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王都編

反撃を始めます

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 朝やけが青みがかったところで、野原を自由に散策していたブライトを捕まえて早駆けした。
 なんとか朝食には間に合ったが、アニーたち侍女とスコット医師にはかなり心配をかけてしまった。

「・・・ご無事でようございました」

 アニーに涙ぐまれて、反省した。
 ちなみに、ローレンスは二日酔いで目覚めたもののナタリアの不在に気づかないまま、いつものように浴室で身を清め、さっそうと東の館へ戻っていったらしい。

 本当に、ばかばかしいな。

 アニーは言い辛そうに報告したが、心は凪いでいた。
 朝食を終えて執務室で食料や備品の発注書の確認をしていると、来客の知らせがきたので玄関の車寄せまで降りる。

「お久しぶりです、ナタリア様」

 赤みがかった短い金髪の上品なスーツ姿の青年が洗練された動きでゆっくり礼をした。
 出迎えた侍女たちはあらわになった端正な顔にくぎ付けで、魂を抜かれそうだ。
 執事のセロンですら一瞬見とれてしまったくらい、リロイの美貌は身なりを変えても破壊力がある。

「リロイ・・・。よかった、元気そうで」

 ダドリー領を出てもうすぐ二か月近くになる。
 道中、旅人に偽装しつかず離れず後を追ってくれた。
 ウェズリー侯爵家として同行したトリフォードたちがずっと親切だったため助けを求める場面はなかったが、リロイがどこかにいると思えるのはとても心強かった。
 ナタリアがウェズリーの本邸に入ってからは、義姉の実家であるレドルブ伯爵家で従僕として学んでいるとは聞いていたが、ずっと気になっていたので、こうして無事な姿を直接見られてうれしい。

「これらは依頼された品ですが、どうしましょうか」

 リロイが背後を振り返ると、馬車からトランクと木箱が続々とおろされている。

「ああ・・・。それね」

 にんまりとナタリアは笑った。

「さすがは王太子妃さま。仕事が早いわ。まさかお願いした翌日にきっちりそろえてくださるなんて」
「あんな面白い依頼状、王太子妃さまは爆笑でしたよ」

 リロイの背後からひょっこり小柄な女性が姿を現した。

「パール様、お久しゅうございます。お元気そうで何よりです」

 メアリー・パール子爵夫人。
 上品に結い上げた黒髪と丸眼鏡が印象的なその人は、王太子夫妻の宮殿図書館で最も優秀な司書として名を馳せている。

「ふふふ、ナタリア様。わたくしが代表して伺うことになりましたが、権利を得るのに王太子妃様とチェスで本気の勝負をしてまいりましたの。いやあ、まさかわたくしが王太子妃様を打ち負かせる日がこようとは…。まさに、神の思し召しですね」

 リスのように真っ黒で大きな瞳をきらきらと輝かせ、至極満足そうだ。

「お持ちしました荷の取り扱い説明の一切、どうぞわたくしにお任せくださいな」

 そしてナタリアの両手をとって握りしめ、うっとりとつぶやいた。

「おお、神よ、感謝します…」

 すっかり自分の世界に入ってしまったパール夫人の背後で、リロイはどこかいたたまれない顔をしている。
 ・・・ということは、すべてを知っているということか。
 この騒動に巻き込まれた彼を気の毒に思うが、この件だけは外せない。
 通過儀礼と思って耐えてもらいたい。

「頼りにしています、パール様」

 パール夫人の背中に手を回し、ホールへ案内する。
 さあ、反撃の準備を始めよう。



「まさか、王太子妃様の司書様がいらっしゃるとは思いませんでした」

 アニーは夢見がちな様子で銀の盆を抱きしめた。
 リロイは荷下ろしに立ち会ったら帰ったが、パール夫人は西の館に数日間滞在の予定だ。
 名目上は、ナタリアおよび使用人たちの図書の整備。
 商人から取り寄せた本を大量に運んでくれている。
 なんといっても今回は王太子妃経由での配本。
 選りすぐりである。
 その中にはアニーの好きな作家の新刊があったのでとても喜んでいた。
 ほかの使用人たちも興味津々で、屋敷内は一気に明るい空気に満ちていく。
 そんな彼らの姿に顔をほころばせながら、ナタリアは頭の片隅で数刻前のことを思い出していた。


『どうしても、やらねばならないのですか、こんなこと』


 ナタリアの図書室の書架の陰でリロイは真剣な声で問うた。
 承服しがたいことだろうと思う。
 彼は、五年近くの年月を家族のように暮らしてきたのだ。
 しかし。

「いまさらよ」

 そう答えると、くしゃっと眉をゆがめた。

「そんな顔しないで、リロイ」

 思わず、手を伸ばして頭を撫でた。

「せっかくの綺麗な髪が、染めたせいで荒れちゃったわね」

 いつもと手触りが違うことのほうが悲しい。

「ナタリア様・・・」

 覆いかぶさるように抱きしめられた。

「リロイ」

 ぽん、ぽん、と背中を掌で軽くたたく。
 この子は、時々、ルパートの真似をしてこうして抱きついてきた。
 最初は自分とあまり身長が変わらなかったのに、今はこんなにも違う。
 肩も、背も、腕も、すっかり大人になったのだなと感慨深く思う。
 頼もしい、大人になった。

