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しおりを挟む客船でのパーティー当日。
船内で合流したルナは、何と言うかどこかの貴公子か、王子様のような出立ちであった。
全体的に黒が基調だが、短めのジャケットには繊細な刺繍がしてあり、細い腰を強調するような細いパンツスーツ。そしてこれまた華奢な体を隠すような厳つい編み上げの、膝下まであるブーツを履いていた。
「なに?なんか変かな?」
そう言って自分の衣服を見下ろすルナだ。
「似合うな」
おれは素っ気なく一言呟く。ウンザリしたようにルナがため息を吐き出した。
「それがさぁ、パーティー用の服を送ってって実家に連絡したらさ、こんな、まあ、悪くはないけど、なんだか目立つ奴ばかり送ってこられてさ」
仕事で着るからって言ったのに、とブツブツ文句を言うルナが可愛くて、おれはそっと微笑んだ。
いつからだろうか。出会った時からなのか、それとも違う理由があったのか。自分でもよくわからないが、おれはルナが好きだ。
友人やバディとしてではなく、一個人として好意を持っている。
だから、素っ気ない態度をとって、あまり関わらないようにしようとしていた。相手は吸血鬼。おれはただの人間だ。しかしそれが間違っているとは、最近気付いたところだ。
何に惹かれたなんて正直わからない。
あるいは、おれが6歳の時に助けてくれた吸血鬼と重ねたのかもしれない。
だけど、おれのこの気持ちは本物だ。じゃないと甲斐甲斐しく世話を焼いたりなんてしないし、あわよくば触れようとも思わないだろう。
「灯、そろそろ開場だよ」
「ああ、そうだな」
おれたちは揃って、客船の豪華絢爛な広間へと向かった。一目で高価だとわかる花瓶やオブジェが並び、足音を立てない豪華な絨毯が敷き詰められた会場。そこが船上であることを忘れてしまいそうだ。
さらに、おれが見てもわかる、様々な著名人がそこらにいた。人外も人間も問わず、皆が楽しそうに世間話に花を咲かせている。
ガヤガヤと騒がしい船内。隣には着飾ったルナ。
ルナはやっぱり慣れているのか、その場の空気に馴染んでいるようだった。
「なあ灯、ちょっと食事に行ってもいい?お腹空いたんだ」
「別に良いが、くれぐれも変な行動はするなよ」
「はいはい、ちゃんと弁えてますよー」
べーっと舌を出して、料理が並ぶ長方形のテーブルへと向かう。そんな姿を、おれは微笑ましく見つめる。
ルナが白い皿を手に、料理を見つめていると、そこに二人の女性が話しかけた。
あのアホはインカムの電源を入れたままで、会話がおれに筒抜けである。
「あら、ルナリア様ではありませんか」
「お久しぶりにお目に掛かりますわね」
黄色いドレスと青いドレスの女性だ。話しかけられたルナは、手に持っていた皿をテーブルに置いてから、まるで貴族のように一礼した。答えるように女性二人も礼をする。
「お久しぶりですね。お姉様方は、お元気そうです何よりです」
おれは耳を疑った。ルナの丁寧な言葉遣いを初めて聞いた。
「ルナリア様こそ、お元気そうですわね」
「まだあのお仕事を続けてらっしゃるのかしら?」
「そうですね…俺は人間が嫌いじゃないですから」
フフッと女性二人が笑う。なんだか嫌な笑い方だった。
「ではまだまともな食事をされてないのですね」
「そういうことです。同族としてはあまり良い気がしないのもわかりますが、それが俺の生き方ですので」
ルナは自然に笑顔を浮かべているが、女性二人はなんだか値踏みするような目を向けている。その瞳が赤かったから、彼女らが吸血鬼だとすぐにわかった。
「そうね。人様に口出しするわけにはまいりませんわ。特にルナリア様には」
「いえ、お姉様方の言うことには、俺もちゃんと耳を傾けなければなりません」
「有難いお言葉ですわ。それではまた、社交界でお会いましょう。あなたが来ないとつまらないと言う者が多いのよ」
そうですか、と答えつつ、また一礼するルナ。女性二人もまた礼をして、そそくさと離れていった。
やっとひとりになったルナが軽くため息を吐く。
そして再度皿を持ち、料理に集中しようとした、その時。
またもルナに近付く者がいた。
「お久しぶりでございます、ルナリア様」
一瞬驚いて、皿をテーブルに戻したルナが振り返る。
そこには老齢の紳士と、幼なげな金髪の少女がいた。
「久しいな、グレイ卿」
「ルナリア様もご健勝のこと、何よりでこざいます」
ひとしきり挨拶の言葉を交わした二人。
老齢の紳士が話題を振る。
「ルナリア様、まだ人間の側でご活躍とか。そろそろこちらにお戻りになり、後継をお作りになるご年齢かと」
「そうかもしれないが、俺は今が楽しい。後継だなんだは、兄たちに任せている放蕩息子だ」
ルナは苦笑いを浮かべている。兄がいることを初めて知った。
「しかしながら、あなた様のような家の者が、三男とはいえ後継を作らないわけには参りませぬ。そこで、私の末の娘を紹介に上がりました」
