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ダドリー領編
義姉と薬
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「とりあえずこのルートと考えていいでしょう」
レイン行政官は広げた地図の上を生真面目に一つ一つ指で辿っていく。
「馬車と言う点だけは変更なしだろうから道はそれしかないが、強行軍で数日縮めてくるだろうな」
ベインズ団長が顎に手を当てて頷く。
全行程馬車ならば整備された道しか通れない。
だとしたらやはり二週間程度かかるだろう。
各都市で休息を取りつつ進んだとして、どこに宿泊するかが気になるところだ。
「全力疾走で走らせて馬と馬車と従者を乗り潰し、各都市で交換しながらぶっ続けなら十日で行けるかもしれませんよ?財力に物を言わせればなんとでもなります」
ウインターが首をすくめると、長い金髪がさらりと頬に落ちる。
「花嫁を載せているのに?」
む、とルパートが口をとがらせる。
「こちらが拒否したら麻袋にでも詰めていくつもりだったのでは?」
「・・・たしかにやりかねない」
ウインターの冴え冴えとした切り返しに眉を下げた。
「いや、替えが効かないのが一人いる」
ベインズ団長の低い呟きに側近たちは顔を上げる。
「あ、そうですね」
「なるほど」
花嫁よりも大事な者、それは。
「・・・グラハム卿」
あの蛇面は大公家の執事の弟だという情報を先ほど手に入れた。
子爵家で所領はわずかだが、財力はダドリー家をはるかにしのぐ。
ようは大公家の様々な仕事を請け負い、確実に貢献しているからだろう。
それほど重宝されている彼が直々に交渉しているということは・・・。
ろくでもない未来しか想像できない。
「あの老害、不死身なのかしらね。もういい加減くたばってもいいころなのに」
ディアナは憎々し気に地図の中心にある王都を睨む。
彼女の実家は代々宰相や大臣など輩出するほどの家格だが、ずっとウェズリーを中心とした王族に煮え湯を飲まされ続けている。
ウェズリー大公は子沢山な先々代の王の、最後の息子だった。
老いた父親に溺愛され、次代を継ぐ王太子をしのぐほどの権利を与えられた。
それゆえに、彼は先代(兄)、現国王(甥)の目の上のたんこぶとして君臨し今に至る。
「死の床で、どうして最愛の息子を一緒に棺桶に入れてくれと遺言しなかった、好色王・・・」
トーマスは頭を抱えた。
先々代の王は歴史書に残る諡は『征服王』だったが、『好色王』と民に呼ばれた。
彼は近隣の国を征服して国土を広げるのが三度の食事より好きだったが、それと同じくらい女を征服するのも好きだった。
結果、愛妾と子供の数の多さにおいてレーニエ王国建国以来だ。
見込みのない者は修道院へ押し込め、駒として使える者はカードの一つとして国内外の有力者と婚姻させた。
それにより国としての力は堅固なものとなり、繁栄を極める。
しかし、とんでもない置き土産があった。
ウェズリー大公を中心とした派閥の成立だ。
彼は生母の出自が低いため継承権だけは得られず、どうあがいても王にはなれない。
腹いせに『征服王』の寵愛を盾にして、長きにわたり王の施政に横やりを入れ続けている。
そして、己に逆らうものにはことごとく嫌がらせをすることに余念がない。
父親から精力旺盛なところだけ遺伝した彼は、毎日元気に悪事にいそしむ。
ただあまりにも多くを成したため、それらをほとんど覚えていない。
「ここの領主はもともとダドリーじゃないってこと、本当に覚えていないのね、誰も・・・」
レーニエ王国の全体図を眺めてナタリアはため息をつく。
もともとのダドリーは王の補佐と信頼され、領地も東南の肥沃な平野だった。
様々な農作物が多く収穫できたため、とても裕福な生活を送れたらしい。
ところが曾祖父が突然亡くなり祖父が当主になった時に事態が変わった。
東南から西北への国替えである。
成人して間もない祖父が王都で犯した失態の罰としてというのは表向きで、大公の親族の部下への褒美にされてしまったのだ。
財産は没収にならなかったが領地経営の損害補填を繰り返しているうちに資金は尽き、没落貴族として次第に忘れられていった。
もし記憶にあるなら、たとえ駒であっても孫を息子の嫁に据えようとは思いつかないはずだ。
「ダドリーを忘れるくらいだから、『俺たちも忘れてくれている』と思っていいんですかね」
ウィンターは手を挙げた。
