しいです。今までは……そんなこと許されませんでしたから」
「アリアナ、あんまり余計な事言わなくてもいいから!」
ごめんなさい、とアリアナが肩を落とす。しかし俺はその目に浮かぶ警告をしっかり理解した。
灯のことが好きなのは本当だ。でも恋人だとか云々を、同族に知られてはいけない。もしバレでもしたら、次の日には灯の命はないだろう。
アリアナが言うように、これは灯が死ぬまでの、ほんのひと時の幸せだ。その後は家に帰ることになる。
だから今だけは、何も考えずに灯との時間を過ごしたい。これは俺の、最後の望みなのだから。
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