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しおりを挟むそれから二週間程は周りの人達のおかげで、普段通りの生活ができた。
ユウとは連絡を取り合っていて、しばらくホームから出ていないから退屈だと話していた。
ストーカーの嫌がらせは続いている。グループホームにまたあの写真や、外で俺とユウが合っているところを隠し撮りしたものが送りつけらることが度々あった。それは俺の仕事場へも同様だった。
しかしそれ以上悪化することはなく、証拠になるようなものもないため、しかたなく無視してやり過ごすことにしている。
なんでもひとりで立ち向かって、抱え込んでいた自分が本当にバカだったんだと思い知った。
少し顔を上げて、辺りを見回せば助けてくれる人は沢山いた。
そこにnormalもDomもSubも関係ない。みんな、俺という人間を知って、手を貸してくれている。心配してくれる。
有り難かった。それにとても心が満たされた。
汚いことをして金を稼ぎ、それを家族のためだと言い訳して、挙句、その頃の客だと思われる人間に嫌がらせまで受けている。
負い目がないわけじゃない。だってそもそもは俺が蒔いた種でもある。決してユウは悪くないけど、俺たちは、そういう危険も覚悟で仕事をしていた。結局、覚悟が足りなかった。
身近な人が傷付けられるかもしれない。そう考えながら過ごすのはとても辛い。
そんな思いを、理解して寄り添ってくれる人たちが沢山いて、確かに人との繋がりを感じて、そんな瞬間は心が暖かくなるのだと知った。
何より理人さんがいてくれることが、とんでもなく心強い。
好きな人が傍にいるだけで、人はどうして、こんなにも強くなれるんだろう?変わることができるんだろう?
辛いことの方が多かったはずなのに、それら全てを含めて、今、この人の隣にいる為だったんだって思える。
いつだったか理人さんが、君がいるだけで世界が輝いて見える、なんてことを言っていた。俺は恥ずかしくてふざけんなとか、なんか暴言を吐いたけど、でも、本当はすごく共感した。
朝がくることが怖かった。陽が射しても俺の前だけは真っ暗だった。何にも興味を持てなくて、何を食べても味なんか感じなかった。
今ではそんな感覚も思い出せない。
人って、キッカケがあればコロッと別人に変わるんだと思う。それくらいのレベルで、俺は前の自分とは違うと自覚している。
毎日が楽しい、なんて、そんなことを思える時が来るなんて思ってもいなかった。もちろん、目下嫌がらせという目にはあっているんだけど。
仕事終わり、駅へ向かっていると目の前に見覚えのあるマッシュ頭があった。
岡山だ。
以前の俺なら、気付いてないふりをしてそのままにしていた。だけど、ちょっとだけ変わった俺は、声をかけてみようと思った。友達になりたいって言ってくれたから。
「お疲れ様、岡山」
「え?ああ、お疲れ様っす!」
振り返った岡山がニカッと笑った。ちなみに、岡山とは何度かメールのやりとりをしていて、理人さんが岡山岡山と呼ぶので、俺もなんとなく岡山で定着している。怒らない歳上の岡山は優しい。
「今帰りっすか?」
「うん。岡山は?」
「おれもっすよ!部長はちょっとだけ残業っす」
聞いていないのにな、と苦笑いを浮かべる。それから良いことを思いついた。
「ねぇ、理人さんが仕事終わるまで、どっか付き合って」
「え!?全然良いっすよ!っても、おれ怒られません?」
「連絡しておけば大丈夫。それに俺今ひとりで帰れないから」
首を傾げる岡山を連れて、近くの居酒屋へ向かった。
まだ時間が早い為、店はそれほど混んでいない。案内された席に着いてすぐ、理人さんへメールすると、すぐに了解と返信が来た。
「ひとりで帰れないってどういうことっすか」
とりあえず生ビールを頼む。岡山が一気に半分くらい飲んで、反対に俺はチビチビと口をつける。そうしないとすぐに酔っ払ってしまうから。
「簡単に言うと、ちょっとした嫌がらせを受けてて、あんまりひとりになるなって言われてる。だから岡山がいてちょうどよかった」
都合がつく時には、理人さんが迎えに来てくれるが、そうじゃない時はひとりで帰るしかない。朱美さんたちが気を遣って送っていくと言ってくれるけど、何度もはさすがに気が引ける。
今日は偶然にも岡山と会えたから、理人さんを待つついでに息抜きもできる。
「大丈夫なんすか?」
「うん。今のところそんなに大したことされてないし」
その所為で有力な証拠も手に入らず、警察にも届けられていないのだけど。それに元風俗店勤務のSubのストーカー被害を、警察が真面目に取り合ってくれるかと問われれば、些か疑問が浮かぶ。