「なら、俺がまず先回りして途中から合流し、こっそりナタリア様の護衛兼連絡係につくことにしませんか」
「リロイ、しかし・・・」
「俺はトーマス様の兵士です。だから職務放棄にはなりません。団長ほどには飛ばせませんがいい加減この山岳には慣れました」
軽い調子で提案するウインターをトーマスはみつめた。
リロイは辺境騎士団のベインズ団長の指揮下で国境警備に当たっているが、ダドリーの直属だ。
「・・・大丈夫かい。リロイ」
リロイ・ウインターは、四年前に大公がらみの問題を抱えてここへ逃れてきた。
「はい。俺にさせてください」
この西の辺境はダドリーが就任して以来、うまみのない最果てであることを利用して隠れ里のような役割を担っている。
傷つけられた者たちを生かすために。
「すまない、リロイ。今後の事はまた詰めるとして、とりあえず君に任せたい」
「はい、よろこんで務めさて頂きます」
最初は、華奢で中性的な美少年だった。
でも今は、騎士団の中でめきめきと頭角を現し、機転と身体能力においてルパート共にベインズに次ぐと言われるまでになっている。
彼以外に任せられる人材はない。
「・・・では、ウインターが通るべき道を検証しましょう」
眼鏡のブリッジを軽くおさえ、レイン行政官が再び口を開く。
「この時期なら、ここの騎士団は・・・」
騎士団とトーマスが頭を寄せ合い論議を始めると、ディアナがナタリアの手を引いて隣の書斎へ導いた。
「移動に関しては男たちに任せるしかないわ。それより身支度をしないとね」
「そうね・・・。トランク一つくらいしか許されそうにないけれど」
「必要なものはおいおいウインター卿あたりを通してなんとか届けさせるわ。王都の父にはもう伝令を飛ばしているし」
ディアナの実家ランドルフ伯爵家は宰相の流れを持つ家柄で、現在中立を保っているがウェズリー一派の転覆の機会を狙い続けている。
そして、王太子妃はディアナの従妹でもある。
そもそも貴族同士の姻戚関係はレースを編むかのように複雑なもので、そのつながりが国を支え、次代の力となる。しかしダドリーのそれはウェズリーとしては些細なことらしい。
「ありがとうございます。何から何まで」
ナタリアは深く首を垂れる。
「感謝されるのはまだ早いわ、ナターシャ。私はね。あなたとトーマスと子供たちとここで暮らしたいの。ずっとずっと、楽しくね。そのためならなんだってやるつもり」
ディアナは書棚の一つの鍵穴に鍵を差し込み、扉を開け、一番下の引き出しから布の袋を取り出す。
「とりあえずはこれを渡しておくわね」
ナタリアの手を取ってぽんと載せられた。
「これは・・・」
袋の口を開けてみると小さな蓋つきの瓶が入っていた。
その中にはとりどりの綺麗な紙に包まれた親指の爪ほどの粒が10個ほど詰められている。一見すると、可愛らしいキャンディーだ。
「急な話で、今はこれだけしかないの。およそ十日分と言ったところかしら」
月の光の差し込む窓辺で、ひそりとディアナは告げた。
「避妊薬よ。事後半日以内に飲みこめば大丈夫らしいわ」
「・・・!」
ナタリアは目を見張る。
「白い結婚で済めばいいけれど、そうでない場合・・・」
初夜だけでも執り行われる可能性がある。
こんなことをディアナは言いたくないだろう。
しかし。
「目的がわからない以上、とりあえずローレンスに従順であるのが生きる道・・・ってことね」
「・・・ええ」
ナタリアは男を知らない。
この国で二十歳の独身令嬢は売れ残りとみなされがちだ。
高位貴族はおおむね幼少期からいいなづけがいて、そうでない者は成人と規定される16歳から二年ほどで嫁ぎ先が決まる。
ちなみに田舎の平民の初体験はおおらかなので驚くほど早い。
農作業ついでにさまざまな話を聞いてきたため、すっかり耳年増にもなる。
とはいえナタリアは地元では一応、領主のお姫さま。
身分を越えて言い寄るような者はいなかった。
騎士団を始め男社会に混じって暮らしてきたけれどあくまで仲間としてで、甘酸っぱい思い出などなく、そもそも誰かにときめきめいたものも感じたことがない。
恋も青春も。
そんな時間がどこにもありはしなかった。
落ち着いたら、いずれ・・・と思う暇もなく。
なのにここにきて、いきなりこの展開。
自分は肩書だけでも貴族だったのだと思い知らされる。
「ありがとう、肝心なことを忘れていたわ」
ぎゅっと瓶を握りしめた。
「・・・結婚・・・、ねえ」
笑うしかない。
