闇色令嬢と白狼

犬飼春野

文字の大きさ
上 下
1 / 54
第一章 婚約破棄と追放、そして再会

散らばる真珠

しおりを挟む


 耳元でぷつ、と何かが切れる気配がした。

「あ……っ! そ、そん……」

 背後の侍女が悲鳴に近い声を上げた瞬間、身体の上をぱらぱらと白い珠が解け落ちる。

 カシャン、カラ、カラン、コロ……
 
 丹念に磨き上げられた飴色の床を大小さまざまな大きさの真珠が四方に飛び跳ねながら転がり散っていくのが目の端に映った。
 装飾職人によって技巧の限りを尽くし丹念に編まれた総真珠のチョーカーが一瞬のうちにただの糸となりだらりと残骸が首に下がる。
 香水やおしろいの甘い香りの漂うドレスルームに重い沈黙が落ちた。
 居合わせた者は十人近くいたが全員が石のように固まって動かない。

「ああ……」

 鏡台に座る女性が軽く息をつく。
 凝った意匠の淡い空色のドレスを数人がかりで着付け、化粧も髪も完璧に仕上げられ、最後にチョーカーを装着して出来上がりの筈だった。
役目をしくじった侍女はぶるぶると震えながら床に両手と額をついて叫ぶように謝罪する。

「も、申し訳ありません、お嬢様! 私の不注意で、なんてことをっ、どうか罰をお与えください!」

 専属侍女になり着付けを担当するようになって一年は経つ若い女の後頭部をじっと見おろし、ゆっくり口を開いた。

「お前のせいじゃないわ」

 膝の上に揃えた指先すらぴくりとも動かさず、じっと鏡台に映る自分を見つめたまま令嬢は答える。

「で、ですが……」

 土下座をしていた侍女がおそるおそる顔を上げると、鏡の中の主と目が合い、ひっと息をのんだ。
 限りなく黒に近い紺色のまつ毛に縁どられた黄金の瞳はまるで人形のようにぽかりと開いたまま。
 照明の光を受けて無機質に輝いていた。

「みな、お下がり」

 深く柔らかな音だが、何の感情ものせられていない声が静かに響く。
 怒りも、落胆も。
 彼女の表情と声から推し量ることは到底できない。

「で、ですが……」

 一番年かさの侍女がおそるおそる反論すると、身じろぎ一つしないまま応えた。

「このままで良いから。気持ちを切り替えたいの」

 この場で女主人の言葉は絶対である。

「は、はい……」

 全員が深く一礼した後、床に散らばる真珠を踏まぬよう目を配りながら一斉に退室した。
 扉を静かに閉じる瞬間までも。
 彼女は動かない。

 エステル・ヘイヴァース公爵令嬢。
 この日、十八歳の誕生日を迎えた。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

公爵令嬢を虐げた自称ヒロインの末路

八代奏多
恋愛
 公爵令嬢のレシアはヒロインを自称する伯爵令嬢のセラフィから毎日のように嫌がらせを受けていた。  王子殿下の婚約者はレシアではなく私が相応しいとセラフィは言うが……  ……そんなこと、絶対にさせませんわよ?

成人したのであなたから卒業させていただきます。

ぽんぽこ狸
恋愛
 フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。  すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。  メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。  しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。  それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。  そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。  変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。

処理中です...