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しおりを挟むガチャリと部屋の扉が開いた。
顔を出したのは、冷たい目をしたアリアナだった。
「ルナリア様はお疲れでお休みになられました」
と言いながら、入るようにおれを促す。
「あなたは今、あなたの不注意で、ルナリア様を傷付けるところでした。その自覚はありますか?」
自分より幼い見た目の少女だが、その声音には年月の重みが滲み出ている。
まるで自分など、虫ケラとでも思われているのだろう。そう感じさせる声だ。
「あなたがもし、砂漠に放り出され、限界まで乾きを覚えている時に、目の前に冷たい水を出されたら……飲まずにいられます?」
わかっているつもりだった。ルナのバディとして。
でも全然、何もわかっていなかった。それがどれだけ大変な事なのかを、考えたこともないかもしれない。
なにも言葉が出てこない。何かを言ったところで、それは言い訳にしかならない。
「いつもあなたはルナリア様に守られているのですよ。あなたはルナリア様とバディになってから、大きな怪我をしましたか?全てルナリア様が庇ってきたのではないですか?それはあの方の優しさではないのです。ただ自分という人外から、あなたを守るためなのですよ」
そんな至極真っ当な説教を聞きながら、それでも心配で、ルナの様子を伺う。
アリアナが深くため息をついた。
「その前に、あなたの手を何とかしてくださいませ」
言われて気付く。切ってしまった指の血は止まっていたが、痛々しい裂傷がそのままになっていることに。
勝手知ったる我が家のように、救急箱を取り出して大きめの絆創膏を傷に貼り付ける。
それからルナの元へ膝をつく。ルナは、頬や顎を真っ赤にして眠っていた。
「これ、は…?」
戸惑いつつ振り返れば、アリアナが腕組みをして近付いてきた。
「わたくしたちは、最初から誰しも吸血衝動をコントロールすることなんてできません。幼少の頃は、とにかく人間に近付いてはならない、と教えられ、屋敷に篭って生活をします。やっと外の世界を見られるようになる頃には、わたくしたちの成長は、より緩やかになり、そして血への欲求を意志の力で抑え込めるようになっているのです」
ただ、とアリアナは続ける。
「吸血衝動をコントロールするには、ひたすらにそれに耐え、適度に人間の血を貰い、そして体に慣れさせる。そうやって学ぶものなのですが、そうもいかない時が、誰しも何度かあるものなのです」
どうしても衝動を抑えられない、コントロールできない、そんな吸血鬼には。
「わたくしたちが、物理的に阻止します。あなた方機動班がもつ、その忌々しい制御装置と同じように」
では、アリアナは先ほど、ルナを気絶させようと考えていたのだろうか。
「フフ、灯さんの表情はとてもわかりやすいですわね。そうですね、わたくしも一応はあのお方を気絶させようかと考えてたはいたのですが。まず無理でしょうね。そしてわたくしが負けて灰になった後、次はあなたの番でしょうね」
「そんな……でも、結果的に上手くいったんじゃないのか…?」
この状況を見ると、アリアナのおかげで解決したように思えるが。
「わたくしは最後まで何もしていません。全てルナリア様の意思の力です……わたくしたちが、どうしてもひとりで、自身の欲求と戦わなければならない時には、自分の血を摂取するのです……とても不味いですから」
そういうことか、とおれは納得した。
つまりルナは、必死で自分の腕に噛みついて、本能的な衝動を抑え込んだのだろう。
「おれが……制御出来ていれば、」
「いいえ。ルナリア様はあなたにはそれを使って欲しくないと思いますよ」
前にルナはおれに言った。制御装置を使う練習でもしておけ、と。咄嗟に行動できなかったことが悔やまれる。
それなのに、アリアナはまた別の発言をするのだ。
「なぜですか?」
「あの方が機動班に入られた頃に、何度かご実家でお会いしたのですけれど……その頃と同じように笑っておられますから」
おれには80年も前のルナを知りようがない。
「ルナの最初のバディを知っているんですか?」
「直接は知りません。お顔を見たこともございませんが、一度、機動班とはどういうところで、どんなことをするのと、尋ねたことがあります」
そこで照れくさそうに、ふふと笑みを溢す。
「わたくしもまだ世間知らずで、同世代の同族にありがちなお話でお恥ずかしいのですが……ルナリア様に憧れていた時期がありまして。とりあえず、一言でも多くお話がしたかったために出た質問だったのだと思います」
それからまたニコリと笑いながらアリアナは続ける。
「元々とても冷たいお方で、」
「ちょっと待ってください、ルナがそんな、」
「信じられないかもしれないのですが、本当に近付き難い冷たいオーラのようなものを纏った方だったのですよ」
思わず、マジか!?とご令嬢の前で叫びそうになった。
「でも機動班の話をしてくださった時は、すごく穏やかで、楽しそうに笑っておられました。何か、そこで出会った人間に変えられてしまったのでしょうね。その頃と同じように、灯さんの前でも笑えるのですから、ルナリア様は灯さんと良い信頼関係を築けているのだと思います」
できるだけ、それは使わないようにしてくださいね、とアリアナは言って、自分の宿泊しているホテルへと帰って行った。
護衛を任されたこちらとしては、職務放棄になるのかもしれない。でもそんなことよりルナのことが気になったし、アリアナも何も言わずにいてくれた。
すぅ、すぅ、と寝息立てるルナは、いつにも増して幼く見えた。汗で張り付いた前髪を払うと、白い顔が月明かりに照らされて自ら輝いているようだった。対照的な赤い血の色が、そこにどこか人間にはない美しさのようなものを滲ませている。
おれはそっと、起こさないように動いて、濡れたタオルとガーゼ、それから包帯を持ってルナの前に座った。
まず顔の汚れを拭き取り、それからそっと傷付いた腕を軽く持ち上げてみた。両腕にあるその噛み跡は深く、ポッカリと二つの穴を穿っていた。それが何箇所もあるのだ。どれほどキツかったかなんて、人間であるおれにはわからない。
「ごめんな……おれが悪かった。次からは気を付ける。だからまだ、おれのバディでいてくれよ」
そんなおれの我が儘を呟きながら、ルナの手当てをしてから、おれも自分の家に帰った。
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