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スピンオフ
きみは、すてきだよ(『すべて、ゆめのなか』の後日談 池山、本間、岡本、片桐、橋口)
しおりを挟む「・・・で、お前は台湾で食い散らかすだけ食い散らかしてきたわけね」
掴んだ湯飲みからずずっと台湾茶を飲みながら岡本は言う。
「なんだよ、食い散らかすって。俺はちょっと顔を出しただけじゃん」
へらへら笑いながら箸の先を咥える。
思い立っていきなり一泊二日で台湾へ突撃した池山は、ある意味弾丸ツアーだったにも関わらず、その場にいる誰よりも生気に充ち満ちていた。
今夜も例によって、マンション・プレシャスTの五階にある3LDKの部屋にわらわらと集結している。
メンバーは、現在この部屋の家主に取って代わりつつある居候の本間奈津美、四階1LDK住まいの池山、六階2LDKに入居して間もない片桐、そして妻不在のために暇になった岡本、近所に住む橋口。以上五名だった。
時刻は八時を回ったところだが、残りの面々はおおむね残業に突入で、今夜は終電ぎりぎり間場頑張るか仕事が済み次第合流希望など様々である。
いつも適当に始めて、適当に解散する緩さが、彼らの仲が長続きする理由なのかもしれない。
リビングテーブルの上にはテイクアウトした中華総菜と、池山が現地の人たちから持たされた土産物の一部が並び、それらを広げてめいめい好きなように突っつきながら茶を飲んでいた。
「そういや池山さん、台湾語、話せたんですね?」
橋口が空になった茶碗に烏龍茶を注ぎながら問う。
「いや、あんまり。中国語って、発音難しいしさ。なに言ってんのかは勘でわかるんだけど、喋るのは無理。基本単語と、あとは主に英語?まあ、日本語解ってくれる人も結構いたしな」
「ああ、年取ってると日本統治下に叩き込まれたって人とか、若いなら観光業のために覚えたとか、あそこはけっこう日本語で通せたりするんだっけ」
台湾は何度か行ったことがある片桐は古い記憶をたどる。
「ま、肝心の英語も久々に使うから、最初うまく操れなかったけどな」
「久々?お前留学してたのか?」
「留学はしてないけど、スパルタで仕込まれたというか、なんというか・・・」
「なんだそりゃ」
「ここだけの話なんだけどさ・・・」
背中を丸めて声を低める池山に、残り四人は同様に身体をかがめてゴクリと喉を鳴らす。
「長谷川のヤツ、付き合っていた当時、英語かイタリア語かフランス語でしか会話をしてくれなかったんだよ・・・」
「はああ?」
全員、がばっと身を起こした。
「なにそれ?初耳~!!」
「私も知りません・・・」
長谷川生。
池山の学生時代の元彼女で、この部屋の家主の立石が中学生の頃から現在までストーカーのように追っている女性である。
この集まりには滅多に顔を出さないが存在感は半端でないシングルマザーの名に、習い事などで日頃それなりに親しくしている本間と橋口は顔を見合わせた。
「前にも言ったと思うけどさ。俺が付き合っていたのは、ハセガワ・イクではなくて、年齢不詳、国籍不明のイタリア系モデルの『ショウ』だったわけよ。知り合ったのもミラノのショー真っ最中で、それ以後会うのはミラノかパリ、連絡はメールで英文、会話は主に英語。本人としては単に高階の家とか開のことを考えてプロフィールを伏せていたんだけど、途中からそのミステリアスさが受けて仕事が来てたから、たまあに寝るだけの男に素性を明かすわけにもいかなかったんだろ」
当時、池山は彼女を中国・韓国系か東南アジア出身だと思い込んでいたため、日本人の可能性を全く考えもしなかった。
「いや・・・。それにしても・・・。徹底してるな、長谷川さんって・・・」
それならば、たとえ睦み合っている最中でも日本語を出さなかったというわけで・・・。
「だから、詐欺だろっていったじゃん!!」
「・・・諜報員になれるな、あの女・・・」
長谷川に対して過去の遺恨がどうしてもぬぐえない岡本の発言に、一同肯くばかりだった。
「そんなわけで、英語は日常会話程度なら大丈夫なんだよ。ただ、ビジネスとなればちょっと違うからな。アメリカだのイギリスだのでは難しいだろ。それに、俺はとっかかりを作っただけで、正式契約はさすがに現地の奴らに任せてきたさ」
「まあねえ。間違いがあったら大変だし」
