上 下
4 / 50
ダドリー領編

マギー・サンズの呪い

しおりを挟む
「鳩と鷹はもう飛ばしたわ」


 海のように青い瞳をきらめかせて、執務室の窓辺にたたずむ義姉は言った。

 ねちねちとウェズリー侯爵家の格式と栄光について講釈を始めた家令を兄に任せ、ナタリアは離脱した。

兄は、とてもとても忍耐強い。

もはや神業と言うくらいに。

廊下で待機していた侍女の報告では、婚姻届けを預かった騎士がものすごい勢いで馬を駆り、屋敷を後にしたらしい。

さもありなんだ。


「そろそろお義父さまたちも戻られるはずよ」


 両親はちょうど領内回遊に回っていた。

 もうすぐ農作物の大規模な収穫の時期になる。

 そもそも今日はナタリアたちも現状把握のためにそれぞれ手分けして領民の声を聴きに行くことになっていた。たまたま河川整備の話し合いを午前中に設けていたため在宅してしまい、ウェズリー侯爵の家令につかまってしまったのだ。


「ありがとう、お義姉さん」


 礼を言い終えないうちに廊下を幾人かが走ってくる音が響き、ばーんと扉が開く。


「ナターシャ!大丈夫か!」

「ナターシャ!なんてことなの!」


父のジャックと母のヘンリエッタが髪を振り乱して駆け寄り、愛称で叫びながら左右からがしっとナタリアを抱きしめた。

 どうやら、姉の飛ばした鳩は無事に両親の元へたどり着いたらしい。


「・・・これは、マギー・サンズの呪いよ・・・」


 ナタリアの右肩に顔をうずめたまま、地を這うような声で母はぽつりと言った。


「へ、ヘンリエッタ・・・。またそれを言うか」

「何度でも言いますわ、ええ。この婚姻をマギー・サンズの呪いと言わずして何だと言うのですか」

「いやいや、まて、ヘンリエッタ」


 サンドイッチされたまま両親が痴話げんかを始め、ナタリアはげんなりする。



 マギー・サンズの呪い。



 それは、何か運のないことが起きるたびに母が持ち出す言葉である。

 マギー・サンズとは、父が若いころ摘まんでポイした男爵令嬢の事だ。

 父は今も昔も平凡な容姿である。

 だがしかし平凡というのはある意味利点で、きらびやかな容姿だと何かと気後れするものだが、地味な父は令嬢たちに警戒心を持たれずにするりと距離を詰め、たやすく親交を深められた。

 そして次第に調子に乗った父はこっそり入れ食い状態だった。

 親が婚約者として異国から呼び寄せたヘンリエッタが登場する瞬間まで。

 母、ヘンリエッタは花の女神と讃えられたほど美しい。

 一目ぼれした父は速攻ですべての令嬢を切り捨てた。

 その中の一人がマギーだったのだ。

 捨てられて自棄になったマギーは派手に男遊びをして身持ちを崩し、慌てた親が年取った子爵の後妻に売り飛ばした。

 さらにそこで愛人の子を妊娠し、出産の時に赤子もろとも亡くなった。

 ジャック・ダドリーを呪いながら息を引き取ったという噂が今も語り継がれている。


結婚して以来ほぼほぼ領地に閉じ込められていた母がマギーの顛末を知ったのは、ナタリアのデビュタントの年であった。

次々と起こる厄災に、うっかり親族が漏らしてしまったのだ。


「ジャックが、マギーなんかをヤリ逃げするから・・・」


 地味で誠実だと思い込んでいた夫が実はかなりの下種だったと知った母は激怒、隣国に嫁いだ長姉の所へ家出した。

 しかし時は風水害の真っ最中で、その対応に追われていた父は事故に遭い、意識不明の重体になった。

 慌てて長男のトーマスが当主の座を引き継ぎ、経営に当たったがそれに付け込んだ悪徳金融業者に引っかかり、多額の借款を追う羽目に。

 更に迫りくる冷害と病害虫。

 踏んだり蹴ったりもここに極まれりで、まさに呪われているとしか言いようがなかった。

 知らせを聞いて戻った母の看病と周囲の協力で父は意識を取り戻し、驚異的な回復を遂げた。

 回復ついでに母を妊娠させた時には、この親父をどうしてくれようと兄弟で内心こぶしを握ったが。

 生れてきたアリスは超絶可愛かった。

 天使だ。

 なので、全ての災厄は終わったかに見えたのだが。


「ここにきて、これか・・・」


 まだ背後でいちゃいちゃ押し問答をしている両親は放置して、義姉と婚約届の写しを見つめる。


「とりあえず・・・。まずは客人を全員、酔い潰させましょうね」


 月の女神と讃えられている義姉は深い闇のような笑みを浮かべた。


「今夜は、長い夜になりそうだし」


 ダドリー家の女は、強い。

 呪いなんかにたやすく屈するほどやわじゃない。


「そうね」


 ナタリアは窓の外に視線をやった。

 鷹の声が空を駆けていく。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

推しの幼なじみになったら、いつの間にか巻き込まれていた

凪ルナ
恋愛
 3歳の時、幼稚園で机に頭をぶつけて前世の記憶を思い出した私は、それと同時に幼なじみの心配そうな顔を見て、幼なじみは攻略対象者(しかも前世の推し)でここが乙女ゲームの世界(私はモブだ)だということに気づく。  そして、私の幼なじみ(推し)と乙女ゲームで幼なじみ設定だったこれまた推し(サブキャラ)と出会う。彼らは腐女子にはたまらない二人で、もう二人がくっつけばいいんじゃないかな!?と思うような二人だった。かく言う私も腐女子じゃないけどそう思った。  乙女ゲームに巻き込まれたくない。私はひっそりと傍観していたいんだ!  しかし、容赦なく私を乙女ゲームに巻き込もうとする幼なじみの推し達。  「え?なんで私に構おうとするかな!?頼むからヒロインとイチャイチャして!それか、腐女子サービスで二人でイチャイチャしてよ!だから、私に構わないでくださいー!」  これは、そんな私と私の推し達の物語である。 ───── 小説家になろう様、ノベリズム様にも同作品名で投稿しています。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

処理中です...