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王都編

さて、つるし上げ劇場ですよ

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「・・・なぜ、寝室の鍵をかけている」

 身なりは慌てて整えたのか髪がいつもより乱れ、やや息を切らしてローレンスが登場した。
 すぐにパール夫人は最高位に対する礼をとり、部屋の隅に立つ。

「おかげで遠回りしたぞ」

 不機嫌な様子もあらわにずかずかと入ってくるローレンスへ、ナタリアは立ち上がって優雅に礼をとりソファへ座るよう勧める。

「おはようございます。先ほど使用人たちに昨夜の趣向を撤去させる折に、間違えてローレンス様のお部屋へ向かわせないための配慮でしたが、お気に障りましたか」

 おそらく、目覚めてすぐにナタリアの寝室へ突進して鍵が開かないため頭に血が上ったのだろうなと推測したが、気づかぬふりをする。

「・・・どうやって私は部屋に戻ったのだ。記憶にないが」

 数刻前、彼は最高潮に極まって気絶した。
 なので。

「夜勤の中にダビデがいたので、運んでもらいました。お身体を清めるのも手伝ってくれたので助かりましたわ」
「え・・・」

 ローレンスが色々なものにまみれていたので、屋敷内で一番大柄なダビデに介添えを手伝ってもらった。
 彼もトリフォードと一緒にダドリー領まで迎えに来てくれた階級の低い騎士で、温厚な性格とともに信頼がおける一人だ。

「父がこん睡状態の時に介護は一通り経験したので清拭は得意ですが、ローレンス様の体の大きさはさすがに手に余るのでお願いしました。いけませんでしたか?」

 途中で「介護・・・」とつぶやきが聞こえたが、こてんと首をかしげて見せると、「あ・・・いや・・・」とローレンスは口ごもる。
 ダビデに意識のない姿をじっくり見られた上に花嫁のように横抱きにされて運ばれたのが沽券にかかわるのだろうが、知ったことか。
 恥辱の受けっぷり頂上決戦はどうやってもこちらに軍配が上がる。

「まだよくお目覚めでない様子ですね。どうでしょうか。ローレンス様はいったんお風呂と食事を召されてからもう一度お話しませんか」

 身体は拭いたが髪や顔はそのままだから、せっかくの美貌もいつもより二割減だ。
 彼としては身を整えたいだろう。

「・・・ああ。そうだな」
「では、午後のお茶の時間に。どちらでお会いしましょうか」
「君の良いように」
「わかりました。では用意が整い次第、執事に知らせますのでそれまでどうぞごゆっくりお過ごしください」

 納得したように一つうなずき、ローレンスは席を立つ。

「じゃあ、また」
「はい」

 体勢を立て直すための時間を与えた。
 追い詰めすぎると噛みつかれる。
 とはいえ、全力で抑え込むつもりだが。



 そして、しばらくののち。

「お越しいただきありがとうございます、ローレンス様」
「ああ」

 ナタリアの執務室でローレンスを出迎えた。
 鷹揚に頷き彼はソファに腰を下ろすと、アニーがすぐさま紅茶を出す。
 お茶の時間と指定したが、菓子を並べる気はない。
 すぐにそれどころではなくなるからだ。

「勝手ながら、今回のお話には立会人を呼びました」

 合図を送るとトリフォードが隣との続きの扉を開いた。
 最初に入室したのはパール夫人、続いてローレンス付きの行政官トロント、最後に執事のセロン。

「初めまして、ウェズリー侯爵様。パール司法官の妻、メアリーでございます」

 パール夫人は小柄な体をかがめて優雅に礼をとる。

「パール司法官・・・?」

 公平な判断と有能さで名高いパール司法官を知らぬ貴族はいない。

「パール夫人は現在王太子妃の侍女ですが、もともと司法庁の高官だったので、行政官の資格をお持ちです。公平な話し合いの場に部外者が必要かと思いましたので招きました」
「そうか」

 すぐに興味を失ったらしく、ローレンスはあっさりと頷いて終わる。
 自分より一回りほど上で、黒いドレスに黒い髪をぴっちりと結い上げ、黒縁眼鏡。
 今のパール夫人は男性の好むような華やかさをあえて除去した仕様だ。
 食指がわかない女は空気以下の扱いで良いと断じたらしい。
 『行政官』でかつ夫が司法庁の重要職におり、『王太子妃の侍女』であることになんら意味を見出せないローレンスの鈍さに、パール夫人は冷たい笑みを浮かべた。
 室内の温度が数度下がったのをナタリアは感じ、心の中でローレンスの行く末を少しだけ案じた。

