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第一章 婚約破棄と追放、そして再会
邂逅
しおりを挟む「ウオウ、ウウグル……」
野生の山羊のように崖から突き出たちいさな岩を足掛かりにひょいひょいとスノウは下っていく。
跳躍するたびに、ふさふさとした手触りの良い毛のあたたかな背中から筋肉の動きと彼の唸り声をウーゴは感じ取る。
どうやら弾みをつける時につい声が出てしまうらしい。
こんな時にもかかわらず、ふと使役獣に対する愛着が増した。
しかしすぐさま事態は急変する。
『キエエエ――――!』
耳をつんざくような奇声と共に目指す山の上空に鳥型の魔物が現れた。
「中型の怪鳥か」
ドラゴンほどではないがそれなりの大きさで、大柄な男の二倍ほどの翼を広げ頂上へ狙いを定めているのが見える。
【男たちは 弱い
しかし 彼女は 強い
おそらく 勝つ 今は】
周辺で見守る眷属たちの報告を聞いているのか、スノウは冷静に答えながらも足を速めた。
絶対はないと。
ウーゴもスノウも知っている。
頂上で怪鳥と人間の戦いと思しき気配と周辺の魔物の興奮を肌に感じながらひたすら山を目指す。
「スノウ、南側の崖から登ってくれ」
目的の山は頂上付近が南側にせり出しており、そこからは断崖絶壁。
今いる位置からは東側の岩場が最も近く最短でしかも比較的楽に頂上へ近づけるが、ウーゴの頭の中で警鐘が鳴り響き、それを良しとしない。
南だと、思うのだ。
彼女が頂上を目指した理由はいくつかあるだろう。
森林が途絶え岩場になる頂上は視界が開ける。
月と星の明かりのみがたよりだとしても、追っ手と助け手そして魔物の襲来も気づきやすい。
そして、もしもの時は――――。
ウーゴは唇をかみしめた。
「どうか、間に合ってくれ……」
風のそのもののように走るスノウの背で柄にもなく祈る。
あの子は。
思い切りが良すぎるのが長所でもあり、短所だ。
妙なところが父親に似て…。
手綱代わりの鎖を持つ手にじわりと嫌な汗がにじむ。
『ギョエエエ――ッ!』
山の崖下にたどり着いたところで、山頂から怪鳥の悲鳴が耳に届く。
なんとか致命傷を負わせることができたか。
しかし禍々しい空気はまだ漂ったままだ。
即死ではない。
はやる気持ちをなんとか抑えつつ、絶壁を器用に上り始めたスノウの動きに身を任せ頂上を見つめ続ける。
『ギヤァァァァ――――――――ッ!』
叫びが山々で反響した。
わんわんと不快な音が響きあたった後に静寂が訪れる。
「やったか」
安堵するが、魔物を仕留めただけのこと。
暗殺を命じられた騎士たちがエステルに追いついたからこそ、怪鳥が山頂めがけてまっすぐに飛んだのだ。
今、彼女は害意をもった男たちに囲まれているということ。
「頼むから早まらないでくれ、ルー」
願いが口を出たその時、ふつりと空気が変わった。
「スノウ!」
ウーゴが指示を出すまでもなく、フェンリルはいきなり体勢を変えた。
「エステルさま――――!」
頂上から男の叫び声が聞こえる。
そして、からからと小石が壁面に当たる音。
【落ちて 来る
受け取れ 主】
スノウの身体から強い風と魔力が一気に吹き出し、ふわりと宙に浮く。
ウーゴは鎖から手を放し、しっかり下半身を安定させる。
見上げた空から、ものすごい速さで黒いものが降ってくるのが見える。
物ではない。
濃紺の長い髪をした少女が真っ逆さまに落ちてくる。
ウーゴたちはまだがけの中腹にも達していない。
まずは両手を上げ無詠唱で彼女へむけて術を放った。
落下速度と重力の軽減、そして闇の柔らかい膜で全身を包み上げる術を次々と繰り出す。
「――――っ」
スノウも風を送ってくれ、鳥が翼を広げて地面に降りるくらいの柔らかな速度へ変わる。
しかし、フェンリルが一跨ぎすればすぐに届く距離まで降りてきた少女の身体はなぜか宙に浮いたままぴたりと止まった。
目を閉じたままの白い顔とゆらりゆらりとゆらめく髪。
あちこち破れた暗い色の衣装と長い手足は赤黒く染められていた。
細い首元に不自然な形で金色に光るものが張り付いているのが見える。
それはまるで割れてしまった器を金繕いしたかのような----。
目を凝らしてようやく彼女の全身が淡い光に包まれていることに気付いた。
神聖力に守られている。
そして、その加護はぎりぎりのところでこの世に繋がれている少女をウーゴにゆだねて良いのか計りかねているのだ。
「エステル・ディ・ヘイヴァース。ヘイヴァースの輝く星、ルキアよ。ウーゴ・ノエ・ヴァンサンの名にかけて必ず貴女を守る。だからここに降りておいで」
両腕を広げて語り掛けると、首の繕いの光がちかりちかりと何度か瞬く。
そして、ゆっくりとウーゴの腕の中へと降りてくる。
ウーゴは身体を伸ばしエステルの身体を受け、自分の前に座らせてしっかりと抱きしめた。
「ルー……」
エステルは全身血まみれでひんやりと冷たく、鼓動も弱弱しい。
でも、生きていると感じた。
安どのため息を思わずつく。
抱き寄せた肩と背中をさすると、僅かに頭が動いた。
「ルキア?」
顔を覗き込むと、長い睫毛が震えながらもゆるゆると上がり、金色の瞳がうっすらと動いた。
「おつきさまと、おそらの……おじ…さま?」
乾ききった唇から幼い言葉がゆっくりと紡がれる。
「そうだ。俺だ、ウーゴだ」
囁き返すと、ふわりと表情がほどけた。
「きょうも、きれい」
たどたどしい物言いに、彼女はうつつのなか出会ったころの幼い少女の状態なのかもしれないと思い、ウーゴは目を細めて笑いかける。
「そうか。ありがとう」
「ルーはね……」
何かを言いかけて、エステルはまた睫毛は帳を下ろしてしまった。
規則正しい吐息がウーゴの頬に当たる。
身体の力を抜き、全てをゆだねると言われているかのようだ。
ウーゴは片手で己のマントを外し、エステルをしっかりと包み直した。
そして左手で身体を強く抱きしめ、右手で手鎖を掴む。
「スノウ。行こう」
クルルとフェンリルは喉を鳴らし、ふわりと地上に向かって跳躍した。
風が吹き、明け方へと向かう月の光がウーゴの顔を照らす。
「おつきさまと、おそらか……」
星の流れる空の下を駆け抜けながら、黄金の瞳とサファイアの瞳は強く輝いた。
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