実際越権行為なので、池山の上司と台湾支社の営業は頭を抱えた。
良質の契約を取りまくってくれたおかげで、業績は上がる。
しかし、畑違いにも程があった。
なんと言ってもいきなり休暇を取って担当でもないところに出向いたということで、書類上、池山の名前は一切記載されないことになった。
「台湾組と言えば、なんだっけ、タナヒデ?あの人燃え尽きちゃったって、相沢さんが電話で言ってたよ」
空になった皿を片付けながら本間がぼそっと言い出した。
「タナヒデ・・・って、誰だっけ」
池山は、台湾出向組の面々を思い浮かべて頭をひねる。
「タナカ、ヒデオさん?ソフト系の系列会社で、ずっと江口さん達のグループ関連の仕事してるらしんだけど」
この会社ではよくある苗字の人の場合、適当な略称またはあだ名で呼ばれる。
どうやら四年くらい所属していると言われて、ああと、池山は肯く。
「そういや、ちょこちょこ飲み会で見かけたような」
特に親しくしていないのでその程度しか覚えがない。
「私もあんまり印象にない人なのよね。でも江口さんのとこの事務の子に宿泊先を尋ねたら、彼を同じ宿でセット手配したら隣室になったらしいって聞いて、慌てて電話で呼び出したわけよ」
「なんで?」
「だって、どうせ池山さん、江口さんの部屋になだれ込むと思ったから。そのホテル、念のためネットでチェックしたら口コミで壁が薄いって出てたのよね・・・」
「え・・・?」
「本間、これ以上言ってくれるな・・・」
片桐がストップをかける。
が、池山にはその気遣いと情けを感知する能力はなく。
「え?マジ?俺、江口を寝かせてやんなかったけど・・・」
盛大な花火を打ち上げてくれ、岡本と片桐は倒れ伏した。
「あら、まあ・・・」
橋口は綺麗な指先を熟れた唇に当てて、涼しげに笑う。
「田中さんも燃え尽きるでしょうね、それじゃあ」
「でも、自業自得なんだよね。私はちゃんと一晩だけで良いから別の部屋に行けって忠告したのに、電話口でぐずぐず言うから、あ、こりゃだめだなと思って切ったら案の定、逆らいやがって」
そして彼は灰になってしまったのである。
「今になって思うと、なんか、よく敵意ある視線を送ってくるヤツが江口さんとこにいたんだけど、あれがタナヒデかなあ」
と、そこで岡本が割って入った。
「ちょっと待て。本間、お前タナヒデ覚えてないのか?」
「ん?なんのこと?」
「いつだったかなあ・・・。何年か前にお前、飲み会の最中に告白されたじゃないか」
「えええ?誰が?」
「お・ま・え・が、タナヒデに!」
「え?マジ?おぼえてない!!」
「マジだ。大まじめだ。覚えておいてやれよ、それくらい・・・」
「うわ・・・なつみちゃんたら」
「完璧にデリートされてやがる・・・」
「んー。松田のおばかさんは強烈だったから覚えてるんだけど」
「松田って、あの、営業の松田さん?」
「ん。あれ、何年前だったっけ。なんか年末の合同飲み会の時だったと思うけどね、へべれけだったのね、松田」
ちなみに、彼もいくらか本間より年上である。
「宴もたけなわの時に、トランクスいっちょにサンタの三角帽子被って、腹になんか絵を描いた格好でね、土下座されたの」
「・・・はい?」
「そういや、やったな、松田・・・」
池山が感慨深げに肯いた。
その格好は、ペアの一発芸だったから覚えている。
二人で潔く脱いで、腹踊りをした。
今ならもうとてもやれないが、当時は若かったのだ。
そして、その後、酒をかなり飲まされた松田は千鳥足のまま本間の元へ行き、足下にうずくまるように土下座して、こう叫んだ。
「一発、やらせて下さい!!」
あたりが一瞬、しんと静まった。
と、そこでわなわな震えだした本間がすかさずヒールのある靴で蹴りをいれる。
「だれがさせるか、このあほんだら!!」
「ごふ」
当時の本間曰く、それでも怪我をしないように力を加減したと言うのだが、酔っ払いは床をころんと転げて腹をさらした。
慌てて飛んできた立石が松田を担いで撤収し、池山がその場を取り繕い、当時の事務職だった岡本の妻が本間をなだめてなんとか収まったが、格好の話題を提供し、本間はしばらく屈辱を味わうことになった。
しかもなんと松田はそのことを全く覚えておらず、後日、本間はもう一発拳骨を繰り出した。
