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王都編

出産前の取り決め

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「なぜこんなことになったのか全くお解りでないようなので、少し忠告しておきます、ローレンス様」

 腕を組み、氷のように冷たい視線を戸籍上の夫に向けてナタリアは口を開く。

「手をつける女性には事前にきちんと説明し同意を得たうえでことを始めてください。何があっても最愛の女性はマリア様であると」

「…どういうことだ」

「この東館の使用人たちの生まれはいずれもマリア様より上です。そんな彼女たちはローレンス様の寵愛を受けたなら、主従の立場が逆転できると考える者も少なくありません。今回のジャネットはまさにそれです」

 たとえマリアが無事に子どもを産んだとしても、修道院で育った子爵家の庶子。
 もしも妊娠できたなら伯爵家の嫡出子である自分の子の方が血筋は上なので、時を待たずに正妻になれるにちがいないとジャネットは思ったことだろう。

「おそらく、自分とローレンス様、もしくは他の女性との関係をマリア様に耳打ちし、もうすぐお前は捨てられるだろうと吹き込んだのでしょう。だから、マリア様はこの冷え切った夜に貴方様を探して彷徨ったのです」

「そんな…そんな、それはあくまでもお前の勝手な想像だ」

 しりすぼみになる反駁に、ナタリアは片眉を上げ肩をすくめる。

「そうですか? まあいいでしょう。今はそんなことに構っている暇はありませんから。まず、出産に立ち会える医師がいない以上、ここからは私の指示に従ってもらいます」

 言うなり、ナタリアはローレンスの執務机に屈みこみ手近な白紙を引き寄せるとそれにペンを走らせた。

「本館から連れてきた下級侍女たちはいずれも出産に立ち会った経験のある者ばかりなので、彼女たちを一時的に側仕えさせます。」

 自らの発言を書写し、更に連れてきた侍女たちの名前を綴る。

「東館の侍女たちはみな高位貴族の子女ゆえに出産の現場に立ち会ったことがありません。なので、彼女たちはあくまでも補佐。出産の環境を整えることを主とします」

 話しながらもナタリアの手は止まらない。
 カリカリとペン先が走る音だけが執務室に響き、その場にいる者はみな黙ってナタリアを見つめた。

「医療行為はスコット医師に執り行ってもらうしかありません。幸い、必要な器具は本館の医務室に揃っていました。それの消毒作業はスコット医師そして私付きの侍女のアニー。立会いに執事のセロンをお願いします」

 第二のジャネットはいないと願いたいが、見極める暇がない。
 母体に何かあってからでは遅いのだ。

「あと、全てはマリア様の意思に従う事。マリア様がもしローレンス様に傍にいてほしいと思われるなら立会い出産されても良いでしょう。ただ、望まれないなら隣室にて待機となります」

「そんな…。スコットがマリアの身体に何するかわからないじゃないか! そ、それにナタリアお前も、もしかしたらマリアを…っ」

「はい。そう言うと思いました。なので、その監視として東館侍女長のアルマ及び彼女が一番信頼している侍女たちを常時置くこととします。アルマ。後でこの下に監視役にする侍女の名前と、東館の侍女の名前を全部記入して頂戴」

「はい。わかりました」

 侍女長のアルマの方が、よほど話が通じる。
 ナタリアは嘆息しながら最後の一文を書いた。

「場を取り仕切るからには、私がマリア様の出産の全ての責任をとります。だから私に権限をお与えください、ローレンス様」

 書き上げた紙をローレンスの前に置く。

「ナタリア」

 数人が息をのむ。

「……本気、ですか。後になって撤回しないでくださいよ」

 家令のグラハムが、ねっとりとした目を向けた。
 もはや彼はナタリアへの反感を隠そうともしない。

「そのために今これを作ったのです。もともと、私はマリア様が妊娠したために買われた妻です。お二人が安寧であればこそ、続く契約だと理解しておりますゆえ」

 とんとんと、空欄を指さして続ける。

「私も郷里で様々な出産に立ち会いました。医療行為はさすがにできませんが全力を尽くします。ですから…」

「わかった。君を信じる」

 ローレンスは頷き、ペンを走らせた。

「ナタリア。マリアと…子供を頼む」

「かしこまりました」



 短い休息から目覚めたマリアは、不安げに目を潤ませおずおずと口を開く。

「あの…。ローレンス様、ごめんなさい。出来る事なら…赤ちゃんが生まれて、身づくろいするまで…。この部屋には入らないで頂けますか…?」

 懸命に、考え考え、答えた。

「マリア…。なぜだ。私は心配でたまらないのだよ」

 ナタリアの予想通り、いやそれ以上の回答に、ローレンスはマリアの手を取ってそばにいたいと懇願する。

 少女の願いは、産室からできるだけ離れてほしいとのことで、しばらく言いあううちにせめて二部屋ほど隔てた場所ということに落着した。

「以前、お産の姿が獣のようだったからと夫に厭われ、修道女になられた方がおられて…。私はローレンス様に嫌われたくありません…」

 ぽたぽたと大きな瞳から透明な涙が落ちる。

「そんなことが…」

 夫婦の会話に入る気はさらさらないが、ナタリアは額に手を当ててぼそりと呟く。
 どこにでも屑は存在し、女性ばかりが苦労する。

「ローレンス様とその方を重ねる非礼を許してください。ただ、私は自分がこれからどうなるかわからないので…。はしたない姿を見られたくないのです。ごめんなさい、我がままで…」

 嗚咽交じりの訴えに、さすがのローレンスも白旗を上げた。

「私がマリアを嫌う事なんてありえない。貴方は私の唯一の恋人だよ」

 涙をハンカチで拭ってやりながら、マリアの額に唇を落とす。

「でも、私がそばにいては気が休まらないというなら仕方がない。二つ向こうの私室で君と子どもの無事を祈ることにするよ」

「ありがとうございます。ローレンス様」

「愛しているよ、マリア」

 無事決着がついたからなのか、それから間もなくマリアの陣痛が始まった。


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