上 下
30 / 35

第30話 拠り所の無い願い……

しおりを挟む
 



「ああああ……、もうマジ面倒くさい……」



 リビングのテーブル上に宿題を広げながら、夏樹はうんうんと頭を抱えた。

 8月ももう中盤。来週からは2学期が始まるというのに、夏樹の宿題は未だ半分も終わっていない。

 僕との逢瀬を経て、幾分か淑やかさを得た夏樹だったが、宿題という苦行の前では未だ男勝りな素が出る。

 着慣れてだるだるになったTシャツの襟口からは、ブラジャーの紐がはみ出て見えている。以前、詩乃さんが買って来た物だ。


「算数なんか出来なくたって生きていけるわよぉぉ……!」
「いやいや、このご時世生きていけないよ……」


 夏樹に苦笑しながら、僕は手に持った2つグラスの内、1つを夏樹の前に差し出した。

 中身は氷入りのサイダー。夏樹はそれをグイと飲み干して、

「……けぷっ!」

 と、可愛らしいげっぷを一つ……。


「舜、何かのんびりしてるけど……宿題はやってるの!?」
「僕はもう七月中に終わってるよ」
「う、裏切り者っ!!」


 涙目をした夏樹の恨み節を受け流しながらーー。

 僕はもう1つのグラスを、


「秋保、はい……」
「あ…………」


 夏樹の向かい側で、同じく宿題を片付けていた秋保の傍らに置いた。


「ぁ…………ありがとう……兄さん……」
「……うん……」


 駄目だな……。

 もう1週間前になるか……?あの逆レイプの件以降、秋保とこうして面と向かうと、つい意識して……舌が回らなくなってしまう。

 秋保も秋保で、哀しげに目を伏せて、目を合わせようとはしない。

 非常に心苦しい……。

 お互いに、手が出せない。いわゆる冷戦状態とか言うヤツ……か?

 でも……。

 やった事には賛同は出来なかったが、それでも……。


(舜兄さん……!好き……!大好きぃぃ……!)


 それでも……僕を、愛してくれたんだ……。

 その気持ちには、ちゃんと応えたい……。


 さて……どうしたら良いか……?


「あーーっ!わっかんないよ舜!助けて!!」

 悶々と考えていると、問題が解けない事に痺れを切らした夏樹が救難信号を出して来た。


「ドコが分かんないの?」
「も、もう……ドコが分かんないのかも分からなくなって来た……アハハ……!」


 自暴自棄になって乾いた笑い声を出す夏樹を何とか宥めて、僕は夏樹の問題解明の助っ人になる。

「そのまま割るんじゃないよ。分数の場合は逆さまにして掛けるんだよ」
「あ……!あ~~~~!!」
「公式忘れてたな……」

 夏樹はパチリと手を叩くと、一心不乱に公式をノートに書き込んでいく。

 暫くして、夏樹は総てから解放された、清々しい笑顔で傍らの僕に笑みを投げた。

「終わった……!」
「どれどれ……?」

 僕は夏樹のうなじの後ろから覗き込む様に、彼女の解答を確認してみる。

 柑橘系に似た夏樹の汗の匂いが、僕の鼻をくすぐった。

「うん……!正解!」
「やった!」
「やれば出来るじゃん」


 ちゃんと上手く解けている。

 僕が太鼓判を押すと、夏樹の笑顔が更に晴れやかなものになった。




「………………」
「………………」



 ふと、何気無く、夏樹と視線がーー湿り気を帯びた視線とかち合う……。

「………………」
「………………」

 テーブルの下で、夏樹の手が僕の手に触れ、絡み付く。


「……次の問題は……?」
「えっと……」


 また別の問題を眺めながらーー。

 僕も進んで、夏樹の手を握り締めた。

 あの日の……体育倉庫での……夏樹との初セックスの熱が蘇る様な感じ……ジクジクとした甘い熱が……夏樹と僕の掌の中で生まれる。


「う、うん……惜しい。これはカッコの中から先に計算するんだ」
「あ、ああ……そうか……そうだね……」


 そう、勉強をする振りをして。

 熱の甘さに酔い痴れそうになりながら、僕と夏樹は掌だけで弄り合った。

 捻る様に、撫でる様に……。


 しかし……。


「に、兄さん……?」


 悲しみを押し殺した様な秋保の声と視線に気付いて、僕は夏樹と掌だけの繋がりを解く。

 夏樹は、恥ずかしそうにはにかみながら俯いた。


「わ、私も……べ、勉強教えて…………」


 そう僕に尋ねる秋保の声は、微かに震えていて、まるで今にも泣きそうで。

 その口調は、前世の僕……ケンジに被せられた罪を必死に弁明しようとする僕に似ていて……。


「うん…………任せて…………」


 僕は緊張に詰まりそうな喉を精一杯鳴らして頷くと、秋保の漢字ドリルを見遣る。



「……っ!」


 僕の心臓がドクリと跳ねた。


 漢字ドリルの空欄には、問題そのものの解答など書かれてはおらず……。


『あなたがすき』

『にいさんがすき』

『おねがい』

『なんでもするから』

『わたしを』

『きらいにならないで』

『みて』

『わたしのこともみて』

『わたしも』

『あいしてください』


 そのページ全ての空欄に、秋保の想いが、書き殴られていた……。


「秋保……ちゃんと……」


 ちゃんと話をしよう、そう僕は言おうとしたが……。

「ごめ……ごめんなさい……」

 途中で秋保はガタリと椅子を倒して立ち上がった。
  

 突然の事に絶句する僕。サイダーのお代わりをしようとキッチンに向かおうとしていた夏樹も、ビックリして秋保を見た。


「……消しゴム……買って来る……」


 振り絞る様な声で秋保は言うと、ワンピースを大きく翻して玄関に向かって走り出す。


「秋保!待っ……」


 僕の声が秋保には届かず、秋保はドアを開け、庭に咲く向日葵の列の、その彼方へと走り去っていった。


「秋保……どうしたの……!?」


 困惑する夏樹。

 僕は……もう迷ってられない。

「夏樹……実は……」

 僕は、漢字ドリルに書かれた秋保の心情と共に、僕と秋保に起きた事を、夏樹に告白した……。


 勿論、僕と夏樹の初セックスを、秋保が目撃してしまった事も……全て……。


 いつもは勝ち気な夏樹の瞳が、悲痛の形に見開かれる……。


「……そんな……!?」




 ****





 それから1時間経ち、2時間経ち……。


 新しくパートを始めた詩乃さんが帰って来て、夏期講習を終えた春音姉さんも帰って……。

 件のおっかない浩巳君と遊び終えた冬乃ちゃんも帰って来たのに……。


 どれだけ経っても、秋保は帰って来なかった……。


「秋保…………!?」





 続く
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

パンツを拾わされた男の子の災難?

ミクリ21
恋愛
パンツを拾わされた男の子の話。

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

処理中です...