糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼ハルノ

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意外な共通点

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「へえ。そうやって針で隙間を縫っていくのか。知らなかったな」

 針を使うヘレナの頭上から声が降ってくる。
 見上げると、ヴァン・クラークが碧の瞳を輝かせて見下ろしていた。

「ええ。織物で絵を描くことに重きを置くので、どうしてもどの緯糸も通せない場所があって、このように縦に隙間が出来るのです。そういう箇所を繕ったり、余った糸をくぐらせて隠したり、裏側は色々処置が必要なのです」

「機材もけっこう大掛かりなんだな」

 経糸をぴんとまっすぐ張るために上下に糸を巻き取った円筒形の軸があり、それを支えるための木組みは当然頑丈な造りとなっている。

「これは母が結婚する時に故郷から贈られたものなので、王宮の工房とはちょっと違うのだそうです。母の実家で代々使われていたらしいのでもう百年は経っているかもしれませんね」

「故郷、と言うと…」

「カドゥーレです。それも農耕の民ではなく、牧畜の民だったので山をかなり登らねばならない所と聞いています」

 山羊や羊、そして牛などを連れて近隣の山の草を食べさせ、乳や毛を谷の集落の人々に売って暮らしていたと聞く。

「行った事がないのか」

「ありませんね。父は都会育ちで田舎に興味はないし、安易に行ける場所ではなかったので」

 そして、母も亡くなった。

「それなのに、そこで今父が生活していることが不思議で…。ええと、多分生活、しているの…でしょうか」

「まあ、それこそが罰だからな」

 苦笑しながらヘレナの頭を軽く撫でる。

「ちょうどいい。軽食を運んできたから休憩しよう」

 振り返ると、小さなテーブルの上にはバスケットが持ち込まれていた。

「今日も書類の調査ですか」

 クラークは同じフロアの奥にある図書室でバーナード・コールが隠していた書類を整理して、つじつま合わせをしているが、何せ膨大な量なのと、彼の精神を侵食させながら何を為していたのかを考察するのは骨が折れた。

 本邸での執事の仕事をウィリアム・コールと秘書のライアンが全面的に行い、クラークは使用人の差配をある程度こなすと執務室から辞し、別邸で調査を続行している。

 応接室で仮眠をとることも多々あるため、今、別邸で一番長く過ごしている男はクラークと言えるだろう。
 そうなると、ヘレナに休憩を促すのも自然と彼の仕事となった。

「ミカの飯は本当にうまいな」

 バスケットから保温ポットを取り出し、スープをすくってボウルに装ってくれた。

 大きく刻んだ蕪と葱とトマトと白いんげん豆、そしてベーコンのスープは生姜と月桂樹の少しびりりとした隠し味と相まってほんの少し口にしただけで身体が温まる。

「そうですね。毎日色々美味しいものを作ってくれて、いつもありがたいと思っています」

 軽くつまむものは薄く切ったライ麦のパンにクリームチーズを挟んだサンドイッチと、青リンゴのジャムを挟んだ全粒粉のクラッカーに、スライスオレンジと蜂蜜入りの紅茶が添えられた。

「いつ見てもクラーク卿がお茶を淹れる姿は本当にきれいですね」

 受け取った紅茶を手に、しみじみとヘレナが言うと、自分の分を注ぎ始めたクラークは手を止める。

「間近で言われると、緊張して手元が狂うからやめてくれないか」

「ふふ。すみません。リチャード様の側近の皆様はどなたも本当に所作が綺麗で、それぞれ個性があって見飽きないなと思って」

「俺は庶民だったから、本当にがさつなんだ。クラーク家で基本から叩き直された時辛いのなんのって。とんでもないところに放り込まれたと何度逃げ出そうとしたことか」

「ああ…。そう言えばお母さまが亡くなられて、お父様のご家族が探しに来られたのでしたね」

「そうだ。父が出稼ぎに行ったっきり連絡が取れなくなって、同僚たちもまとめて魔物にやられちまったせいで一年くらい安否がわからなかったかな。母は父を送り出した直後に流産してから寝付いてしまったし。とにかく金がなくてさ」

 引き取ってくれたクラークの家族は良くしてくれたが、最初に雇われた男性教師は陰で陰湿な『しつけ』を行った。それが総意なのだと思い込んで耐えていたが、自分だけでなく両親を悪く言われて理性の糸が切れたヴァンは教師の顔面に頭突きして、彼の鼻を折ってしまった。

 結果、教師は解雇され養父母が交代で直々に手ほどきをしてくれたが、それはそれで厳しいもので、今思うと互いに忍耐を強いられた日々だった。
 野生の馬に馬車を引かせるようとするようなものだ。
 彼らもさぞ骨が折れたことだろう。

「お互い、実の親とは縁が薄いな」

「そうですね。養父母に恵まれているところも」

「ちがいない」

 オレンジのほのかな香りに包まれるなか、互いに目を見合わせて笑いあった。

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