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王都編

初夜と言う名の戦場-1-

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「本日はお疲れ様でした。残られたお客様のお相手はローレンス様と従僕たちがいたします。まずは湯あみをどうぞ。準備は整っております」

 ジュリアンたちと別れた後、ナタリアは自室へと導かれる。
 開放的な披露宴とあって、招待客も小腹を満たしたら三々五々に帰っていく。
 花嫁が最後まで付き合う必要はないとグラハムに言われた。

「ローレンス様のこの後のご予定は?」

 数人がかりで手早く衣装と装飾を脱がせられているなか、侍女長へ尋ねる。

「侯爵様はご友人方と晩餐をご一緒されるそうです。みなさま既にかなりお酒を召されているようので、このままお泊めすることになると思います。奥様には大変申し訳ないのですが、夜まで応対するので自室にてどうかゆっくりされて欲しいとの侯爵様よりのご伝言です」

 これほどの規模の祭事で一切もてなしに関わらないのは女主人としてあるまじきと思うが、でしゃばるなということだろう。

「ありがたくそうさせて頂くわ」

 クリームで化粧を中和させ、温めたタオルでふき取ってもらいながらちらっと考える。
 夜まで・・・。
 夜通し飲んでこちらへはもう来ないということか。
 それならもうこのまま明日の朝まで寝てしまいたいくらい疲れていたが、ゆっくりバスタブに浸かり幾分気分がすっきりしたところで着せられたのは室内着だった。
 室内係のアニーがフルーツや焼き菓子など軽く摘まめる食事と飲み物をテーブルに並べながらナタリアを気遣う。

「朝からほとんど召し上がっておられないので軽い食事を用意しました。もしよろしければこのあと仮眠をお取りください。夕食も準備いたしますが、奥様からお声がかかるまでは邪魔いたしませんので」

 少しでも横になれるのはありがたい。
 それに、言われてみればお腹もすいた。

「ありがとう。夜まで適当にするからあとはもういいわ」
「はい、わかりました。どうぞごゆっくり」

 ワゴンを押して退出しようとするアニーを呼び止める。

「ああ、そうだ。刺繍の道具とウェズリー侯の家紋の図案が欲しいと侍女長へ伝えてもらえるかしら。ハンカチの一枚もローレンス様へ贈っていないのが気になっているの。できれば早くとりかかりたいわ」
「・・・はい!必ず伝えます」

 嬉しそうな返事に、侍女たちには女主人として迎えられてはいるのかもしれないと推測した。
 アニーを始め侍女たちが退室し、ようやく一人になれたナタリアはほうと息をつく。
 この館に到着した初日は客室へ案内されたが、翌日はこの女主人の部屋へ移動した。
 外観でも十分驚いたが、この邸宅はつくづく規模が桁違いだ。
 ナタリアに与えられたのは、この私室と寝室、そして大きな衣装室、浴室、化粧室。
 さらに女主人専用の執務室と図書室まである。
 ほかにも来客用に女性用の居間とサンルームと至れり尽くせりだ。
 寝室を挟んで連なるローレンス専用の空間なんて言わずもがな。
 初日に眩暈がしたくらいだ。
 そのうえで多くの客を泊められる客室も完備、しかも更に離れが二棟あり、庭園、騎士団詰め所、厩舎・・・。
 王都でこの規模。
 領地経営を含めると、いったいどれほどの人間がかかわることになるだろう。
 これを明日から束ねるのは一応自分だと思うと、その仕事量と責任に気が遠くなる。
 そして。
 ローレンスは何を望んでいるのか。
 形ばかりの妻として幽閉するつもりなのか、それとも。

「まあ、飼い殺しされるつもりはさらさらないけれど・・・」

 ナタリアはソファに身を預け、目を閉じた。



 隣室に気配を感じて刺繍を刺す手を止め、ドアに向かって声をかける。

「・・・どなた?」

 女主人の寝室へつながるドアは二つしかない。
 今自分がいる私室と、ローレンスの寝室だ。
 廊下に面した入り口はなく、私的空間としての秩序が保たれている。

「私だ。そちらへ行って良いか?」

 昼間に聞いた時よりも低く静かな声に、ナタリアの中で緊張が走る。

「・・・どうぞお入りください」

 ドアがゆっくり開き、シャツにスラックス姿のローレンスが入ってきた。

「もう先に休んでいると思っていたから、寝室が空で驚いたよ」
「驚かせてすみません。実はしっかり仮眠をとらせて頂いたものだから眼が冴えて。何かお飲みになりますか?」

