6 / 54
第一章 婚約破棄と追放、そして再会
断罪の始まり
しおりを挟む一呼吸おいてから足を一歩踏み入れると、出席者の歓談で鳥の集会のように姦しかったはずの大広間はしんと静まり返った。
ゆるりと視線のみ巡らせて、装飾を確認する。
白と淡いピンクのバラと絹のリボンに埋め尽くされた、なんとも初々しい趣向だ。
それが何を意味するかしっかりと胸に刻み、ドレスの裾を軽くつまんで片足を踏み出した。
カツン―――。
楽団の演奏も止められ、エステルが歩を進めるたびに靴のヒールが大理石の床に当たって起こす硬質な音だけが響き渡る。
遅すぎず、早すぎず。
完璧な所作で歩き続けた。
ひそやかなさざめきが耳に届くが、頭をまっすぐに前を見据えたままエステルは進む。
周囲は色の洪水だ。
女性たちは誰かの髪の色をドレスの基本色としているため誰もかれもが淡い色で、ふわふわと頼りない。
優しい色、と言うべきなのだろう。
その中を闇色のカラスが氷河を割って進む船のように色彩を割っていく。
王家を除けば一番上の地位にある公爵令嬢に人々は頭を深く垂れ、道を開ける。
ちょうど大広間の半ばまで到達した頃だろうか。
「エステル・ディ・ヘイヴァース! そこで止まれ!」
裏返った甲高い声が高い位置から投げかけられた。
ぴたりと足を止め、エステルは軽く頭を傾け二階へ半円型に張り出したバルコニーを見上げた。
そこは王族が夜会の始めに姿を現して口上を述べ宴の開催を宣言する場所。
もしくは、『重大な発言を行い、知らしめる』場所。
そこは金糸のつづれ織の幕とリボン、そして薔薇で飾り立てられていた。
「ずいぶんと仰々しい演出だこと……」
ひそりと呟き、両手の指をウエストの前に揃えて拝聴の姿勢をとる。
「エステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する!」
唾を飛ばしながら声を張り上げるのは、当然、第三王子ジュリアン。
父譲りの青みがかったプラチナブロンドと、半透明なアクアマリンの瞳。
エステルの中指にはめられたミルキーアクアマリンの石と同じ色だ。
細くて高い鼻梁から作られた繊細な顔立ちは、友好国から嫁いだ王妃の美貌を多く受け継ぎ、幼いころから美しいともてはやされ愛された。
しかし、それは彼にとって良いことだったのだろうか。
ため息をエステルはこらえて口を開く。
様式美を求められているのは、重々承知。
「……婚約破棄の理由は何でしょうか」
さして大きくない公爵令嬢の問いはしかと彼の耳に届いたのか。
いや、想定通りの言葉が嬉しくてたまらないのだろう。
にやりとほおを緩ませ意気揚々と答える。
「理由は、お前が陰で男あさりをし、不貞行為を行っており、既に純潔を失っているからだ。決まりを破った女が王家に嫁ぐなど、背信行為も甚だしい!」
「不貞、行為ですか……」
不貞行為を理由に婚約破棄しようとしているジュリアンの傍らには、甘いピンクブロンドにペリドットのようなオリーブグリーンの瞳の愛らしい顔立ちをした女性が寄り添っている。
オリヴィア・ネルソン侯爵令嬢。
ここ最近、ジュリアンの寵愛を彼女が一身に受けていることはエステルばかりでなく宮廷の誰もが知っている。
そして今、彼女が身に着けているのはふんわりとした薄衣に真珠を惜しみなくちりばめられ、流行の最先端のデザインである水色のドレス。
大きく開いた胸元には、首から繊細で見事な意匠の真珠のチョーカーが下がっている。
おそらく。
見覚えがあるというよりも、つい数刻前に首から解けて飛び散ったあのチョーカーそのものだ。
あちらが全て本物。
ジュリアンはエステルに恥をかかせるために、オリヴィアの為に作らせたドレスと装飾と全く同じでありながら、材質はことごとく格が下がるイミテーションをわざわざ贈り当日着るよう仕向けた。