欠けても強い光を放つ月の前を、雲がよぎる。
レイン行政官は広げた地図の上を生真面目に一つ一つ指で辿っていく。
「馬車と言う点だけは変更なしだろうから道はそれしかないが、強行軍で数日縮めてくるだろうな」
ベインズ団長が顎に手を当てて頷く。
全行程馬車ならば整備された道しか通れない。
だとしたらやはり二週間程度かかるだろう。
各都市で休息を取りつつ進んだとして、どこに宿泊するかが気になるところだ。
「全力疾走で走らせて馬と馬車と従者を乗り潰し、各都市で交換しながらぶっ続けなら十日で行けるかもしれませんよ?財力に物を言わせればなんとでもなります」
ウインターが首をすくめると、長い金髪がさらりと頬に落ちる。
「花嫁を載せているのに?」
む、とルパートが口をとがらせる。
「こちらが拒否したら麻袋にでも詰めていくつもりだったのでは?」
「・・・たしかにやりかねない」
ウインターの冴え冴えとした切り返しに眉を下げた。
「いや、替えが効かないのが一人いる」
ベインズ団長の低い呟きに側近たちは顔を上げる。
「あ、そうですね」
「なるほど」
花嫁よりも大事な者、それは。
「・・・グラハム卿」
あの蛇面は大公家の執事の弟だという情報を先ほど手に入れた。
子爵家で所領はわずかだが、財力はダドリー家をはるかにしのぐ。
ようは大公家の様々な仕事を請け負い、確実に貢献しているからだろう。
それほど重宝されている彼が直々に交渉しているということは・・・。
ろくでもない未来しか想像できない。
「あの老害、不死身なのかしらね。もういい加減くたばってもいいころなのに」
ディアナは憎々し気に地図の中心にある王都を睨む。
彼女の実家は代々宰相や大臣など輩出するほどの家格だが、ずっとウェズリーを中心とした王族に煮え湯を飲まされ続けている。
ウェズリー大公は子沢山な先々代の王の、最後の息子だった。
老いた父親に溺愛され、次代を継ぐ王太子をしのぐほどの権利を与えられた。
それゆえに、彼は先代(兄)、現国王(甥)の目の上のたんこぶとして君臨し今に至る。
「死の床で、どうして最愛の息子を一緒に棺桶に入れてくれと遺言しなかった、好色王・・・」
トーマスは頭を抱えた。
先々代の王は歴史書に残る諡は『征服王』だったが、『好色王』と民に呼ばれた。
彼は近隣の国を征服して国土を広げるのが三度の食事より好きだったが、それと同じくらい女を征服するのも好きだった。
結果、愛妾と子供の数の多さにおいてレーニエ王国建国以来だ。
見込みのない者は修道院へ押し込め、駒として使える者はカードの一つとして国内外の有力者と婚姻させた。
それにより国としての力は堅固なものとなり、繁栄を極める。
しかし、とんでもない置き土産があった。
ウェズリー大公を中心とした派閥の成立だ。
彼は生母の出自が低いため継承権だけは得られず、どうあがいても王にはなれない。
腹いせに『征服王』の寵愛を盾にして、長きにわたり王の施政に横やりを入れ続けている。
そして、己に逆らうものにはことごとく嫌がらせをすることに余念がない。
父親から精力旺盛なところだけ遺伝した彼は、毎日元気に悪事にいそしむ。
ただあまりにも多くを成したため、それらをほとんど覚えていない。
「ここの領主はもともとダドリーじゃないってこと、本当に覚えていないのね、誰も・・・」
レーニエ王国の全体図を眺めてナタリアはため息をつく。
もともとのダドリーは王の補佐と信頼され、領地も東南の肥沃な平野だった。
様々な農作物が多く収穫できたため、とても裕福な生活を送れたらしい。
ところが曾祖父が突然亡くなり祖父が当主になった時に事態が変わった。
東南から西北への国替えである。
成人して間もない祖父が王都で犯した失態の罰としてというのは表向きで、大公の親族の部下への褒美にされてしまったのだ。
財産は没収にならなかったが領地経営の損害補填を繰り返しているうちに資金は尽き、没落貴族として次第に忘れられていった。
もし記憶にあるなら、たとえ駒であっても孫を息子の嫁に据えようとは思いつかないはずだ。
「ダドリーを忘れるくらいだから、『俺たちも忘れてくれている』と思っていいんですかね」
ウィンターは手を挙げた。
「なら、俺がまず先回りして途中から合流し、こっそりナタリア様の護衛兼連絡係につくことにしませんか」
「リロイ、しかし・・・」
「俺はトーマス様の兵士です。だから職務放棄にはなりません。団長ほどには飛ばせませんがいい加減この山岳には慣れました」