 手早く刺繍道具を片付けて端に寄せ、向かいの席へ導く。

「ああ・・・、そうだな。水を頂こうか」

 ローレンスはソファに背を預けてくつろいだ。

「はい」

 アニーが氷とレモンを浮かべた水を用意してくれていたので、それをグラスに注いで渡す。

「ああ、気持ちいいな。悪友たちにこれ幸いと飲まされたから水が欲しかった」

 一気に飲み干すと、男は息をつく。

「とても酔っているようには見えませんが」

 タイを外してボタンをいくつか開け胸元を寛げてはいるものの、乱れた様子はない。
 しかし二杯目を注いでみると、彼はそれをすぐに手に取った。

「いや、けっこう酔っている」

 仰向いてグラスの中の水を開ける時、動く喉が晒される。

「こうして、今夜君を尋ねるくらいには」

 ダークゴールドの髪と青みがかった灰色の瞳。
 古代の美神の彫像のような整った顔立ち。
 正面から熱のこもった目で見つめられてようやく、ああ、本当にこの人は酔っぱらっているのだなと理解した。

「いらっしゃらないつもりだったのですね」
「うん。でも、正直ずっと迷ってた」
「なぜ?」
「君とは知り合ったばかりだし・・・」

 少し下っ足らずでとろんとした口調に、あの水、実はアルコールを仕込んでいたのかと疑う。

「そうですね」

 借金のカタに結ばれた結婚だし。

「グラハムがなんかガタガタいうし」

 いったい、あの蛇面は何を言ったんだ。
 あれを一度捕まえて、自白剤を飲ませるべきか。

「でも、見たいなと思って」
「・・・なにをでしょう」
「君の、本当の肌の色」

 ・・・そうきたか。

「・・・教会では、ローレンス様を大変驚かせたようで失礼しました」

 ちょっと話題をそらしてみる。

「弟君も驚いていたね」
「ジュリアンは、化粧した私を初めて見たものですから。冬になったら色も落ちてあれくらいになるので、蝋人形は盛り過ぎです」
「ふっ・・・」

 ローレンスが噴き出す。

「・・・やはり、あの時聞こえていたのですね」
「ああ、まあ・・・」

 困ったように眉を下げているが、笑いの衝動は止められない。

「すまない・・・」
「いいえ。あの子は天使の皮を被った毒舌王子なので」
「なるほど」

 三杯目に少し口をつけて、グラスをテーブルに戻した。

「彼も領地では日に焼けていたのかな?」
「体質の違いでしょうか、さほどではないような。それに、私は冬も猟や警備で長い時間外にいると雪に陽の光が反射して、またすぐに焼けてしまいますし」

 だから、自分の肌の色は小麦色が基本だと思っている。

「そうなのか」

 この様子だとウェズリーは領地経営を家臣に丸投げに近いのだろう。

「はい」

 感心したように目をしばたたかせるローレンスを見てそう推測する。

「そうなると、やはり気になるな」

 力技で話を戻されてしまった。

「きみを、もっと知りたい」

 明らかな、口説き文句。
 今、自分は戸籍上の夫に口説かれている。

「ローレンス様」


 偽装結婚に、それは必要なのか。
 あの、誓いのキスはなんだったのか。
 父を説得し大金をつぎ込んでまで守りたい人がいるのではないか。
 つじつまが合わない。
 めちゃくちゃだ。


 言いたいこと聞きたいことは山ほどあるが、ここでそれを口にして拒絶することはできないのだと、唇をかむ。

「・・・寝室へ、行きますか」

 これは誘いではない。
 決定事項。
 ローレンスは雇用主で、ナタリアは所詮金で買われた女だ。

「ああ」

 甘い、とろりとした微笑み。
 王宮の女性たちは、きっと彼のこういう笑みに心を奪われたことだろう。
 優しく笑いかけてみせているうちに手折られた方がいい。
 殴られて、無理やり開かれるよりましだ。


数時間前に侍女たちによって風呂場で磨かれ整えられた身体。
 惜しげもなくレースを縫い付けられた白い絹のガウンとネグリジェ。
 寝室にはとりどりの花を散らされ、甘美な雰囲気で満ちている。
 自分は、新妻としての務めを期待されているのだ。



「・・・初めてなので、どうしたらよいのか、わかりません」

 彼の灰色の瞳がぐんと青みを帯びた。

「導いてくださりますか」

 膝の上で合わせた指先が冷たい。
 こんな自分でも、緊張することがあるのだなと他人事のように思う。

「・・・ああ」

 満足げな、ため息。

 
 彼は。
 本気なのか。
 後悔しないのか。


 ふいに、慣れない香りが降りてきた。
 酒と、男性独特の香水。
 見上げると、目の前にローレンスが立っていた。

「行こう」

 言うなり、ナタリアを抱き上げた。

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