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王都編

五本勝負

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 ガンッ・・・ッ。

 凄まじく重い音が響き渡る。
 木と木の打ち合いなら、もっと軽く高めの音のはずなのだが、全く違う。
 しかも、連打に次ぐ連打。
 ふたりの体の動きも先ほどの比ではない。
 それなのに。

【×××、×× ×××× ×××、×××××―っ!】

 耳慣れない言葉をナタリアが木剣を振り下ろしながら叫ぶ。
 しかも、それに対し。

【×× ××××× ×××、××××・・・】

 剣を交える男もどうやら同じ言語で返している。

【×××、××× ×、××××~!】
【××・・・】
【×××、×××、×××× ××】
【×××】
【××】

 絶え間ない攻撃と口撃の連続だ。
 しかし、二人ともどちらも辞めずにひたすら続ける。

「ぶっ・・・っ。まったく、あの二人ときたら・・・」

 たまらず、パール夫人が噴き出し、腹を抱えて笑いだした。

「・・・彼らが言っている言葉、わかるのですか」

 トリフォードが首を傾けて尋ねると、彼女はメガネの下の目じりから涙をぬぐいながらうなずく。

「ええ、まあ。ばらしても良いかしら。今使っているのは北のザルツガルドの言葉ね。ほら、わが国とはほぼ断絶に近いから、あまりわかる人いないだろうって思ったのでしょうね。言いたい放題言い合ってるところ」
「ザルツガルド?」
「ナタリア様の母君のヘンリエッタ様の出身国なのよ。ナタリア様の体格はザルツガルド系ね」

 説明している間にも、二人は速攻の言い合いと打ち合いを続けている。

「ぶは・・・っ」

 いつの間にかトリフォードたちの近くにいたダビデが噴き出した。

「た、たまらん・・・」

 口元を大きな手で覆い方をふるわせダビデが悶絶する。

「あら、あなたもしかして・・・」

 岩のように縦にも横にも大きい男を見上げてパール夫人は首をかしげた。

「はい。私は両親がザルツガルド出身です。昔、商隊の警護をやっていてそのままこの国へ定着したもので…。ふ、ふっ・・・くくく」

 パール夫人へ返事をしながらも、耳がナタリアの叫びを聞き取ってしまうらしく、大きな目から涙を流して爆笑するのを耐えている。

「これは、すごいですね。お二人はザルツガルド語で罵倒の限りを。・・・ぶふっ・・・っ」

 とうとう、ダビデはこらえきれずに膝をついて笑い始めた。

「そう・・・なのよ、わかる人がいて、うれしい・・・わ・・・ははははっ」

 パール夫人も扇子を握りしめ、胸を叩きながら笑い続けている。
 貴婦人の鎧をかなぐり捨て、大口を開けて笑っている。

 どうやら二人が使っているのは、『ヘンリエッタ様』がとても使うような言葉ではないらしい。
 貴族で言うなら、『悪いことば』。
 親や乳母から鞭で叩かれるレベルの罵詈雑言。
 しかも、賭場で聞くような『べらんめえなまり』らしく、ダビデとパール夫人が笑いすぎて呼吸困難に陥っている。

「どこから・・こんなのを・・・」

 ひいひいと喉から空気を振るわせながらダビデが言ったその時。


 バキッッッ!

 ナタリアが振り下ろした木剣が折れた。

「・・・」

 ナタリアは冷静に折れた刃先の軌道を目で追った。
 誰もいない所へ飛ぶのを確認したと同時に残された木剣を放り出し、直ぐに身体を沈め、地面に両手をつく。

 ガンッ。

 リロイの容赦ない一振りがナタリアのすぐ脇に落ちた。
 それをわずかにそらして避け、そのまま地面を蹴り、先ほど撒いた木剣の一つへ向かって駆けだす。
 もちろんリロイはその後を追い、背中に向かってまたもや繰り出す。
 刃先が届く前にナタリアは木剣をつかみ、受け止めた。

 ガッ・・・。

「これは・・・」
「これが、ルールなのよ。身分に関係なく、実戦を想定した戦いをすること」
「実戦?」
「ダドリーはね。山岳地帯も抱えているから色々悪いモノが潜伏しやすいの。とくに、傭兵崩れがヤリたくなったら降りてくるから困ったものよ」

 
 ザルツガルドをはじめ接する他国との多少の小競り合いはあるが、ここのところ戦争らしきものはない。

 そうなると仕事にあぶれるのが傭兵をはじめとした戦闘稼業の者たちだ。
 戦闘に明け暮れた彼らは、普通の生活になじめず、平穏な社会からはじかれる。
 能力のある者、軍律に同意できる者は騎士団へ就くことができるが、そうでないものはあっという間に給金を使い果たし、路頭に迷う。

 戦争は、あらゆる禁忌を合法化する。

 平時は、隣人を愛せ、奪うなと諭し、それに基づいてこそ人々の営みが成り立つ。
しかし戦時は、他人の土地と財産を奪い、女を犯し、弱いものを理由なくなぶり殺しにすることが許され、むしろ推奨される。

