闇色令嬢と白狼

犬飼春野

文字の大きさ
上 下
16 / 54
第一章 婚約破棄と追放、そして再会

仲間割れ

しおりを挟む


 木々の枝が交差して星明りも見えない森の中を七頭の馬上騎士と小さな馬車ががむしゃらに走っていた。
 先頭を走る警備隊の男は一度この領内を訪れたことがあり、魔石の灯火のみで迷いなく進む。
 いたるところに木の根が出ている悪路で、本来ならばゆっくりと走らせるべき馬車が何度も障害物に当たり、飛び上がっては無理矢理着地しており、車輪も器具も悲鳴を上げている。

「そろそろ限界じゃねえか?」

 二番目に走っている男が下卑た笑いを浮かべて馬車を振り返る。
 薄明りの中同じく馬を走らせているデイヴは手綱を握りしめ、王都での第三王子の言葉を思い出す。


『護送中の事故に見せかけて殺してしまえ』

 近衛のダニエルたちに言い放った後、デイヴの肩を叩き耳元に囁いた。

『殺す前に必ず、犯せ。もし先に殺してしまったなら死姦しろ』

 王子がなんとか辻褄を合わせようとしているのは明らかだ。

 本来ならば公爵令嬢が粗相した侍女を殺したところで対して罪にならない。
 エステルはそれが許される立場だからだ。
 修道院送りにする理由として通用するのは、王室を裏切って不貞を働いていたとするのがぎりぎりの線だ。

 托卵なら大いに罪になる。

 幼いころから完璧な淑女、エステル・ヘイヴァース。
 彼女の瑕疵は母親が卑しい女だったことだけだ。
 それさえなければ知性も振る舞いも誰もが賞賛し敬愛したことだろう。
 そんな彼女に罪を着せるにはありもしない不貞をでっちあげる以外にない。

 しかし。

「誰を……」

 そうつぶやいたところで、馬車の方から異音が聞こえた。

 車軸か車輪が割れたような不快な音。
 そして、馬の悲鳴。
 全員が振り返る間もなく、馬と馬車は横倒しになり転がった。
 土の匂いがあたりに立ち込める。

「あーあ。しまったな。馬もやられた」

 御者をしていた男は異変を感じた瞬間にうまく飛び降りたらしく無傷で、泡を吹いて痙攣する馬を残念そうにのぞき込む。

「もう一頭借りるわけにはいかねえだろう。今から事故を起こしますって言っているようなもんだし」

 最後尾の男が馬から降りて、馬車に近寄る。
 黒塗りの箱の中からは何の気配もない。

「さてと。お姫様はどんな感じかなあ?」

 場違いなほどうきうきと歌うように言いながらよじ登り、この状況でも割れていない窓の中を覗き込む。

「んー、もしかして逆立ちになっているのかな。ドレスがちょうど塞いでて見えねえや」

「どけ、俺が行く」

 デイヴも馬から降りて馬車に近寄ろうとするが、騎士二人に後ろから取り押さえられた。

「……おい。どういうつもりだ」

「あんたは最後だよ。俺たちがじっくり堪能してからだ」

「どうしてもって言うんなら、殺してからやらせてやる。王子様もそう言っていたろ?」

 げらげらと男たちは嗤う。
 ジュリアンのささやきはきっちり警備隊員たちの耳に届いていたのだ。

「お前ら……」

 ダニエルが顔色を変えて剣に手をかけると、警備隊でリーダー格のラッセンという男が後ろから羽交い絞めにして喉元に短剣を当てた。

「ああ、近衛のお坊ちゃんも動くなよ。俺たちは残念ながらあんたたちと違ってお育ちは良くないんだ。こんな機会でもない限り、上玉の女なんて抱けないからな。こんな夜中に仕事をさせられるからには手当はたんまりもらうよ」

「……ラッセン。こんなことして、ただで済むと思うか」

 ダニエルが歯を食いしばり声を絞り出すと、愉快で仕方ない様子で拘束している男は喉を鳴らした。

「思っているさ。いざとなったらあんたたちをお姫さんと一緒に谷に落として魔物の餌にすりゃいいだけの話だしな。綺麗な制服着て格式ばった試合と訓練だけしかしてねえあんたたちのへぼな体術なんか俺たちには通用しねえよ」

