闇色令嬢と白狼

犬飼春野

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第二章 公女去りて後のアシュフィールド国

純潔と貞節

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「皆の者待たせたな。それでは次の儀式へ移るとしよう」

 内陣の床で膝をつき抱き合ったまま震えるジュリアンとオリヴィアをそのままに、淡々と王は口を開いた。

「第二王子ウォーレン、こちらへ」

「はい」

 呼びかけに応え、近衛騎士たちとともに控えていたウォーレンは恋人たちの横を通り登壇する。
 王と王太后の前に跪き、一礼した。

「ウォーレン。そなたの指には二本の指輪がはめられているな」

 問われて左手を掲げ指輪を王たちに向ける。

 一つはプラチナでもう一つは金。

 どちらも小さなバイオレットサファイアが埋め込まれており、ウォーレンと面識のある物は誰もがそれを目にしていた。

「はい。結婚指輪と婚約指輪です」

 ざわり、と微かな動揺の波紋が広がっていく。

「ああ、そうだな。一年前の結婚式の時に婚約指輪を外し、結婚指輪へ変えた。しかし気づけばそなたは再びそれを嵌めていた。いつからだ」

「式を挙げて一週間ほどかと…」

 そこへ一度退場していたハーマン枢機卿と彼に従う司祭数名が聖堂の奥から出てきて発現する。

「僭越ながらそれにつきましては、私ども聖教会の記録にございます。挙式五日後の深夜にウォーレン殿下が従者数名と共に密かに我が教会へお越しになり、再び嵌めるための施術をして欲しいと依頼されました」

 一人の司祭の手元には聖教会の記録書があり、記載されていると思われるページを開き、聖なる石で装飾された豪奢な書物を両手で頭上に掲げる。

「王家の婚約指輪は挙式もしくは婚約破棄の時に聖教会の高位者に術をかけてもらってようやく外せるもので、もちろんその逆も然り。もっとも、段階を踏まずに嵌めた指輪はただの装飾品だがな」

 ほんの少し前に国王は婚約指輪の能力について説明したばかりだ。

 『婚約の指輪にかけられた術は単純だ。妃となる女には純潔を。そして王子には生きた子種が排出されない秘術を』

 つまりは。

 第二王子は初夜の数日後から完全に避妊していたということだと、誰もが気付く。


「あ…。そんな。そんなわけは……!」

 周囲から寄せられる冷たい視線と重い沈黙に耐えかねたガートルードが思わず叫ぶ。

「この、お腹の子は確かにウォーレン様の子です! 国王陛下、あんまりです。なぜ私を貶めるようなことをこのような場で……!」

 ヴァイオレットサファイアと称される紫色の瞳にじわりと涙をたたえた。

「確かに事実と反する事ならば、ジュリアンが先日ヘイヴァース公爵令嬢にしたことと変わらぬな」

 国王は軽くため息をつく。

「さきにオリヴィア・ネルソン侯爵令嬢に起きた事、皆の記憶にあるだろう。あれはあくまでも指輪に込められた術の一部だとも説明したな。実は婚約指輪にはもっと過酷な術がかけられていた。王族の婚約者としての最低条件は何だったか、皆は覚えているだろうか」

 人々はさらに記憶を探る。
 そして、口について出たのは。

「純潔、でしょうか……」

 一人の貴族が思わずひそりと呟き、それが聖堂に響く。

「その通りだ。ただし、それは婚約の指輪で結ばれた正式な相手なら免じるようにしている。婚約者同士が仲良くあるにこしたことはないからな。ただし、それ以外の誰かと関係を結んだ場合、令嬢は即死する仕掛けになっていた」

 恐ろしい事実にどよめきが上がった。

「しかし……しかし、現に今……」

 高位貴族の一人が動揺しつつも、生きたままのオリヴィアを見ながら王に問う。

「ここで死なれては困るので、オリヴィア嬢の指輪は色々と条件を変えてある。正しくは、交わった男もその場で拷問でもめったにないような痛みを全身に受け、指一本動かせない状態になる。背後関係を探るために何があっても死なぬ術もかけられてな」

 最高権力に手が届く者の世界において、一夜のあやまちほど危険なものはない。

 情人が何かをねだるか。
 犯した者が情事を理由に脅すか。

 陰謀の伝手と成り得る事態を除外するために王家は非道を選んだ。


「つまりは、もし、ヘイヴァース公爵令嬢が淫らな女で周囲の者たちと無理矢理関係していたならば、一人目の男と共に息絶えていたということだ」

 ここにきてようやく王の言わんとすることに人々は気づく。

 『お前はその忠臣を寝台に引きずり込み、共寝を強要した。拒み続けるバリーに伯爵家を潰されたくなかったら言うことを聞けと迫ったらしいな』


 断罪の場にいた者なら誰もが記憶している、第三王子の発言。
 そして、被害者としての名乗り出たデイヴ・バリーの証言。

 全てが今、虚言だったという事なのだ。


「デイヴ・バリー」

「は…」

 がたがたと震えながら、デイヴ・バリーは床に崩れ落ちるように両手をつき頭を床に着けた。

「たいした忠臣だったな。エステルに汚されたと糾弾したその唇はオリヴィア・ネルソンとの罪の色に染まっているというのに」

「ま……誠に…、もうし、わけ…」

 王は最後まで言わせずに警固の騎士へ合図を送る。

「デイヴ・バリーを拘束して、隅に置け。まだやらねばならぬことが残っているのでな」

 騎士たちはすぐにデイヴ・バリーを数人がかりで素早く拘束し、引っ立てて行く。

「さて、待たせたな、ガートルードよ」

「……っ!」

 気が付くと、第二王子妃ガートルードは修道女たちに囲まれていた。
 そのうちの一人が手を差し出してくる。

「ぶ、無礼な。離れなさい」

 恐怖に歯をかちかちと鳴らしながら、ガートルードは強がった。

「第二王子妃殿下をこちらへ」

 ハーマンの指示で修道女たちはガートルードの両腕や背中に触れ、内陣へと押し出していく。

「いや…。いやよ……。行きたくない……」

 抵抗もむなしく、ガートルードは壇上前へ立たされた。

「さあ、ガートルード。そなたの貞節が正しく守られたと、証明できると良いな?」

 静まり返った聖堂の中で、王の冷たい声が響く。

 おそるおそる見上げた先には、かつて見たことのない残酷な笑いをたたえていた。


 厳格な王太后のスカートの裾に隠れる、気の弱い凡庸な王だと。

 侮っていたことをガートルードは心の底から後悔した。
 

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