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第二章 公女去りて後のアシュフィールド国
誓約と指輪
しおりを挟む「いやぁ--っ、あああ―――っ」
オリヴィアの長い悲鳴の途中で、彼女を中心にして円を描くように均等に立っていた魔導師たちが術を繰り出し、青白い光が床から立ち上がるなりすっぽりと半透明のドームを被せたかのように覆う。
「光と闇の護りよ。王家との契約を果たせ」
内陣の壇上からハーマンは朗々と唱え、手にした錫杖を床に叩きつけた。
ガンと固い音が響き渡った瞬間、ハーマンから強い光と空気の振動が波のように広がる。
次の瞬間、怪鳥の叫び声のようなものが聖堂中に響き渡った。
それが、オリヴィアの絶叫だと頭を抱えてしゃがみこむ人々は思いもしない。
「うぎゃう、うぎやう、おぎゃぁ……」
弱々しい赤ん坊の泣き声にみな、おそるおそる顔を上げる。
「な……。なんてことだ」
最初に勇気を出して声の聞こえる方角を見た者が呟き、周囲の者たちが次々と目を向けた。
「なんて…禍々しい……。この聖域でなんてことだ」
円陣を組んだ魔導士たちが杖を掲げ、そこからほとばしる光の中心にイキモノらしきものが浮かんでいる。
内陣に近い席の貴族の一人は目を凝らして宙に浮いたそれを凝視した。
全身、紫の肌の…。
いや違う。
紫のうろこに覆われた、ヒトの赤ん坊らしき物体。
それはとても小さいが、全身を腹に向かって縮こまらせているが頭部に鮮やかな青色の毛を付けているのがはっきりと見えた。
「やめて……。やめて。こんな化け物……。知らない……」
真下では、修道女たちに囲まれ、ジュリアンに抱え込まれた女ががたがたと身体をふるわせている。
ピンクブロンドの髪は脂汗で乱れてぼさぼさにもつれ、額を飾っていたはずのサークレットは消え、水色のドレスは赤黒い液体にまみれて汚れ、柔らかな薄布はあちこちが裂け、破れ目から大きく開いた両足の白い膝から先が露わになっていた。
靴も、身を飾っていた宝石も失せ、汗と涙ではがれた化粧の跡の残る顔はまるで路地裏に這いつくばる流民のよう……。
オリヴィア・ネルソン侯爵令嬢の変わり果てた姿だった。
「オリヴィア……。いったい……」
ジュリアンは床に座り込み、愛しい女の背を胸に感じながら呆然と宙の異物を見上げる。
理解しがたいが、彼は、一部始終を見てきた。
オリヴィアの腹がどんどん膨れ、爆ぜるかと思った瞬間、足の間からずるりと出てきた塊が光を放ちながら自分たちの真上に浮かんだ。
あれ、は。
突然現れた。
今、ここで。
腕の中の華奢な身体が、はあー、はあーと荒い息をしながら呟き続けている。
「そんな…。私…。どうして……」
まるでドラゴンとヒトとの間に出来た子供のようなそれは、もともと弱々しかった産声すら途絶えようとしていた。
「陛下……。どうやらもうもたぬようで」
その様をじっくりと眺めていたハーマンが王に進言する。
「うむ。分かった。では、次をやってくれ」
「はい」
だん。
また、ハーマンが錫杖を床に振り下ろす。
すると、その異物はゆっくりと回りながら空気を通した革袋のようにむくむくと大きくなっていった。
ただ単に膨れ上がるのではなく、手足が伸び、『育って』いくことに人々は気づく。
生まれたばかり月足らずの赤ん坊の姿から、歩き出す前のむっちりと肉の付いた身体へ。
そして、大きいばかりだった頭と四肢のバランスが変わっていく。
膝を変えて丸まった姿勢のままだが、どうやら男児らしい。
膝頭に頬を当てたままの鼻筋の通って整った顔も、すんなりと形の良い身体もヒトであるのに、毛髪以外を覆う薄紫のうろこが魔性のものでしかないことを証明していた。