「それよりもどういうことだ・・・、セロン、トロント」

 ローレンスは視線を転じてウェズリーの配下二人をにらみつけた。
 長年の使用人たちが己の頭を飛び越えてナタリアの指示に従ったことが気に障るらしい。

「・・・ローレンス様・・・。わ、わたくしは突然呼び出されてここに参った次第で・・・」

 トロント行政官が顔色を失ってガタガタと震えだす。

「黙れ。お前の主人は誰だと…」
「黙るのはあなたです、ローレンス様」

 腰を浮かせて恫喝しようとしたのを、ばん、とテーブルを拳で叩いてナタリアが制した。

「な・・・っ。私に向かってその態度は、どういうつもりだ」
「どういうつもりもなにも。ローレンス様が頼りにならないから、こうして私たちがおぜん立てする羽目になったっていうのに、何を偉そうにふんぞり返っているのですか」

 まくしたてられて、ローレンスはたじろぐ。

「ナタリア、おまえ…、どうして・・・」

 今まで女性に詰め寄られた経験がないのだろう。
 目を白黒させて口をパクパクとさせていた。
 おまけに、ちょっと腰が引けている。
 かなり情けない。


 この甘やかされ侯爵め。


 よしこのまま強気で行ける、と心の中でこぶしを握り、斜め上から見下ろした。

「どうもこうもありません。来年には子供が生まれようっていうのに、この有り様。まさか旦那様、このままテキトーに過ごせばそのうち何とかなると思っているのではないでしょうね?」
「う・・・」

 あ、やはり適当に過ごすおつもりだったのですね。
 ローレンス以外の全員が思った。

「あのですね。大公閣下と旦那様のどちらがこの契約結婚を考え付いたのか知りませんが、穴だらけですよね。わかっています?」
「な、なにがだ・・・」


 うわ、こうきたか。
 いや、そうだろうけれど。


 ナタリアは腹をくくり、こどもに教えるように指を折って説明を始めた。

「お疲れでしょうから、とりあえず今回指摘は三つにとどめます。まず一つ目。マリア・ヒックス子爵令嬢を未成年にもかかわらずローレンス様が口説いて屋敷に連れ帰って囲い込み、妊娠させたことは王都中のみなさまはご存じです」
「な・・・」

 本気で驚愕の表情を浮かべることにびっくりだ。

「ナタリア様のおっしゃる通りです、ローレンス様。これほど面白い話を、どうして貴族たちの口にしないと思われたのかが不思議です」

 美少女で有名な王宮の侍女が急に消えた。
 しかも、ローレンスはマリアを手に入れたことを自慢したくてわざわざドレスメーカーや宝飾店へ連れて行き、さまざまのものを買い与え、それを身に着けさせては社交界で連れまわした。
 常に腰に手を回してひっきりなしに髪や頬に口づけては所有を誇示し、それが後見人の態度でなく抜き差しならぬ関係であると誰もが思い、多くは眉をひそめた。

「知らなかったのは、うちくらいでしょう。ゴシップどころではありませんから」

 今年初めから本当に、ダドリーはそれどころではなかった。
 義姉の実家もことさらに伝えてこなかったのは、よもやこちらに火の粉が降りかかるとは思いもしなかったからだ。
 しかしおそらく、他国の情報機関には知れ渡っているだろう。
 この国で最も影響力のあるウェズリー大公閣下の愛息の顛末を。

「なので、マリア様の産んだ子供の届け出上の母にするために私を金で買ったことは、次なるゴシップとして知れ渡っているでしょう。まあ、これは大したことではありませんね。つじつま合わせは珍しいことではありません。ただし。ここからが二つ目です」

 指を折って暗く笑うと、ローレンスの肩がふるりと震えた。

「私がウェズリー侯爵夫人である間に、もし、不慮の事故死または病死した場合、それは間違いなく故意によるものだと国中の人々が思うでしょう」
「え・・・。な、なんのことだ」
「何のことだも何も、貴方様は昨夜私に色々と教えてくれましたよ?『とりあえず式さえ挙げればお父様があとは適当に処理してくれるって言った』って。さて。『処理』ってこの場合、どういう意味なのでしょうね」

 なにしろ、注目の的なのだから。

「いや、それは・・・」
「これって、吟遊詩人たちがこぞって演目作って、美味しいネタを提供してくれたとウェズリーに感謝しつつ未来永劫語り継がれるレベルです」

 ウェズリーは治外法権だと人は言う。
 確かにそうだった。
 今のところ、は。
 しかし悪知恵と殺戮指令のみの大公の手札には最初から政治と知性はない。
 そして、有能な部下も。
 すべて独裁者の言いなりで動いている。
 にもかかわらず数十年もわが世の春を謳歌できたのは奇跡だ。
 おそらく。
 膨らみきった風船は、いずれ力をなくして萎んで冷たい地面に横たわるだろう。

