闇色令嬢と白狼

犬飼春野

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第二章 公女去りて後のアシュフィールド国

おぞましい、ばけもの

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 修道女たちに抱え込まれ押し出されながらたどり着いた内陣で、第二王子妃は小刻みに震えた。

「ウォーレン様…。なぜ…、なぜ私にこんな仕打ちを…」

 ラベンダー色の瞳から水晶の涙が次から次へとこぼれ頬を伝う。

「私が…貴方の子を身ごもらぬことに胸を痛めていたのを存じておられたのに、何故…」

 聖堂に静かに響く声は詰る言葉すら美しく、悲劇の主人公のようだ。

「私を愛しておられたのではないのですか…!」

 その姿を見て深く同情し、彼女の幸いを願う者たちが多くいた。
 しかし、中にはこれまで明かされたいくつもの事実に先を予想し、冷たい視線を送る者、そして己に火の粉が降りかかるのではないかと震えあがっている者もいた。

 壇上のウォーレンは表情一つ変えずに黙って妻を見下ろすのみ。
 それを横目に見ながら王は片手を上げた。

「…始めるがいい」

 合図に魔導師と司祭たちが動く。

「いや…。やめてやめてやめて、やめて――――っ」

 修道女たちがしっかりとガートルードの身体を固定し、司祭の一人が左手を捕らえる。
 そこへハーマンが降りてきて、尚も抵抗を試みようとする第二王子妃の指に指輪を嵌める。

「いやああああ―――――」

 喉も裂けてしまいそうな絶叫がこだまする。

 ガートルードを取り囲んでいた人々はゆっくりと離れた。
 ハーマンも壇上へ戻り、深く息をつく。
 ジュリアンとオリヴィアは床に座りこんだまま、すぐそばで叫び続ける義姉をなすすべもなく見つめ続けた。
 そして、彼らとともに内陣に立つアラン・ネルソンもまた。
 しかし彼の瞳は興味深げに輝き、その唇は笑みさえ浮かべていた。

「いや、いや、いやあ。外れない。どうして…」

 泣きながら懸命に忌まわしい指輪を外そうと試みるが出来るはずもない。
 やがて、それはまるでガートルードの反抗を叱るかのように青く強い光を放った。

「うっ…」

 まるで雷に打たれたかのように身体が跳ね、そして、床に崩れ落ちる。

「いたい…」

 ぼつりと呟くが、それが始まりだった。

「ああ、ああああ--っ」

 四つん這いになってガートルードは叫ぶ。
 修道女たちが再び近づき手を差し伸べたが、ガートルードはそれを叩き落とし、狂ったように頭を振り、獣のように咆哮する。

 オリヴィアの時と同じ手順をハーマンたちは執り行い、術により作られた光のドームの中で第二王子妃の腹はみるみる膨れ上がり、身体をびたりと包み込んでいたドレスは縫い目の糸が切れていく。
 ばりばりと音を立てて裂けるドレスに人々は気を失いそうになるが、それも許されない。
 修道女たちが持参していた布で無残な姿を覆い隠す。

 やがて、ハーマンが錫杖を床に叩きつけた。

「光と闇の護りよ。王家との契約を果たせ」

 ガンと固い音とともに強い光と空気の振動通り抜けていく。
 太陽のような強烈な光に、人々はぎゅっと目をつぶり、過ぎるのを待った。

「い゛や゛ぁぁぁぁぁ――」

 ガートルードの絶叫が途絶えしばらくすると、猫の鳴き声のようなものが床を這うように聞こえてくる。

 オリヴィアの時よりももっと弱々しい音の方を見ると、またもや宙にイキモノが光に包まれて浮かんでいた。

「今度は、青…」

 全身を包むのはやはり鱗。
 ラピスラズリのような青い肌をしたそれは、とぎれとぎれに声を上げている。
 そして、その小さな頭部を覆う毛髪の色は――空色。

「ふふ…。ははは…。なんなの。こんな気持ち悪いものが……」

 化粧も装飾もドレスも乱れ汗と涙と悪露で汚れたまま、ガートルードは腹から取り出されたそれを半笑いで見つめた。

 魔術師たちとハーマンがさらに術を展開し、またもや青い物体はじわじわと形を変えていく。

「こんなの、私の子どもじゃない。こんな汚らわしいものが、この私から生まれるはずがないでしょう!」

 石の床を叩いてガートルードは怒鳴った。
 その瞬間、二歳ほどの姿まで成長した子供が目を見開く。

 先ほどと同じく、空色の瞳。
 愛らしい顔立ちの男児。
 ガートルードの幼いころの姿によく似ているだけに、哀れだった。

「なんておぞましいの。私を陥れるためにこんなものを作るなんて……」

 睨みつけると、子どもは空色の瞳からぽろぽろと涙をこぼす。

「消えなさいよ。私の子どもはお前なんかじゃない。世界で最も美しい姿で生まれるはずだった」

 ガートルードは手を挙げ、宙で泣きながら苦し気に肩で息をする青い鱗の物体を指さした。

「消えろ。目障りだ」

 低く、忌々し気に呪いの言葉を吐く。

『お……』

 首元に両手を当てて子どもは懸命に声を絞り出そうとしたが。

 ドス……。

 腹の真ん中に衝撃を受ける。

『……?』

 不思議そうに首をかしげて覗き込んだそこには、氷の柱が刺さっていた。

『かはっ!』

 口から赤い液体を吐き出す。
 背中まで透明な刃が貫通していた。

「あら、化け物のくせに血は赤いのね」

 ガートルードは指をはじいた姿勢のまま、高らかに笑う。

「気持ち悪い。さっさと死になさいよ!」

 親指でそれぞれの指の爪をはじくと、次々と矢のような長い刃が生まれ、飛んでいった。

『…………っ』

 公にされていないが、ガートルードは氷魔法を少し操ることができる。
 小さな氷の結晶を刃のような形にして飛ばすのが得意だった。
 標的に向かって正確に飛ばすすべを早くから習得していた。
 今のように。
 生きた的を相手に。

「やめぬか、ガートルード!」

 王の声に、氷の刃は消滅した。

「ガートルードを拘束しろ!」

 言われるまでもなく、修道女たちと騎士たちがすぐに立動き、魔道具で第二王子妃を拘束する。

 床の上に青い鱗の子どもは仰向けに投げ出され、四肢が小刻みに痙攣していた。
 刺さっていた刃は消えていたが、次から次へと流れる血が広がっていく。

 そこへ、アラン・ネルソンの育ての親だったボイド子爵夫人が髪を振り乱し駆け寄った。

「…痛かったでしょう。かわいそうに……っ」

 そばに座り込むと震える両手で頬を撫で、慎重に抱えて膝の上に載せる。
 あとから妻を追ったボイド子爵はすぐに上着を脱ぎ、身体の上にかけて包み込んだ。

「すまない。すまない……。こんな、ひどいこと……すまない……」

 夫婦が懸命に謝罪の言葉をかけながら撫で続けていたが、やがてそれも止まる。

「……いきを、ひきとりました……」

 呆然と目を見開いたまま、夫人はぽつりと言う。

 彼女の膝の上の子どもは、ボイド子爵の上着の中でとても小さな姿へ変わっていた。

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