言われて一歩前に出た金髪の少女は、緊張し過ぎて歯の根が合わない声で自己紹介を始めた。
「グレイ家の末子、アンリと申します。お見知りおきくださいませ」
心底迷惑そうなルナだったが、愛想笑いを浮かべて答える。
「よろしく、アンリ。また機会があればその時はよろしくお願いするよ」
アンリが顔を赤くし、一歩下がって父の隣になおる。
「それではルナリア様、またゆっくりとお会いいたしましょう。ご両親にもよろしくお伝えください」
「ああ、わかった」
去っていく二人を見送り、何度目かのため息をついたルナが皿を手に、これでもかと料理を乗せて戻ってきた。
「悪い、盗み聞きするつもりはなかったんだが、お前のインカムがオンになっていた」
「あ、ほんとだ。まあいいけど」
壁にもたれかかり、ひたすら食事を口に入れるルナに、おれは疑問を投げかけた。
「お前の名前だが、ルナリアというのか」
「そうだよ。女みたいな名前だから嫌いなんだ。母がさ、上の兄たちは男だから、次こそは女の子が欲しいって名付けたんだけど、俺も男だったわけだ」
へぇ、とひとつ頷き、さらに質問を投げかける。
「お前は吸血鬼の中で意外と上の立場にあるのか?」
そこでうーんと唸ったルナだ。
「そうでもないが……俺は人気者なんだ。この歳でまだ誰とも婚姻関係を結んでいないし、ほら、俺ってば容姿だけは良いからさ」
茶化しているのか、本気なのかはわからないが、どうやらまだ何か秘密があるのだろう。
「そんなことより、このテリーヌめちゃくちゃ美味しいよ!灯のも取ってきてあげようか?」
「仕事中だ」
おれの言葉に反応するように、ルナのお腹がぐう、とマヌケな音を立てた。
「俺さ、今回の作戦、向いてないと思う」
突然そんなことを言うから、おれは怪訝な顔をした。
「何故?」
「ここには俺の顔見知りが多すぎる。それに俺の家のことを知っている奴らばかりだ。隠密行動をしようにも、目立ってしまって上手くいかないかもしれない」
そう言うルナには、会場の一定数から視線が集まっている。それらは多分吸血鬼だろうが、中には人間だとわかる者も、一様にルナの方を気にしているようだった。
「灯と話していれば、わざわざ声をかけにくる勇気のある奴はいないと思うけど、ほら脅迫状の内容的に、俺はいなかったほうが良かったかも」
そう、そもそもこの船上パーティーを態々機動班や署の捜査官が厳重に警備することになったのは、2週間前にパーティーの主催者あてに届いた一通の手紙からだった。
『来賓であるアリアナ嬢を殺す』
というような内容のその手紙は、2週間前からの捜査では誰が送り付けて来たのか不明のままだ。
このアリアナ嬢という人物は、ハイネスト家という様々な企業に出資している大富豪の令嬢で、この日本海域で命を落とすことになれば国際問題に発展しかねない、そんな立場の女性だ。
ルナが懸念している問題も、ハイネスト家に由来するものだった。
「あっちは俺のことなんて、まったく、これっぽっちも覚えていないと思うんだけど、何十年か前に顔を合わせてるんだよねぇ」
はぁ、とため息を吐き出すルナである。
ハイネスト家は吸血鬼だ。そのために、この船上パーティーに参加している4割くらいの客は吸血鬼。
そしてルナは、その吸血鬼の中でも一目置かれる存在であるらしかった。
「まさかこんなに知り合いがいるなんて思わなかったよ。アイツら、俺が機動班で働いてることも何故か知っているし、だから今日俺がここに居るってだけで、何かの捜査だろうかってわかっちゃうんだよね」
基本的にそうとはわからないように捜査するのが鉄則だ。目立つようなことをすれば、犯人は犯行を次に持ち越してしまう可能性がある。
そうなると、次はいつ、どこで狙ってくるかわからない。そんな泥沼状態と化してしまう。
「早いのはアリアナを囮にすることだけど、そんな提案が通るわけないよね」
「当たり前だ。というより、そんな大胆な発想を思いついて口に出せるのはお前くらいだ」
各企業や名のある家の紳士淑女から取り囲まれ、楽しそうに談笑している上品を絵に描いたようようなアリアナ嬢を、囮にしようとルナなら真剣に、しかも本人に言いかねない。
「だいたいさ、あの女も吸血鬼だよ?それを殺すって、本気でできると思ってんのかな?」
「おい!誰が聞いてるのかもわからないんだ。あの女呼ばわりするのはよせ」
とは言え、ルナの言い分もわかる。おれが今この至近距離でアホずらをして食い物を咀嚼しながらぺちゃくちゃとおしゃべりしているルナにさえ、傷ひとつ付けることはできないだろうから。
「あのおん……ゴホン、アリアナを狙うんだから、犯人はきっと大勢で、しかも人外で、吸血鬼多めで攻めるね。俺なら」
などと身も蓋もない事を言いつつ、ルナは呑気に食事を続ける。
なんとも自分勝手な奴なのだ。
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