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第一章 婚約破棄と追放、そして再会
操り人形たちの宴
しおりを挟む王宮の大広間は元の絢爛豪華な夜会のさまに戻っていた。
いや。
強制的にそうさせられていた。
ヘイヴァース公爵家の侍女の切断された手首と思われるものが披露された時に会場内は混乱した。残酷な場から逃げだそうとしたり、気分を悪くして倒れる者が我先にその場を後にしようとしたが、馬車を使って王宮内から出ることを禁じられ、とどまっている。
貴族が徒歩で夜会の衣装姿で路面を歩くなどあってはならないこと。
特に、全身を装飾品で飾り立てずっしりと重いドレスに身を包んだ貴婦人には不可能だ。
仕方なく震えながら身を寄せた休憩室で、侍従たちから『なぜ、王子の新たなる門出を祝わないのですか?』と尋ねられ、死に物狂いで這いだした。
この夜会の趣旨を読み違えると、公女エステルと同じ処分を下されることを暗に言っていると理解したからだ。
乱れていた大広間はすっかり綺麗に片づけられ、新たな装飾がほどこされ、何事もなかったかのよう。
楽団も華やかな舞踊曲を演奏し続けている。
広間の中心でジュリアンと婚約者のオリヴィア様が見つめ合いながら優雅にダンスを踊る。
三曲立て続けに踊り続ける彼らに、呼び戻された人々は必至で歓声と拍手を送った。
「さあ、お前たちも楽しむがよい」
ジュリアンの掛け声に、人々は操り人形のように広間へ集結し、踊り始める。
この夜会の支配者の機嫌を損ねないよう、神経を張りつめさせ、精一杯陽気な声をあげながらステップを踏む。
早くこの夜が明けてくれることを願いながら。
「どうかお許しください、王子殿下」
二階の王族控室で侍女姿の女が両手と額を床に付け、全身をがたがたと震わせながら詫びた。
「お前はなに一つ、私の指示に従っていない。ずいぶんと舐められたもんだな」
長椅子の上で足を組み、ジュリアンは女を見下ろした。
「下っ端が少しやらかしたぐらい、何とでもなっただろう。それだけの権限がお前にあったんじゃなかったのか?」
低く、低く。
彼の冷たい声が女の首にまとわりつく。
いつ殺されてもおかしくない。
「ひっ」
首をすくめて、エステルのドレスルームの責任者だった侍女は小さく悲鳴を上げた。
彼女とジェニファーは買収され、今夜の騒動に加担していた。
前報酬として多額の金。
成功報酬は離職後のぜいたくな生活と男。
公爵家は取り潰しになるという言葉を信じて飛びついたが、今はかなり後悔している。
まさか、ジェニファーがあれほど不器用だったとは。
歯噛みしながら、無礼を承知で言い訳をした。
「で、ですが……。エステル様はジェニファーがチョーカーを壊してしまうとすぐに我々ドレスルームの侍女を外へ追い出てしまったのです。そして一時間ほどこもって、専属侍女が何度もドアを叩いても返事すらしませんでした。そしてようやく出てきたかと思えばあのような装いに……」
「予備のドレスも用意させたではないか。なぜそれを着せなかった!」
「無理でございます。そもそもあのドレスはお気に召さない様子でしたので、変更させないために指示通りぎりぎりまで着付けに時間をかけました。あの時さらに殿下がご用意くださったドレスに着替え直すとなれば登場時間が遅れます」
もしもの場合を考えた予備のドレスとアクセサリーの全てにこっそりと細工していたのに、空振りになってしまった。
「そこを何とかするために、高い報酬を積んだというのに、この能無しめ!」
ジュリアンは長椅子から立ち上がると、つかつかと侍女の前に来るなり、肩を蹴飛ばした。
「ぐっ……っ」
あまりの痛みに肩に手を当てて転がる。
そんな彼女を尖った靴のつま先で更にジュリアンは何度か蹴り上げた。