 他者を叩き潰す強さこそ正義だ。
 雄であることを誇ってこその人生だ。
 
そんな世界を享受しつづけた者が、戦争が終わったから明日から倫理と法に基づいた従順で平凡な暮らしに戻れと言われても無理がある。
 彼らがゆっくりと「日常」へ戻る準備機関が設けられたなら、少しは違うかもしれない。
 上層部でそのような論議が多少はあったが、『はみ出し者』のことを国はすぐに忘れた。
 結局、無責任にも彼らは野に放たれた。
 一度人肉の味を覚えてしまった野生動物は元の森の生活へ戻れないように、戦地の快楽を覚えてしまった者の根源はなかなか変えられない。
 そうして、行き場をなくした男たちは徒党を組み、己の欲望に沿った法を作り、本能の赴くままに行動する。

 腹がすいたら、誰かの成果を奪いに行けばイイ。
 女は無理やり犯すのがイチバンだ。
 弱い奴は殴り殺してシマエ。
 
 そんな彼らに、騎士団の上品な戦法は通用しない。
 ひたすら泥臭く。
 脳と力を最大限に使って戦わねば、勝てない。


「だからこの訓練の時は、常に全力。そして、相手の欠点を必ず攻める。その方が絶対いずれ役立つのですって」

 パール夫人が語る間も、二人は激しく立ち回る。

 がんっと地面を蹴り、大きく飛び上がったナタリアが体重をかけて振り下ろす。


【☆☆☆、☆☆ ☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆!】


「あ。今度は神聖語だわ。ウインター卿は話せるのかしら」

 神聖語とは、司祭たちが公の場などで聖書を読み上げるときに使う言葉だ。
 文法的にはこの国の基礎となるが、単語や発音は全く違うため、解る人が少ない。

【☆☆☆!】

 受けたリロイはわずかに眉をひそめたものの、すぐ足を狙って払い、ナタリアはまた後ろに飛びずさる。

「あ、仕込まれたのね…」

 暗号として使っているのか、とトリフォードは頭の中で考えを巡らせる。
 元傭兵たちで神聖語を使えるものはほぼいないだろう。

【☆☆・・・!】
【☆☆、☆☆ ☆☆☆ ☆ ☆☆☆☆☆!】
【☆☆☆☆☆☆~~!】

 会話の中身が分かるパール夫人はにやにやしながら成り行きを見ている。

「・・・何を言い合っているのか教えていただいても?」

「もうね、悪口は言い飽きたみたいで、ナタリア様は実家のご飯が食べたいって言いだして、二人でメニューをひたすら叫んでいるの」
「・・・すごいですね、これだけ打ち合っているのに」
「うーん、郷愁?もう、今すぐ帰りたいのに帰れないはけ口が、爆発しているようね」


 次の瞬間、今度はリロイの木剣が折れ、彼が次のものを取りに走った。

 そして、また、打ち合いが始まる。


【◇◇ ◇◇◇・・・】
【◇◇◇◇ ◇◇】


 リロイがまた違う言葉を発して、ナタリアが返す。
 ざっと見まわして、今度も彼らの会話が分かる人はいないようだ。

「もしかして、この五本勝負のルールの一つは、言語ですか」

「ご名答。先に言葉を発した方の言語で始めて折れたら変更可能ですって。別に何語でも良いし一度使った言語はダメというわけではないらしいのだけど」

 剣術の訓練をしながら、多国語の練習。

「すごいスパルタですね」

 集中が途切れた時に負けるのは目に見えている。

「ちなみにこれはダドリーと西北で接しているサイオン国の言葉ね」
「はい、これはさすがにわかります。『もう疲れた』って言い始めていますよね、ウインター卿」

 トリフォードは苦笑する。
 そういうわりにはリロイの動きは全く衰えていない。
 驚くべきことだ。

「あら。・・・もしかして、トリフォード卿のご実家は・・・」
「はい、大公閣下に頼み込んでダドリーと領地替えをしたトランタン伯爵の係累です」

 正直に答えると、ああと、パール夫人はため息をついた。

「ならギルフォード家とも近しかったのね」

 ギルフォード家は、長年住み慣れた土地への愛着から領地替えの時にトランタン伯爵についていかずに残った一族だ。

「父とは従兄弟だったと聞いていますが、私は十代前半で家を出ているので・・・」

 両親が離縁した時に母に付き添い一緒に家を出たが、すぐに他界したため、トリフォード家についてはあまり知らない。

「そう・・・そうだったの」

 何事かを憂うようなパール夫人の様子に眉をひそめていたら、また木剣が折れ、とうとう最後の試合が始まった。
 ナタリアがまた、最初のザルツガルド語へ戻す。


「そのうち話すつもりだったのかどうなのかはわからないけれど・・・。よそから聞くより今知っておいた方があなたも気構えができて楽だと思うから・・・」

 パール夫人はとんとんとんと、扇子の端を顎に当てて思案しながら言葉をつづけた。

【ナタリア様の今は、ギルフォード一族の乱に起因するわ】

 パール夫人はサイオン語で語り始めた。
 なるべく周囲に聞かれたくない話なのは一目瞭然だ。

 ギルフォード一族の乱。
 初耳だった。


【どういうことですか、それは・・・】

 トリフォードもサイオン語に換えて、尋ねる。

 視線の先には、軽々とリロイの剣を払いのけて攻めの姿勢に変えるナタリアの生き生きとした戦いぶりがあった。

 二十歳の伯爵令嬢が。
 ウェズリー騎士団の頂点に立てるほどの剣豪ぶりであるなどと。
 それは才能なんて生易しい理由からではないのだと。

 パール夫人はそう言いたいのだ。


【どうか、教えてください】

 二人は騎士たちの輪から少し離れた見通しの良い場所へ移動する。

【あれは十二年くらい前になるかしら・・・】
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