「・・・なのに、あなた方、本気で私を消すつもりでしたよね?もし『うまく処理』できたとして、その後順風満帆に過ごせると思っているあたりが浅はかなんですよ。馬鹿じゃないですか」

 説教ついでにしれっと罵倒しておく。
 どうせ気づきやしない。
 少しくらい憂さ晴らしをさせてもらっても罰は当たらない。

「いや、私はそんなことは言っていない!」

 ローレンスがしらを切ろうとしたところに、パール夫人がにこやかな笑みを浮かべて割り込む。

「失礼ながら、侯爵様。昨夜の夫婦のやり取りを僭越ながらわたしく、メアリー・パールが記録を取らせていただきました。これは控えです」
「記録・・・?」

 テーブルの上に置かれた紙の束を手に取り視線を落とすや否や、数行もいかないうちに顔を真っ赤にしてばりばりと破り捨てた。

「な、なななな、なんなんだ、これは・・・!」

 部屋中に残骸が散る。

「だから、記録です。長くなるのでとりあえず、貴方様をひっくり返して目隠ししたり縛ったりしたあたりからのものですが」

 淡々と告げるナタリアに、セロンとトロントとトリフォードが同時にしょっぱい顔をする。

 トロントはもちろん帰宅して、今朝出勤するまで事の次第を知らなかった。
 しかし、グラハムの狂乱ぶりから始まるとんでも展開に、夜勤の者は皆聞き耳を立てていたはずだ。
 おそらく、『ここだけの話』は超高速で伝達され、全員に知れ渡っているに違いない。
 これほど面白いネタはまれだろう。
 一晩中あられもない声を扉のない廊下まで響かせたのは、妻ではなく、夫のほうなのだから。

 そして提示されたのは、官能小説の翻訳をさくっとこなしてしまうパール夫人の文章だ。
 いたたまれない程の臨場感あふれる表現が駆使されており、さらに微に入り細に入り丁寧に記述されている。
 当事者としては、なんとしても今すぐ闇に葬りたい一品だろう。

「あ、ちなみに破ったところで控えは無限にあります」
「…ああん?」

 斜め下から顎をしゃくりながらナタリアをにらみつけた。
 もう、取り繕うことなど何もない。
 ローレンスの地金がだんだんあらわになっている。

「パール夫人に滞在頂いている西の館に印刷機を一台と技術者を運び入れていまして。よくご覧くださいな。印刷物ですよ、それ」

 足元に落ちた切れ端を慌てて拾い鼻に近づけて匂ってみると、印刷インク特有の香りがした。
 くたりとローレンスは頭を落とした。

「なぜここまでやる・・・」
「そりゃあ、あなたさま」

 にっこりとナタリアは満面の笑みを浮かべる。

「これだけたっぷり泥水を飲まされたうえ、簡単に殺されたくはございませんもの」

 それが、三つ目の穴だ。
 三本目の指を折って示す。

「最後に。ナタリア・ルツ・ダドリーは、簡単に殺されてやらない。辺境育ちの女はそんなに甘くないのです」

 あらゆる手段を用いて、抵抗する。
 キュウソネコカミの恐ろしさ、とくと味わうがいい。

「・・・タリア」

 あれを泥水と言わないでくれと、ローレンスはすがった。
 君も、愉しんでいただろうと。
 何度目かわからない殺意を押し込めて、ナタリアは口角を上げた。

「その名は、二度と使わないでくださいね?でないと、先ほど破かれたあの文章、冊子にして王都中の令嬢たちに回覧したくなりますから」
「え・・・、ちょっと待ってくれ」

 あくまで脅しであって、やる気は毛頭ない。
 恥をさらすのは己もなのだから。

「『タリア』は昨夜をもって卒業です」
「そんな・・・」

 未練たっぷりのローレンスの上目遣いの視線に頭痛を覚える。
 マジか。

「ローレンス様。何度も言いますが一番大切なのは、貴方様と奥様とお子様のこれからです」

 このままでは平行線だ。
 ナタリアは仕切り直すことにした。
 グラハムが昨夜あれほどまでに騒ぎ立てたのは想定外だった。
 しかし、地下牢に押し込められたのはこれからの交渉に役立つ。
 むしろ、運が味方した。

「今まで、なあなあでやってきた私たちの偽装結婚、きちんと契約しましょう」

 ここからが、腕の見せ所。


「とりあえず本日結ぶ条項は四つです」


 ダドリーでの試練で培ったもろもろの成果を出し切るときだと、ナタリアは背中をまっすぐに座りなおした。

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