小柄で胸と腰が豊かな女性らしいオリヴィアに対し、エステルは父譲りのしっかりした骨格が災いし女らしさより威厳を感じ、近寄りがたい。
もとより、オリヴィアの美しさを最高に引き出すために作られた衣装を身に着けたところで誰の目にも滑稽にしか見えないだろう。
まがい物に気付かずこの大広間の中心に立たせることこそが彼の演出の一部だったのだ。
しかし、そそっかしい侍女のおかげで一つ計画が崩れた。
今頃あの侍女は内通者から罰を受けるか、いや、殺されているかもしれない。
なぜなら、あの侍女はチョーカーがいずれ壊れるものだと知っていたからだ。
壊れるのは、今じゃない。
糸が切れた瞬間の彼女の悲鳴はそれを物語っていた。
1
お気に入りに追加
125
あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

ざまぁはハッピーエンドのエンディング後に
ララ
恋愛
私は由緒正しい公爵家に生まれたシルビア。
幼い頃に結ばれた婚約により時期王妃になることが確定している。
だからこそ王妃教育も精一杯受け、王妃にふさわしい振る舞いと能力を身につけた。
特に婚約者である王太子は少し?いやかなり頭が足りないのだ。
余計に私が頑張らなければならない。
王妃となり国を支える。
そんな確定した未来であったはずなのにある日突然破られた。
学園にピンク色の髪を持つ少女が現れたからだ。
なんとその子は自身をヒロイン?だとか言って婚約者のいるしかも王族である王太子に馴れ馴れしく接してきた。
何度かそれを諌めるも聞く耳を持たず挙句の果てには私がいじめてくるだなんだ言って王太子に泣きついた。
なんと王太子は彼女の言葉を全て鵜呑みにして私を悪女に仕立て上げ国外追放をいい渡す。
はぁ〜、一体誰の悪知恵なんだか?
まぁいいわ。
国外追放喜んでお受けいたします。
けれどどうかお忘れにならないでくださいな?
全ての責はあなたにあると言うことを。
後悔しても知りませんわよ。
そう言い残して私は毅然とした態度で、内心ルンルンとこの国を去る。
ふふっ、これからが楽しみだわ。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

順番を待たなくなった側室と、順番を待つようになった皇帝のお話 〜陛下!どうか私のことは思い出さないで〜
白猫
恋愛
主人公のレーナマリアは、西の小国エルトネイル王国の第1王女。エルトネイル王国の国王であるレーナマリアの父は、アヴァンジェル帝国との争いを避けるため、皇帝ルクスフィードの元へ娘を側室として差し出すことにした。「側室なら食べるに困るわけでもないし、痛ぶられるわけでもないわ!」と特別な悲観もせず帝国へ渡ったレーナマリアだが、到着してすぐに己の甘さに気付かされることになる。皇帝ルクスフィードには、既に49人もの側室がいたのだ。自分が50番目の側室であると知ったレーナマリアは呆然としたが、「自分で変えられる状況でもないのだから、悩んでも仕方ないわ!」と今度は割り切る。明るい性格で毎日を楽しくぐうたらに過ごしていくが、ある日…側室たちが期待する皇帝との「閨の儀」の話を聞いてしまう。レーナマリアは、すっかり忘れていた皇帝の存在と、その皇帝と男女として交わることへの想像以上の拒絶感に苛まれ…そんな「望んでもいない順番待ちの列」に加わる気はない!と宣言すると、すぐに自分の人生のために生きる道を模索し始める。そして月日が流れ…いつの日か、逆に皇帝が彼女の列に並ぶことになってしまったのだ。立場逆転の恋愛劇、はたして二人の心は結ばれるのか?
➡️登場人物、国、背景など全て架空の100%フィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる