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【閑話】ミカエル ③ ~母の傷~

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 二年ぶりに戻った故郷に、ミカエルの居場所はどこにもない。

「こ、来ないで…っ」

 時折、母メアリ―はミカエルを見た瞬間に正気を失うようになった。

 原因は、二年前の川辺での事件で姉のアザレアに暴力を振るわれた時に、フォサーリで彼女にされた様々な虐待の記憶が鮮明によみがえってしまい、さらに八歳になって突然戻って来たミカエルはアザレアにますます見た目が似ているらしく、ふとした弾みに怯えて逃げ出す。

 あとになって落ち着き息子だとわかると泣いて謝るのだが、気まずい空気はどうにもならない。

 母の身体には無数の傷が残っているのだと、父ジョージに教えられた。

 しかも、夜会に出られないようにと執拗に首から下に火傷など負わされているらしい。
 いつも手首から首元までしっかりと覆われた服を着ているのでわからなかった。
 地味な服を好むのも、少しでも綺麗な色目の服を着たらアザレアに目ざとく見つけられ暴言と暴行の両方を受けたからだという。

 結局、ミカエルは敷地内に残っていた離れに手を入れて暮らすことになった。

 自分から母に声をかけると驚かれ怯えられるので、極力関わらないことにした。
 家族で食事などもってのほかで、ますます疎遠になっていく。

 使用人たちをつけられ生活に不自由はないが、ブライトンの豪華な生活をしてきた身としてはその落差は激しい。

 ただミカエル自身は適応力がずば抜けているようで、すぐ慣れた。
 下宿生活をしているようなもので、それが都会から田舎へ変わっただけの事。

 気を取り直して地元の学校の門をくぐると、新たな問題にぶつかった。

 ブライトンでの上等な服から兄のお下がりへ改めたものの、ミカエルの垢ぬけたさまは注目の的となった。しかも、祖父の施した教育は地方の子どものそれから何年も先のもので三年前のカタリナの幼児教育よりも遅れている。
 正直、学ぶものがないのだが、ミカエルに選択肢はない。

 粛々と通ってみると、最初は遠巻きにしていた同級生たちがやがて牙をむいた。

 前は、新興貴族の子どもで母親が庶子と言うことで大人たちからの虐待にあい、今度は洗練された見た目と能力で虐められる。

 もちろん、教師たちは大多数寄りで見て見ぬふりだ。

 この地を管理しているパット男爵家の息子と分かっていたが、家族と似ていないため、どうせ貴族から金と共に預かったどこかの婚外子だろうと思われ、離れに住んでいる噂がさらに信ぴょう性を高めてしまい、あの美しさこそが不貞をした女の罪の名残りだと結論付けたらしい。

 何らかの理由さえ手に入れれば、人はいくらでも残酷になれる。
 自分は正義なのだと胸を張り、神の代理人として成敗しているつもりになり、通常ならあり得ない非道な真似を罪悪感なしに行うのだ。

 内向きになり目と耳を塞いでいる両親は全く気付く筈もなく。

 世の不条理をとことん味あわせられた。

 ここで、ミカエルが学んだのはあらゆる反撃。

 たった二年だったが祖父の英才教育のおかげで鍛えられ頭の回転は速い方だ。
 単にカタリナがずば抜けていただけで、彼女のいないこの地方ではミカエルは神童と呼ばれて良い存在となった。
 口撃ではまず負けない。

 問題は暴力だ

 あの屑教師からすでに法的な書物の初歩を手ほどきされていたため、両親が不在の間に本館の執務室に入り、法律関連の本を盗み離れで読み漁った。
 難しい文言ばかりなのを指でたどり、辞書を引き、書き写して考えた結論は、とりあえず誰から見てもまちがいなく被害者になることだった。
 とりあえず一発殴られたり、服を裂かれたり、言い訳のできない証拠が必要。
 それから反撃。そして、同情を買うこと。
 ハリを川に突き落とした時のようなヘマはしない。
 誰にも疑われないよう演技も完璧に。
 どうされれば一番痛いかなんて、すでにこの身体が覚えている。

 そうしてミカエルは喧嘩を繰り返して場数を踏み、少しずつ力をつけ、時には相手が泣いて謝るようになるまでに成長した。

「ミカエル。ブライトンのお祖父様が都に家を用意してくださるのだそうだ」

 喧嘩に明け暮れるミカエルの元へ、父が久々に現れた。

 四歳上の兄トビーが王立学院へ入学する歳となり、近くにブライトンが所有する屋敷があるので使用人ごと提供してくれると言う事だった。

 ミカエルはまだ入学できないが、別棟にある付属の準備学校へ通えば良いと打診され、承諾したらしい。その学校は質の良い家庭教師が確保できなかった子弟のために作られ、おおよそ男爵家や準男爵、騎士爵など主に低位貴族の男子が通うところだと言う。

 父たちは何も言わないが、先月同級生の兄弟に襲われ反撃し、力も体格も倍近い二人の少年を堆肥の中に突き落としたのがばれたのか。

 何よりも母がこのまま同じ敷地で生活すること自体が無理なのだろう。

「わかりました」

「…すまない」

 何に対しての謝罪なのか、聞く気にならなかった。



 新生活が始まったが、学校まで徒歩で通えて始業時間もちがうせいもあり、別々に通学し食事も何もかも接触する機会がほとんどない。

 兄との距離は縮まらないままだった。
 それに彼は連休となるとブライトンの馬を借りて実家へ戻るが、ミカエルは都にとどまった。歓迎されないのに行く理由がない。

 暇な時間は学校の友人たちと過ごすようになった。
 彼らはあの避暑地で出会った少年たちだ。

 ジェームズ、デイビッド、マイク、ドナルド、そしてギブリー。

 全員、低位貴族もしくは没落してぎりぎり爵位がある家庭ばかりで、昔はミカエル同様無邪気なものだったが、彼らもだんだん家庭環境の影響を受け性根が曲がっていく。

 三年経ち王立学院へ上がるころには六人とも見かけだけは綺麗な少年だが、既に煙草も酒も賭博も経験済みの立派なすれっからしになっていた。




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