軽い調子で提案するウインターをトーマスはみつめた。
リロイは辺境騎士団のベインズ団長の指揮下で国境警備に当たっているが、ダドリーの直属だ。
「・・・大丈夫かい。リロイ」
リロイ・ウインターは、四年前に大公がらみの問題を抱えてここへ逃れてきた。
「はい。俺にさせてください」
この西の辺境はダドリーが就任して以来、うまみのない最果てであることを利用して隠れ里のような役割を担っている。
傷つけられた者たちを生かすために。
「すまない、リロイ。今後の事はまた詰めるとして、とりあえず君に任せたい」
「はい、よろこんで務めさて頂きます」
最初は、華奢で中性的な美少年だった。
でも今は、騎士団の中でめきめきと頭角を現し、機転と身体能力においてルパート共にベインズに次ぐと言われるまでになっている。
彼以外に任せられる人材はない。
「・・・では、ウインターが通るべき道を検証しましょう」
眼鏡のブリッジを軽くおさえ、レイン行政官が再び口を開く。
「この時期なら、ここの騎士団は・・・」
騎士団とトーマスが頭を寄せ合い論議を始めると、ディアナがナタリアの手を引いて隣の書斎へ導いた。
「移動に関しては男たちに任せるしかないわ。それより身支度をしないとね」
「そうね・・・。トランク一つくらいしか許されそうにないけれど」
「必要なものはおいおいウインター卿あたりを通してなんとか届けさせるわ。王都の父にはもう伝令を飛ばしているし」
ディアナの実家ランドルフ伯爵家は宰相の流れを持つ家柄で、現在中立を保っているがウェズリー一派の転覆の機会を狙い続けている。
そして、王太子妃はディアナの従妹でもある。
そもそも貴族同士の姻戚関係はレースを編むかのように複雑なもので、そのつながりが国を支え、次代の力となる。しかしダドリーのそれはウェズリーとしては些細なことらしい。
「ありがとうございます。何から何まで」
ナタリアは深く首を垂れる。
「感謝されるのはまだ早いわ、ナターシャ。私はね。あなたとトーマスと子供たちとここで暮らしたいの。ずっとずっと、楽しくね。そのためならなんだってやるつもり」
ディアナは書棚の一つの鍵穴に鍵を差し込み、扉を開け、一番下の引き出しから布の袋を取り出す。
「とりあえずはこれを渡しておくわね」
ナタリアの手を取ってぽんと載せられた。
「これは・・・」
袋の口を開けてみると小さな蓋つきの瓶が入っていた。
その中にはとりどりの綺麗な紙に包まれた親指の爪ほどの粒が10個ほど詰められている。一見すると、可愛らしいキャンディーだ。
「急な話で、今はこれだけしかないの。およそ十日分と言ったところかしら」
月の光の差し込む窓辺で、ひそりとディアナは告げた。
「避妊薬よ。事後半日以内に飲みこめば大丈夫らしいわ」
「・・・!」
ナタリアは目を見張る。
「白い結婚で済めばいいけれど、そうでない場合・・・」
初夜だけでも執り行われる可能性がある。
こんなことをディアナは言いたくないだろう。
しかし。
「目的がわからない以上、とりあえずローレンスに従順であるのが生きる道・・・ってことね」
「・・・ええ」
ナタリアは男を知らない。
この国で二十歳の独身令嬢は売れ残りとみなされがちだ。
高位貴族はおおむね幼少期からいいなづけがいて、そうでない者は成人と規定される16歳から二年ほどで嫁ぎ先が決まる。
ちなみに田舎の平民の初体験はおおらかなので驚くほど早い。
農作業ついでにさまざまな話を聞いてきたため、すっかり耳年増にもなる。
とはいえナタリアは地元では一応、領主のお姫さま。
身分を越えて言い寄るような者はいなかった。
騎士団を始め男社会に混じって暮らしてきたけれどあくまで仲間としてで、甘酸っぱい思い出などなく、そもそも誰かにときめきめいたものも感じたことがない。
恋も青春も。
そんな時間がどこにもありはしなかった。
落ち着いたら、いずれ・・・と思う暇もなく。
なのにここにきて、いきなりこの展開。
自分は肩書だけでも貴族だったのだと思い知らされる。
「ありがとう、肝心なことを忘れていたわ」
ぎゅっと瓶を握りしめた。
「・・・結婚・・・、ねえ」
笑うしかない。
欠けても強い光を放つ月の前を、雲がよぎる。
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─────
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