闇色令嬢と白狼

犬飼春野

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第二章 公女去りて後のアシュフィールド国

婚約式の前に

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 その日の朝は、とても良い天気だった。
 王宮の一角にある大聖堂の上には晩秋にしては珍しい青空が広がっている。
 浮かぶ雲も白く輝き、まるで今日という日を祝福しているように見えた。

 全ては、真実の愛を貫き通した第三王子と彼の子を宿した令嬢のための記念すべき瞬間のため。


「まあ、なんて美しいのでしょう」

 華やかな声に、鏡の前に座っていたオリヴィアは振り返る。

 真実の愛の体現者は、薄い絹を何枚も重ねたスカイブルーのドレスに、腰まで届くピンクブロンドの髪をふわふわと流し、あらわになった小さな額にはジュリアンから送られたアクアマリンのサークレットをはめ、まるで水の妖精の王女のよう姿だった。

「ガートルード様」

 第二王子妃がにこやかに控室に入り軽く片手を上げると、侍女と騎士たちは深く頭を下げた後一斉に退室した。

「まあ、これからは義姉と呼んでくださいな。私たちはこれから姉妹になるのだから」

 夫の色を象徴するアイスグリーンの細工の行き届いたドレスに身を包んだガートルードはオリヴィアのそばに歩み寄り、親し気に抱擁するのを見届けながら扉を静かに閉じる。

「おめでとうございます、オリヴィア様。とうとう真実の愛が勝ちましたわね。私、この日が来るのを今か今かと待ち続けておりましたの。ああ、なんて気持ち良いの」

 ダイヤのピアスが揺れる耳にガートルードが囁くと、彼女の背に手を回していたオリヴィアは口角を上げる。

「ふふふ。お義姉さま。まだ入り口に立っただけの事ですわ。この程度で喜ばれるなんて、なんて控えめな方なのでしょう」

 二人で手をしっかり握り合い、長椅子に座る。

「これからはどうかのびのびと健やかにお過ごしなさいな。私の子とも産み月が近いことですし、楽しみですわ」

 ガートルードは満足げに自らの腹を撫でた。

「悪阻は大丈夫ですか? お辛いと伺っていたので今日はいらっしゃらないかと思っておりました」

「貴方の晴れ舞台を見ないなんてありえないわ。でもまあ、もうしばらく…。辛いことにしておかないとね」

「まあ…。お義姉さまったら」

 互いに妊娠中のため、ドレスも締め付けのないデザインのものを着用しているせいか、自然とくつろいでいく。
 婚約式まであと一時間以上の間がある。
 王命による正式な儀式が目前ということで、二人の気持ちは高揚していた。

「…王妃と王太子夫妻はまだ戻られないのですか」

 声を落としてオリヴィアは尋ねた。

「ええ。ウォーレン様の秘書たちの話では、それぞれみなさま流行り病に罹られて、うごけないのだそうです。なんでも、最初はひどい食中毒かと思われたのですが、その後昏倒し熱も高く、うわごとを繰り返すほどだとか…」

 容態の悪さから転移させることもかなわず、三人は戴冠式のあった王妃の実家である宮殿に留め置かれているが、事実上の隔離。

「まあ…なんて、お気の毒。王妃様の母国とはいえ、滞在先でそんな無様な姿を晒さねばならないなんて」

 くくっと喉を鳴らし、小鳥のような愛らしい声でオリヴィアはきゃらきゃらと笑った。

「あら、獣に食われて汚物まみれで謁見の間に持ち込まれた蛮族の娘ほどではないでしょう」

「本当に、いったいどんな悪行の末にそんな恥ずかしい末路を…」

「ねえ。とても真似できないわね」

 二人は顔を寄せ合い、いつまでもくすくすと笑い続けた。

「そういえば、羽虫たちは死に損なったみたいで、父がちょっと慌てていたわ」

 まるで不快なことを思いだしたかのようにガートルードが軽く眉をひそめた。

「ああ、何人か生き残ってしまったのですよね。計画通りにいかないものですわねえ」

 オリヴィアも唇を尖らせ肩をすくめ悪態をつき始める。

「渡したら半泣きになって喜んでいたくせに、あの馬鹿…。あの女を追いかけているうちにマントが邪魔で脱ぎ捨てて失くしただなんて、本当に想定外だわ」

 エステルの修道院行の護送をした騎士たちの中で生き残った者たちの調書がウォーレンの元に上がっており、ガートルードは目を通した。
 死んだ者はマントを着用したまま魔物や獣に殺されて見つかったが、無事帰還した者たちは頂上を目指しているうちに木々が生い茂り身軽に動くために様々な装備を捨て、その中に支給された身分証も一緒に含まれていたという。

 念のため、二人の騎士にそれぞれ仕込みをしたのに。

 オリヴィアはジュリアンの側近の騎士ダニエル・コンデレを。

 ガートルードはエステルの護衛騎士デイヴ・バリーを。

 どちらも自尊心をくすぐれば赤子の手をひねるよりも簡単で、陥落はあっという間。
 禁断の恋ほどうまい餌はない。
 騎士の忠誠心なんて所詮子どもの夢で、現実の前には脆いものだ。

 出立前に人目を忍んで現れ、情熱的に跪き足の甲に口づけまでしたというのに、予想外なことが起きた。

「そこまではしたない女だとは誰も思いませんもの。仕方ありませんわね…。もちろんオズボーン侯爵は手を回してくださったのかしら。私の父はほら…。綿密な計画が向きませんから」

 テーブルに置かれた砂糖菓子を一つつまみ、ぱくりと口に入れて尋ねるオリヴィアの髪を第二王子妃はゆっくりと白い指で撫でる。

「もちろんよ。ネルソン侯爵家は武闘派。今後騎士たちを束ね、オズボーン侯爵家は宰相としてジュリアン殿下を支える。そういう約束ですもの」

 聖女のような微笑みを浮かべ、ガートルードは歌うように続ける。

「とりあえず、三匹のミミズは地中深くに埋め直したらしいわ。あとの羽虫はまあ、婚約式のどさくさで…なんとかなるでしょう」

 ふと目を上げた先に小さな祭壇があるのに気づいたガートルードは立ち上がり、軽く手を合わせて祈った。

「女神よ、ここでの軽口をどうかお見逃しください。ただの冗談ですわ」

 芝居がかったその様に、オリヴィアはくすくすと唇に手を当てて笑う。

 滑らかな大理石で象られた女神の像は、ただ黙って目の前に立つ第二王子妃を見つめ返した。

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