闇色令嬢と白狼

犬飼春野

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第一章 婚約破棄と追放、そして再会

闇色令嬢

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「エステル様、中へ入れてください。着付けを完成させねば、もう時間がありません。」

 専属侍女筆頭のクララが扉をノックして話しかける。
 彼女の背後には先ほどの侍女たち十名が一糸乱れぬ列を作り、うつむいて控えていた。


 公爵令嬢がドレスルームでの人払いをしてからおよそ一時間後のこと。
 出席予定の王宮での夜会の開催時間が刻々と近づいている。

 エステル・ヘイヴァース公爵令嬢は第三王子ジュリアンの婚約者であり、この国の令嬢たちの中では最高位。
 最後に入場するのがしきたりだが、王宮内にある専用の控室で早めに待機すべきだ。
 今夜は国王夫妻と王太子夫妻が友好国の戴冠式へ出席のために半月ほど前から不在で、第二王子も妃が妊娠し実家の侯爵領で療養中となり、急遽王宮を離れている。
 よって、主催者は第三王子ジュリアン。
 貴族の交流のために定期的に行われる夜会であるものの、実質的には次期王子妃であるエステルの成人祝いと半年後に控えた成婚式を祝う宴であった。

「お嬢様。貴方様は今夜の主賓です。欠席は許されません」

 少し強めの言葉をかけると、ふいに中から静かな声が返ってきた。

「おはいり」

 クララは護衛騎士たちに合図を送り、扉を開かせる。

「失礼いたします」

 深く一礼してから入室したクララに続いて足を踏み入れた着付けの侍女たちは、ドレスルームの中の光景に驚きの声を上げた。

 けぶるような水色の薄衣を何枚も重ねて空気を含ませ、クリノリンでふんわりと膨らませた水の妖精を思わせるドレスを着用し、濃紺色の髪をハーフアップに結い、鏝で丸めて波打たせ腰まで流していたはずなのに。
 今の小公女の装いは対極にあった。
 最下層に着用しているのは限りなく黒に近い青色。
 その上に細かな装飾をほどこされた藍色のレースのガウンを重ね、ほっそりとした首筋から手首まで覆い隠している。
 髪は複雑に編み込まれて高く結い上げられ、簪などの繊細な金の装飾が装着されている。
 宝玉は一切つけず、黄金のみ。
 第三王子ジュリアンのプラチナブロンドを思わせる真珠と瞳の色を模した水色のドレスを全て取り除き、己の色をまとっていた。
 さらには化粧も最初からやり直したのか、ドレスに合わせて淡く儚げな印象を持たせる色調から一転して、目鼻立ちがくっきりと表れるよう、唇と目じりを紅く染め上げている。

「ちょうどよかったわ。クララ。今、爪を塗ったばかりなの。そこにある真珠を載せてくれるかしら」

 初々しく薄桃色に塗っていたはずの爪はラズライトに塗り替えられ、白くて長い指が鋭くとがって見えた。

「真珠」

 侍女の一人が呟き、床をきょろきょろと見回す。
 糸が切れて散らばったはずのチョーカーの真珠は一つも見当たらない。

「ああ、あれはおおむね集めたわよ」

 鏡台の上に白いハンカチが置いてあり、そこに大小さまざまな白い珠がのっている。

「全く身に着けていないと殿下に文句を言われそうだから、極小を爪に付けていくわ」
「承知しました」

 主人の意図することを理解したクララは軽く頷くと、近くに跪いた。

「失礼します。どのようにお付けしましょうか」
「ええ。まず、その右の手前の珠を中指の根元の真ん中に……」
「はい」

 二人が平静に爪を仕上げていく中、衣装係たちは小声で会話を交わし合う。

「大丈夫なのでしょうか。今夜のためにと殿下から頂いたドレスも装飾も……何一つ身に着けておられません」

 靴や扇と言った小物まで一新し、全て限りなく黒に近い色ばかりだ。

「それに、小一時間の間にいったいどうやって……」

 十人がかりでようやく仕上げたものを大きく独りで変えたという事なのか。

「独りじゃないわ。バルバラが整えてくれたのよ」

 ひっと侍女たちは上げそうになった悲鳴をすんでのところで噛み殺す。

 バルバラ。
 それはエステル及びヘイヴァース公爵前夫人である王女レイラの乳母の名だ。
 しかし、彼女は数年前に老衰で亡くなったはず。

 なのに、エステルはさも当たり前の事のように乳母の存在を口にした。
 幽霊が着替えと化粧直しをしてくれたとでも言うのか。
 あまりの気味悪さに顔を青ざめて震えだす者もいる中で、エステルは爪の細工の続行をクララに指示しながら言葉をつづけた。

「それに、このドレスはお母様がお祖父様から頂いたもの。たとえ本日の趣向から多少離れていたとしても、罪に問えない筈よ」

 エステルの祖母は遠い砂漠の真ん中にある王国の、最後の姫君だった。

 様々な理由で滅んだ国から一人救い出され、流れ流れてこのアシュフィールドへたどり着き、前王の側室となって姫君を産んだ。
 レイラと名付けられた姫は母親そっくりの闇夜色の髪と黒猫の目のような金色の瞳。
 アシュフィールド国の王族らしさはかけらもなく、蛮族の姫と陰口を叩かれ続けた。
 後ろ盾がないにもかかわらずなぜか筆頭公爵家であるヘイヴァースへ降嫁し、生まれたのがエステルである。

 そして彼女もまた。
 特異な容姿ゆえに闇色令嬢とあだ名されていた。

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