「ありがとう、リロイ。あなたのおかげで正気に戻れた気がする」
「・・・なら」

 顔をあげ、ぱあと、明るい表情を浮かべたリロイに、言葉を続ける。

「ああ、ごめんなさい。計画は中止しないわ。そういうことじゃないの」

 すぐにまた、しゅんと眉を寄せる彼が、ちょっと犬みたいでかわいいなと笑いがこみあげてきた。

「わたし、明け方までどん底だったの。ちょっと死んでもいいかもって思ってた」
「ナタリア様」

 破格の報酬をもらった契約結婚だとはいえ、ローレンスのぞんざいな扱いにモノになった気分だった。
 だけど、どうだろう。
 今朝はトリフォードが。
 今は、リロイが。
 心から抱きしめてくれた。
 そして、アニーをはじめ多くの使用人たちが心配してくれている。
 これほど運にめぐまれた女はいるだろうか。

「馬鹿だった。私はすっかりいじけてしまっていたのね」

 今度は、ナタリアが腕を伸ばしリロイを抱きしめた。

「大丈夫。これはね、私の卒業試験」

 身体に、リロイの心臓の音が響く。

「きっちりカタをつけるから。安心して」

 腹の底から、しっかりと声を出して誓う。

「私は、負けない」

 すると、はあーっとため息が落ちてきた。

「・・・ナタリア様らしいというか・・・なんというか・・・」
「ちょっ・・・」

 すっかり脱力して寄りかかってきた身体をあわてて抱きとめる。
 筋肉が、重い。

「俺は、負けました。完敗です。だから、あいつをこてんぱんにしてくださいね」
「うん。任せといて」

 ふふ、とナタリアは笑う。

「私、強いから」

 はーっと、もう一度ため息が落ちた。

「ハイ、ソウデスネ・・・」

 なぜ、そこで棒読み。



 リロイがナタリア・ルツ・ダドリー伯爵令嬢の存在を知ったのは、王宮で行われたデビュタントの時だった。

 その日にデビューする令嬢たちが紹介と国王夫妻への謁見のために会場前方に並ばされた時、ひときわ目立つ少女がいた。
 磨かれたマホガニー材のような深くて濃い艶やかな髪、そしてきらきらと明るく輝く琥珀色の眼、そしてつやつやと綺麗に焼けた小麦色の頬。
 そしてなにより顔以外をきっちりと隠した濃い青のシンプルなドレス。
 すらりとした身体がより強調され、誰よりもきれいだった。

 普通、デビュタントを迎える少女たちは淡いふんわりとしたシルエットで下品にならないぎりぎりまで肌を露出する。
 それが、夜会の女性の衣装の基本であり、大人の仲間入りをしたしるしでもあるからだ。
 その常識と流行を覆した衣装に眉を顰める者もいたが、清々しさがとてもいいなと、リロイは一緒に出席していた家族たちと眺めながら感じた。
 まるで、首の長い鳥が優雅に舞い降りたようだ。
 ついつい、目で追ってしまう。

 そして、さらに印象深い出来事が起きた。
 さてダンスが始まろうかという時になって、いきなり雷が宮殿に落ちた。
 正確には近くの離宮だったため、会場は問題なかったのだが、広い空間衝撃音がもろに鳴り響き、出席者たちは動揺して右往左往。
 とてもデビュタントどころではなくなった。
 失神する令嬢もいる中、彼女はまず手にしていたワインを飲み干し、落ち着き払って料理のテーブルへ進んだのだ。
 まったく手付かずの豪華な料理の前でしばらく腕組みをして考え込んだ後、皿を手に取り、おもむろに盛り付け始めた。

 信じられない。

 彼女はどんなに雷光がきらめき轟音が鳴り響いても意に介さず、隅のテーブルセットに料理を並べてちょこんと椅子に座り、もくもくと食べ始めたのだ。
 しかもそこへ彼女のエスコート役をしていた兄のトーマス・ダドリーがひょっこりやってきて同じように皿に料理を盛って座り、更には正装した第四団騎士団長ダン・ベインズも椅子を運んできて食べだした。
 どう見ても、普通の、家族の晩餐である。

 なんなんだ、この人たち。

 異様な光景だ。
 でも、三人の肝の座りっぷりがすごく素敵に見えた。
 そして、彼らの仲間になれたらどんなに楽しいだろう。
 いつか、ダドリー領へ行ってみたい。
 小さな願いと希望を心の奥に刻み付ける。

 あの、青いドレスの少女に恋をした。
 ナタリア・ルツ・ダドリーに。

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