 周囲の隊員たちがダニエルとデイヴの帯剣ベルトを外し、離れた場所へ放り投げる。

「ちがいない。俺たちが男の尻には興味ねえことに感謝しな」

 そして手際よく持参していた縄をデイヴとダニエルの身体に巻きつけ縛り上げ地面に座らせた。

 
「お嬢ちゃんたちはゆっくりそこで観覧してな。終わったら解放してやるからよ」

 声を上げて陽気に笑いながらもう一人が馬車の上に飛び乗り、扉を二人がかりで持ち上げた瞬間、ガラスが割れ、黒い何かが飛び出した。

「ぶはっ!!」

「あ゛?」

 二人は扉を持ったまま固まる。

「おい、どうした――」

 ラッセンが声をかけるが、二人はそのまま後ろに倒れ、どさりと地面に転がり落ちた。

「は?」

 全員、何が起きたのかわからなかった。

「おい、ちょっと、なにふざけてんだよお前……」

 足元に転がってきた仲間の身体をひっくり返すと、目を見ひらいたまま動かない。

「ひっ……、し、死んでる!」

 胸元に細い何かが刺さっている。
 いや、貫通しているのだ。

「おい、こっちは生きてるが目をやられた!」

 別の隊員が叫ぶ。

「なんなんだ、どういうことだこれは!」

 御者をしていた男が慌てて馬車の中を覗き込むと、中にいるはずの罪人がいなかった。

「女が逃げた!」

 一瞬にして消えた黒い『何か』は公爵令嬢だったのだと、ようやく気付く。
 そして、またたくまに警備隊員二人を害したのも。

「なんだと! あのクソアマ……ただじゃおかねえ」

 ラッセンが歯ぎしりをして、指示を飛ばそうとしたその時。

『……アオ――――――ン、オオウ――――』
『オ――――ン、オオオ――ン』

 遠吠えが聞こえ始めた。

「なんてこった……。女は逃げるわ、狼がかぎつけるわ……」

「ラッセン、俺たちの縄を解け。今のでわかっただろう。エステル様は手ごわい。このままでは無傷でどこかに助けを求める可能性が高いし、二人の血をかぎつけた獣たちに俺たちは囲まれる」

 デイヴは判断を迫った。

「くっ……。わかった。おい、紐を解いてやれ」

 部下に命じてダニエルたちを開放させる。

 王子からの任務を遂行できなかった場合、自分たちに待っているのは地獄だ。
 なんとしても、エステルを闇に葬らねばならない。

「とにかく追うぞ。走ったところでそんなに遠くへはいけない筈だ」

 ラッセンは取り上げた武器をデイブに投げ返した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お願いだから私のことを捨ててください

上野佐栁
恋愛
 主人公はこの国の皇帝の伴侶として迎え入れられるはずだった。だけど、宮殿に向かう道中で実の父親に殺されて人生を終わらせる。これで終わりだと思った。たが、なんと四歳まで時を遡る。それまでのことを思い返し死の運命を回避するために父親から捨てられるような娘になろうとする物語。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

【完結】母になります。

たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。 この子、わたしの子供なの? 旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら? ふふっ、でも、可愛いわよね? わたしとお友達にならない? 事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。 ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ! だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。

【完】あなたから、目が離せない。

ツチノカヲリ
恋愛
入社して3年目、デザイン設計会社で膨大な仕事に追われる金目杏里(かなめあんり)は今日も徹夜で図面を引いていた。共に徹夜で仕事をしていた現場監理の松山一成(まつやまひとなり)は、12歳年上の頼れる男性。直属の上司ではないが金目の入社当時からとても世話になっている。お互い「人として」の好感は持っているものの、あくまで普通の会社の仲間、という間柄だった。ところがある夏、金目の30歳の誕生日をきっかけに、だんだんと二人の距離が縮まってきて、、、。 ・全18話、エピソードによってヒーローとヒロインの視点で書かれています。

どうして私にこだわるんですか!?

風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。 それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから! 婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。 え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!? おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。 ※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。

この国の王族に嫁ぐのは断固拒否します

恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢? そんなの分からないけど、こんな性事情は受け入れられません。 ヒロインに王子様は譲ります。 私は好きな人を見つけます。 一章 17話完結 毎日12時に更新します。 二章 7話完結 毎日12時に更新します。

ちっちゃいは正義

ひろか
恋愛
セラフィナ・ノーズは何でも持っていた。 完璧で、隙のない彼女から婚約者を奪ったというのに、笑っていた。 だから呪った。醜く老いてしまう退化の呪い。 しかしその呪いこそ、彼らの心を奪うものだった!

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

処理中です...