一応それで手打ちにし、その後、松田自身は池山達が計画する飲み会や旅行にちょこちょこ顔を出していて、本間ともそれなりに仲良くしていて今では笑い話になっている。
が、しかし。
「その、松田の土下座事件あたりからなのよねえ。酔っ払いに絡まれるの・・・」
悩ましげなため息に、酸いも甘いもかみ分けている橋口がふふふと笑った。
「まさか・・・。蹴られてみたいとか?」
「いーやーっ!!それはいやーっ!」
本間は頭を抱えて半狂乱になる。
「いや、男ってシャイなのよ。酒の力を借りないとなかなか踏み切れないって言うかさ・・・」
ともかく。
今現在、酔った勢いで交際を申し込んでくる男が後を絶たない。
「うーん。素面の時にもう一回言ってくるくらいの気骨のある男なら、少しは考える余地あるんだけどね・・・」
なら、素面の状態で現在押しに押しているあの男のことはどうなんだと全員考えたが、口をつぐんだ。
「え?考える余地あったのか?バッサリだったぞ、タナヒデの時」
「え?」
「コンマ一秒も考えずに、『無理です』って即答したから、あの後荒れた荒れた・・・」
その日からしばらく、田中と飲みに行くと必ず飲み過ぎて世話が大変なので、しばらくそっとしておこうと申し送りが発生したくらいだ。
「うーん。思い出せない・・・。彼は私になんて言ったの?」
「ああ・・・。『付き合って下さい。まずはお茶から』だっけな?」
「ああああ!!思い出した!!」
ぱん、と膝を叩いて叫ぶ。
「あの、どこからどうみても『お茶から』じゃないヤツ!!」
「どこからどうみても?」
「目がもう、満月を見た狼男みたいに血走っていて、満員電車の痴漢みたいにハアハア言いながら『お茶から』って迫ってくるから、反射的に『無理』っていったんだった!!」
「はんしゃてきにむり・・・」
「だって、めっちゃ怖かったんだもん!!うっかり『はい』なんて応えたら、速攻でホテルに連れ込まれそうな勢いだったもん!!」
「いや、それはよ・・・」
なんとも気の毒でフォローに回ろうとした岡本だったが、次の一言で石と化した。
「・・・だって、微妙にテント張ってたし」
「・・・は?」
「だから、発情してたんだってば、ソイツ!!・・・他にも目撃者がいたから、妄想じゃないよ?」
ちなみにその目撃者は現在、岡本の愛妻となった保坂有希子だが、彼の心の平穏のためにあえて伏せた。
「とにかく、ソッコーでお断りした後、きちんと『カレシがいるから』ってフォローしたはずだけど?後が怖いから」
「いや、多分、その部分は全く聞こえてなかったと思う・・・」
「男って悲しいイキモノだよな・・・」
池山が目尻の涙をぬぐう。
ちなみに、同情の涙ではない。
肩が小刻みに震えている。
「いや、あんたに言われたかないだろう、田中も・・・」
そもそも、今回のこの話のきっかけは池山の台湾襲撃によるものだ。
「え?そんなこと俺に言っちゃう?そういうお前はどうなのよ、片桐」
「う・・・」
同じく酒に飲まれてしまった経験のある片桐は胸を押さえる。
しかも新人というわけではなく、つい最近のことだ。
「ほんとに・・・。男の人ってしょうがないわねえ」
橋口のほのぼのした一言に、池山と片桐は明後日を向く。
「それにしても、何年経ったのよ。だってタナヒデ結婚してるんだよね?」
単身赴任の話はホテルの手配をした子から聞いた。
「・・・最近、子供も生まれたよ」
「ああもう、わけわかんない・・・」
不満げに唇を尖らせる本間に、岡本はそっとため息をついた。
本人は気が付いていないようだが、最近ますます蠱惑的になったと思う。
田中もいまだに本間に対して構えた態度をとり続けるあたり、数年経ってもなおかつ忘れられないのだろう。
初恋だ、と泣いたのを覚えている。
年を経て更に輝きを増して、そばにいればある意味拷問だ。
「・・・ま、いいわ。ここは私がオトナになりましょう。帰国したらゆるーく接しますね」
些細なことにこだわらないのが、また、彼女の長所でもある。
「そうしてやってくれ・・・」
とりあえず、疲労困憊の田中のフォローが最優先だろう。
呑気に茶菓子をぱくついている池山に恨めしげな視線を送りつつ、岡本は頭を下げた。
初恋。
それは、永遠に解けない呪縛。
きみは、すてきだよ。
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