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【閑話】ミカエル ⑪ ~南の国~
しおりを挟むミカエルが最初に行ったのは見た目を変えることだ。
東の国境の街に魔導士庁を不祥事が発覚し追放された魔道具師がいると以前小耳に挟んだのを思い出し、彼を訪ねた。
「あんたがどれだけ払えるかで魔道具の効力を決める」
路地裏の小さく薄暗いその道具屋で、顔半分を焼かれた男の目はミカエルの全身を舐めるようにたどった。
そこでようやく輝かしい未来を約束されていたはずの才ある男の凋落は貴族の子息に手を出したのが原因だという噂を思い出す。
「これだとどれくらいになる?」
ガブリエラの遺品を取り出してテーブルに置いた。
「髪と目をありふれた色に変えるだけでもいい。出来るだけ長く」
ミカエルは単刀直入に姿を変える魔法薬を作って欲しいと依頼する。
「あんたのその顔じゃあ、色を変えたところでたかが知れているよ。認識阻害をちょっとつけるか? 追われているんだろう?」
こんな店に来る客も店主も同じ穴の狢だ。
多くを語らずともこちらの窮状を察知できる分、買いたたかれるのは予想している。
「あんたの食指が沸くというなら、俺を好きにしていい。ただ、まだ死ぬつもりはない」
「…ほう。年のわりにはずいぶん割り切っているな。わかった。一晩買おう。この魔石つきの装身具の代金とあわせて、三年もつ魔法薬を処方してやる。そうすりゃあんた自身の見た目も変わっていくだろうからなんとかなるんじゃないか」
この中性的な容姿が男らしくなることを見込んでのことなのだろう。
納得してミカエルは頷く。
「…この石を一つ取って、認識阻害のピアスを作ることはできるか」
装身具にはめ込まれている石の中でもひときわ小さいものを指さした。
濃い灰色で鉄鉱石のようにも見える。
「ヘマタイトか。まあ妥当だな。この中で一番安い石だ」
覗き込んで軽く頷くと、カウンターの背後のドアへ視線をやった。
「扉の向こうに階段がある。上がって右の部屋で待ってろ。後から行く」
「わかった。頼む」
交渉は成立した。
魔道具師に渡された薬を飲んで鏡を見た時、ミカエルは思わず笑ってしまった。
「なんだよ…。俺たち、そっくりだったんじゃないか」
胡桃色の髪と瞳になると、数年前の兄と自分はよく似ていた。
ただミカエルが派手な色をまとっていただけなのだ。
何一つ特別ではなかった。
自分はずいぶんうぬぼれていたのだ。
そして、トビーも何も弟に劣等感など抱く必要はどこにもなかった。
互いをよく見る時間がなかったばかりに。
笑い疲れた時、肩の力が落ちた。
「じゃあ行くよ。ああ、その装身具。売りに出すのはしばらく待った方がいいと持ち主が言っていた」
「なんだよ。早く言えよ。…まあ、訳ありだとは思っていたが」
結局、なんだかんだで一週間、この男に買われ続けた。
好意的に見れば、匿ってくれたともいえるかもしれない。
ミカエルの耳たぶには小さな黒い石が埋め込まれた。
金具も何も見えず、まるでほくろがぽつんとついているように。
「じゃあ。世話になった」
軽く手を振って魔道具師の店を後にした。
耳たぶに手をやると、身体の一部になった石を指先が探り当てる。
「ガブリエラ…」
それからミカエルは色々な場所を転々としつつ、ゆっくりと南を目指した。
なんとなく、追手は諦めていない気がしていた。
きっと、あの魔道具師の所にも誰かがミカエルとの関わりを聞きに訪れたに違いない。
兄は南へは行くなと忠告したが、このまま逃げ切れるわけはないと考えた瞬間に思い浮かんだのは、ガブリエラの故郷を見てみたいと言う事だった。
フォサーリを通り過ぎ、エスペルダ国を越えた先にある、オリーブとレモンの国。
行けるかもしれない。
行けないかもしれない。
それでもかまわないから、ミカエルは南下し始めた。
この数か月の間に色々な人に買われ、買いたたかれ、下足の仕事もした。
時にはこき使われた挙句に約束の報酬を反故にされたばかりか袋叩きにあったり、泥水をすする日々だ。
殴られて路地裏に転がされても、誰も声をかけてくることはない。
たまに野良犬に同情されて顔を舐められるくらいか。
辛いがこれが自分なりの償いの一つだとも思う。
殴られるたびに、足蹴にされるたびに、そう思った。
路地裏で横たわり見上げる空は澱んでいて、星一つ見えない。
「ざまあねえな…」
家族が、自分にせいで死んだのにのうのうと生きていけるはずがないのだ。
それでも、ミカエルはガブリエラの国を夢見た。
歩き続ける理由が、もう他に見つからないから。
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