自業自得だと言われかねない。世の中はやっぱり不公平だ。
「部長がいれば怖くて手が出せないっすね」
「理人さんってみんなにどう思われてるんだ」
時々聞く自分の彼氏の評価は、みんなちょっと、アレなところがある。ぱっと見は完璧エリートサラリーマンに見えるけど。
「こんなこと恵介さんに言うのもなんですけど、部長はものすごい二重人格っすよ。まあ、勝手にそう思ってたんですけど、前にテーマパークで会った時に確信したっす」
岡山の最初のイメージは最悪だったな、とふと思い出す。殆ど俺が嫉妬していただけだけど。馴れ馴れしいヤツだな、という印象は変わらないが。
「あの時から付き合ってたんすよね?」
「まあ、そうだけど」
「恵介さんが合流した時の、部長の目が一瞬変わったんすよ。まるで誰も手を出すなって感じで。部長って誰にでもニコニコしてるけど、そうやって時々ものすごい怖い目をするんです。部長と恵介さんはパートナーでもあるっすよね」
俺は思わず口にしたビールを吹き出しそうになった。
俺たちは基本的にnormalと変わらない。見た目も能力も、第二性は関係ない。もちろん個人的な問題でもあるため、世間に公表したりもしない。未だに偏見の目があるのも事実だ。
「おれの両親はパートナー同士で結婚したんで、なんとなくわかるんすよ。あ、おれはnormalっすけど」
岡山が何事もなく言う。
「部長はいつも誰にでも優しくて、だからちょっと、おれみたいな奴に舐められたりするんですけど、本当に守りたいものにはあんな強い目で、誰よりも執着するんだなって、そんな絶対的な愛情って、おれみたいなnormalにはわからないものだから、すっげぇ羨ましいなって思うんすよ」
普通に結婚して子どもを作って家族になって、そういうのが本当の幸せだと思っていた。俺には無理だと、妬んだりもした。
岡山の言葉は、そんな俺にちょっと響いた。
「俺は自分に自信がないんだ。いつも間違ってばっかりで、理人さんがどうして俺なんかを選んでくれたのか不思議でしかたない」
絶対的な愛情を向けられるほど、俺になにか特別なものがあるとは思えない。
「そんなの、おれがわかるわけないじゃないっすか。normalにはわからない、運命の出会いなんだと思うっすよ。息をして、食事して寝る。それと同じ第二性の本能で、お互いのことが必要だと思ったんなら、それ以外の理由はないと思うっすよ。そういうもんでしょ、本能って」
「岡山……なんか尊敬した」
「おれの有り難みがわかりました?部長にも言っといてくださいね!」
変わらぬ軽薄な態度で戯ける岡山だけど、俺は涙が出そうで堪えるのに必死だった。
normalから羨ましいなんてこと、初めて言われた。厄介なだけだと思っていた本能を、ここまで肯定してくれたnormalはいなかった。
ずっと、同じSubどうしじゃないと友達になれないって思ってた。どこか引け目を感じるのはやめられなかった。ユウとは、だから遠慮なく同じ目線でいられて楽だった。
本当に岡山はいいヤツだ。理人さんが可愛がっているのもわかる。
岡山が二杯、三杯と生ビールを飲み、気になる一品料理をたくさん注文して、楽しい時間を過ごすことができた。
気付けば来店から二時間が経っていて、理人さんからの連絡はまだない。
かわりに、ユウからメールが一通届いていた。
テーブルに置いたままのスマホの、メール受信通知をタップして確認する。
「ん、なにこれ?」
画面を見ながら呟くと、だいぶ赤い顔をした岡山も覗き込んできた。
「位置情報じゃないっすか。その地図タップすると詳細がわかるんすけど」
言われた通り画面をタップすると、地図が表示される。その中央に赤いピンがひとつ付いている。
「地区再開発中のエリアっすね。その先に取引先があってよく行きますよ、その辺」
「俺の住んでる地区だ……」
「あ、じゃあ部長と家も近いんすね!あと二年くらいしたら、今より賑やかなエリアになりそうっすよね。新しいマンションとかバンバン建ってるし」
岡山の言う通り、新築の一戸建てやマンション、アパートが建てられ、古い建物が軒並み取り壊されている。新しいスーパーなんかも誘致予定で、同時に、解体途中の建物が多く、子どもの登下校には気を使う。
そんな所の位置情報を、なんでユウが送ってきたんだ?
不思議に思うと同時に、何とも言えない焦燥感が襲ってくる。
「ごめん、岡山!俺、帰らなきゃ!」
「え?部長は?」
ちょっと、と岡山が声を上げるのも構わず、俺は席を立った。
「今度飯代返すから!」
それだけ辛うじて伝えると、俺は店を飛び出した。
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