「せっかくの見せ場をお前は無にした。ほんの少し力を加えたらドレスの胸元が破れるよう細工しておけと言ったはずだが? しかも、アイツの顔は爛れていないし、髪も全く何ともなかったのはどういうことだ!」
ジュリアンたちは髪に塗る香油からおしろい、口紅至るまでエステルの化粧品を全て入れ替えさせていた。
遅効性の毒で、王宮についたあたりからかぶれだし、断罪の場では軽い力で髪がごっそり抜けるほど醜い姿になるはずだった。
しかし、エステルの黄色味を帯びた真珠のような肌とつやつやとした闇色の髪はそのままで。
神の子のように侵し難い美しさのドレス姿と、それに反する妖艶な唇を思い出したジュリアンはごくりと喉を鳴らす。
「くっ……お前のせいで」
一瞬でもエステルを脳裏に描いた自分を許せないジュリアンは目の前の女に八つ当たりをする。
腹を背中を腰を。
容赦なく蹴りつけるジュリアンの足は止まらない。
興奮した彼に蹴り殺されるのを女は痛みに耐えながら覚悟した。
「殿下。お腹立ちはごもっともですが、どうかお腹の子に免じてそこまでになさってくださいませ」
ゆったりとしたドレスに着替え直してきたオリヴィアが隣室から入ってきて宥める。
「オリヴィア……」
ジュリアンの額に浮かんでいた汗をオリヴィアは手にしたハンカチで優しく拭う。
「そんなにお責めになっては、ダイナは何も答えられませんわ」
「そうだな……すまぬ」
穏やかになった空気に侍女ダイナはほっと息をついた。
「お前もそんなに早く、ジェニファーの元へは行きたくないわよねえ、ダイナ」
ぺたんと床に腰を下ろしてオリヴィアは無邪気に笑う。
「せっかくお父様が奔走して手に入れてくださった特製の化粧品、どうして使わなかったの? それともエステル様の肌には効かなかったってことかしら? それにあのドレス、随分丈夫で、上等なのね? あんなものがあるなんて、私に報告してくれなかったなんて悲しいわ。あなたとはずいぶん仲良くなったつもりだったのに……」
眉尻を落として唇を尖らせる美女に、ダイナはふるふると頭を振った。
「いえ……いいえ。化粧品は全て指示通りです。しかし……。エステル様は衣装を着替える時に全てやり直したと」
「誰か手伝ったの? 筆頭侍女は近づけさせないよう細工したのでしょう?」
「はい。おそらく一人ですべてをこなされたのではないかと……。そのような訓練が王子妃教育にあると聞いたことがあります。それに、あのドレスは私どもは今まで見たことがありません。ただ、あの方の言では、このドレスはお母上が先王様から頂いたものだと……」
たどたどしく説明しながら、ふと彼女の言葉が頭をよぎる。
『たとえ本日の趣向から多少離れていたとしても、罪に問えない筈よ』
……もしや公女は、何もかも。
そうだとしても、もう、今更どうすればよいのかわからない。
確かあの時、亡き乳母が手伝ってくれたと言っていたが、そんなばかばかしいことを報告できるはずもない。
口にした途端、切り殺されるだろう。
「そういえば、それと似たドレスをまとった女性を確かに見たことがあります。肖像の間で」
側近の一人がぼそりと口をはさんだ。
「なに?」
ジュリアンが振り返ると、他の騎士たちも頷き始める。
「思い出しました。先王と公女の母君であるレイラ姫の肖像画です。あれは回廊の奥にあります。ここからかなり離れた場所にあるので殿下はご覧になった覚えがないのかもしれませんが、とても大きく作られた上に王家の肖像なので家臣や各国の大使は必ず目にしたことがあるでしょう」
それを聞くなり、ジュリアンは顔色を変えた。
「すぐにそこへ案内しろ」
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