手足がすんなりと伸び、髪も背中まで伸びたところで、それまで閉じていた瞼が開く。
「……なんと、これは……!」
ネルソン侯爵の親族席のあたりから大きな声が上がり、方々からもざわめきが聞こえてきた。
夏空のように澄み切った青い髪と瞳。
それは、まるで。
「アラン……? まさか、そんな」
ジュリアンの呟きに、腕の中のオリヴィアの身体が大きく揺れ、固くなった。
五、六歳ほどに成長したその子供は宙に浮いたままではあるが、見上げねばならない程の高い所から次第に大人たちの視線の高さまで降りた。
膝を抱える姿勢をゆっくりと解いて背筋をまっすぐに立つ。
紫の顔の真ん中で青く光る瞳で、直ぐ近くの床に座り込んだままのオリヴィアをじっと見つめた。
そして鱗に覆われていない小さな唇をゆっくり開いて―――。
「…ま……」
「いやあああっ! ばけものーっ! 誰か早くこれを消して!」
オリヴィアは強く目を閉じ、頭を抱え、叫んだ。
「……」
悲しそうに顔を歪め、小さな手をオリヴィアへ伸ばしたが、半狂乱になった彼女は床を慌てて探り、掴んだものをとっさに投げつける。
「――――!」
オリヴィアの投げたものが、『彼』の胸元に当たった。
パアン!と破裂音が響き、強烈な光がまた、聖堂内に広がる。
そして、ガラスと金属が砕け散り床に散乱する音が続いた。
カラン、カラン、カラン……。
丸い金属の輪が床でくるくると回っていたが、やがてそれも止まる。
ほんの少し前まで、オリヴィアの額を飾っていたサークレットだった。
装着されていたはずの全ての宝玉を失い、うつろな姿を晒す。
そして、その近くに。
両掌にようやく乗るほどのちいさな紫の物体が転がっていた。
オリヴィアの介添えをしていた修道女の一人が静かに間近まで歩み寄り、深く一礼をしたのちに床に座る。
何事か小さく唱えたのちに両手でそれをすくい上げ、膝の上に広げた清潔な白い布の上に乗せ、ゆっくりと包み込んだ。
それを胸に抱きかかえて立ち上がったところで、王が口を開く。
「はるか昔。我が国創設から数百年経ち太平の世と謳われ始めた頃に事件が起きた。王太子妃や王子妃たちが不貞を犯し、生まれ出た子供全てが托卵だった。創生王の血筋を持たぬ者を王座に据えようと企む不届き者たちのおかげでな」
聖堂内がざわりとざわめく。
「そこで、王と魔導師と聖教会は魔道具を作ることにした。当時交流のあった闇の手の者たちの知恵を借りて出来上がったのが、『婚約の儀式と指輪』。これには多くの制約を盛り込んだ。二度と間違いが起きないように」
王が意識して声を張り上げているわけではないにもかかわらず、隅々までその言葉は届いた。
「婚約の指輪にかけられた術は単純だ。妃となる女には純潔を。そして王子には生きた子種が排出されない秘術を」
深くため息をついたのち、王は続ける。
「これまで代々秘術が伝わっているにもかかわらず公にされなかったのは、妃となる者の資質を試すためでもあった。しかし、今回は事が大きくなり過ぎた」
オリヴィアは目を大きく見開き、唇を震わせた。
「この術についての詳細を省くとして。結論を言えば、オリヴィア・ネルソン侯爵令嬢の腹に宿った子は托卵だと最初から分かっていた。なぜなら―――」
十年前にエステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢と婚約の儀を結んで以来、指輪が外されたのはあの断罪の場のみ。
「どれほど床を共にしたとて、ジュリアンの子であろうはずもない」
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