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 ボンヤリと意識が浮上して、でもまだ眠くて微睡んでいると、灯の声が近くでした。

 いつもの消毒液と、何か薬品のような臭いがするから、ここは人外専用の病院兼研究所だろうか。

 そんなところにどうして灯が居るのだろう。ここは人間には用のない場所のはずだ。

「こんなに眠るものなんですか」

 また灯の声がした。

「いやぁ、普通じゃないと言えばそうなんだけどね。ルナくんの場合は特殊だから」

 俺の話をしているのは、ここの医者で研究職の内川さんだ。40歳後半の汚い白衣のおっさんで、ここで吸血鬼について研究している。そして俺の主治医みたいなものだ。

「特殊って…どう言う事です?」
「そりゃあ本人に聞きなよ。患者の個人情報だからねぇ」

 沈黙。灯は口数が少ないし、内川さんは飄々としているので、会話が続かないみたいだった。

 その沈黙を破るのは、いつもながらまったく空気を読まない俺の腹の虫だ。

「お腹空いた」

 そんな俺が目を開けて一番に考えたのは、ハンバーガーが食べたい、だった。それも腹一杯。

「ルナ…やっと起きたか」
「やっと?俺そんなに寝てた?」
「ざっと丸2日寝ていた」

 そりゃお腹が減るわけだ。

「もう大丈夫なのか?」

 と問う灯に、内川さんが代わりに答える。

「大丈夫だと思うが、しばらくその腕は使えないよ。ビルの12階から落ちて、左腕の骨折だけで済むんだから改めて吸血鬼は凄いねぇ」

 そう言われて、左腕がギプスで固定されていることに気付く。ナイフが貫通した手のひらは、包帯でぐるぐる巻きだった。

 ベッドから降りると、2日寝ていたせいか足元がふらついた。そんな俺を、灯が咄嗟に支えてくれる。俺より太くて逞しい腕だ。羨ましい。

「悪い。ちょっと目眩がした」
「本当に大丈夫か?」

 眉間に皺を寄せて険しい顔の灯だった。心配しているのか怒っているのかイマイチよくわからない。

「大丈夫、大丈夫!それよりお腹空いた。もう帰っていい?」
「構わないよ」

 内川さんに許可を得て、俺は帰宅することにした。とりあえず仕事の方は俺はしばらく休みで、バディのいない灯はひたすら雑務を任せられているらしかった。

 病院を出ると、そこで解散かと思っていたが、灯は意外な事を言い出した。

「その……怪我はおれのせいでもあるから」
「ん?そんなの気にするなよ。ほら、俺って頑丈だしさ」
「だからってお前の痛みは変わらない。誰だって怪我をすれば痛いものだ」

 300年ほど生きて来たので、俺にとって痛みが何か、もはやわからない。それでも灯は、申し訳ないという表情をしていた。

「だから、お前の怪我が治るまで、おれに手伝わせてくれないか?」
「何を?」

 首を傾げる。灯はちょっと恥ずかしそうにした。

「その、だから、お前の身の回りのことをだな……家事とか大変だろうと思って……」

 ここ10年で一番ビックリした。意外だ。てっきり「早く治せ」とか、「お前のせいで仕事ができない」とか、そう言う男だと思っていた。

「いやぁ悪いしいいよ。なんとかなるし」
「それじゃおれの気が済まない」

 本当に申し訳ないという顔をするので、俺の方が申し訳なくなってきた。

「じゃ、じゃあ、俺んち来る?」

 ガンとして譲りそうにない頑固な灯のことだ。どうせ俺が折れるまで言うに決まってる。

「そう言えばお前の部屋の鍵、一度も使ったことがないな」

 と言うのも、俺たち人外を管理・監視する為に、バディを組んだ時点で合鍵を預ける事になっている。まったく、俺たちには人権がない。人外だけに。

 灯は本当にビジネスパートナーのような関係だったし、俺も仕事以外は基本的に家を出ないので、今まで問題なしだった。

 俺と灯は黙って俺の家までの道を歩いた。特に話す事もない。しかしこの沈黙。いつまで経っても慣れない。

 途中で某ファストフード店でこれでもかとハンバーガーを買い込んだ。油の良い匂いがするビニール袋を灯が持ってくれて、そしてまた歩き出す。いつもなら食べながら歩くところだけど、袋に手を伸ばそうとした途端睨まれてしまったのだった。

 さて、俺の家だけど。

 歓楽街の路地裏の、そこに道があることなんてとうに忘れ去られたであろう一画の、これまた築うん十年のボロアパートだ。ビルとビルに挟まれて、まともに陽も差さないようななんとも奥ゆかしい佇まい。

「汚いな。こんな所に人が住めるのか……」

 と、呟いた灯を俺は忘れない。俺以外の人間の住民に失礼だぞ。

「まあ、住めばなんとやら、だ。家賃安いし」

 俺の給料のほとんどは飯代なので、住む場所は安ければ安いほど助かる。

 二階建てのアパートの、俺の部屋は一階の角にある。真上には常に喧嘩している所謂ケンカップルが住み、隣は一日中酒を飲んでいるジジイだ。

 壁が薄くて生活音が丸聞こえだけど、それも慣れて仕舞えばどうって事はなかった。

 部屋のドアを開け、先に室内へ入る。

「何もないけど上がってよ」

 と、部屋の電気をつけた。するとどうだろう。いつも無表情の灯の顔色が青ざめた。

 部屋は畳敷の六畳一間。少し大きめのキッチンと、かろうじてバストイレ別の、俺からすると至極真っ当な部屋だ。

「うっ……お前、よくこんな部屋で生活できるな」
「ほら、住めばなんと、イテッ」

 容赦ないゲンコツが俺を襲う。

「どうしたらこんなにゴミが散乱するんだ?しかもコンビニ弁当やカップ麺ばかり……もう少し体のことを考えたらどうだ」

 灯の言い分は正しい。俺もどうしてこんなにゴミだらけになるのかわからないが、所謂汚部屋というやつに、灯はドン引きしたようだった。

「そんなこと言われても、ゴミなんていつ出せばいいかわからないし、俺は人間と違って病気にならないし」
「そう言う問題じゃない」

 ぐうの音も出ない。ため息を吐いて、灯はイヤイヤ部屋にあがった。俺は買って来たハンバーガーの袋を受け取り、早速ひとつ取り出して食べようとしたけど、灯に手を洗えと言われて、しかたなく洗面所へ向かう。

「いただきます!」

 やっとありついた食事だ。2日も食べていないから、瞬く間に消費していく。

 その間灯は、かろうじて放置してあったゴミ袋を手に、いそいそとゴミ拾いを始めた。時々舌打ちが聞こえて来るけれど、ハンバーガーに夢中の俺は聞こえないフリをした。

 満腹になると今度は眠気が襲って来る。

 病院で借りた衣服を脱ぎ捨ててパンイチになると、いつもそうしているよに部屋の隅の寝床へと移動。乱雑に放置された毛布に包まってうとうとする。

「ベッドくらい用意したらどうだ。それから服を着てくれ」
「別に両方なくたって困らないよ」

 呆れた灯の声に答えて、俺は夢の世界へ旅立った。
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