285 / 332
君去りし後(竜王物語エピローグ)②
しおりを挟む「ちょうど良い機会だ。見て欲しいものがある」
マレナに促されてやってきたのはジュリアの私室だった。
「ジュリア様が亡くなった以上、もうこれはあんたのものだ」
テーブルの上に置かれた大きな木箱を開けると、様々なものが出てくる。
赤ん坊の産着や帽子、靴下、ケープ、毛布、そして刺繍をほどこされた様々な小物。
ジュリアは手仕事が得意だった。
いや、閉じ込められて、手仕事をするしか時間を過ごす手立てがなかったのだ。
思い至ると、次から次へと後悔の念が押し寄せてくる。
「ちなみに、これは最初の…昨年流れた子のために作ったものの写しだ」
マレナが薄い水色のハンカチを取り出した。
丹念に同じ色の糸で縁飾りが施され、一面に小さな野の花の刺繍が散っている。
そして片隅に一か所、ライラックの花が縫い付けられて何か文字が記されていた。
「『ブレア』と古代文字で書かれている。サルマンでは『野原の子』と言う意味で、ゴドリー侯爵夫妻が考えていた子どもの名前を、ジュリア様がつけた」
「どういう…ことか」
「ジュリア様は流れた子が男の子だったと、土の精霊たちから聞いて。産着も縫ってやれなかったと泣きながらこれと同じものを作り、彼らに棺の中に入れてくれるよう託した。」
「なまえ…。ジュリアは…子を、そんなにも慈しんでくれていたのか…。俺の子なのに…」
一人目の時、使用人たちに虐げられて身体を壊し、さらにミゲルが残虐な場に立ち会わせたばかりに失ってしまった。
「ジュリア様は、そういうお人だ。御子が寒くないように寂しくないように、来世では健康であってくれと願っておられた」
たんたんと告げながら、マレナは薄桃色のハンカチを取り出す。
ちいさな花の縁飾りを付けられた布の上には愛らしい黄色い花と春に訪れる鳥が刺繍され、一枚目と同じように片隅にライラックの花が置かれ、その下に文字が記されていた。
「これは、『エヴィ』。『命』と言う名の…女の子の名前だ。クラインツ公爵夫妻が考えていたそうだ」
「女の子…だったのか…」
こらえきれずにミゲルの涙が手の上に広げられた二枚のハンカチの上に落ちる。
「ホランドの子はミカエルの血縁であるカタリナ様が行きがかり上つけることとなったが、後になってジュリア様の兄夫婦と姉夫婦そしてマーガレット様が、愛する妹が命を懸けて産もうとする子を祝福するために様々な名前の候補を考えていたことをジュリア様は知った。なのでその書付を全てもらい、嫁入り道具に入れた」
「――すまない。すまなかった、ジュリア…っ」
ミゲルはハンカチを握りしめて嗚咽した。
ジュリアの全てを自分だけのものにしたい執着心から持ち物全て一新させてしまった。
返して欲しいと頼まれたのに、新しいものを与え続けた。
大切な物ばかりを持って嫁いでくれたのに。
「そして、これらは体調が悪くない時に作った御子のためのものなのだが…」
産着の隅に筆記体の縫い取りがある。
「『アベル』。アベリアの木のように常に緑豊かに枝を伸ばし人々の憩いであって欲しいと。これはマーガレット様が考えていた名前の中から取った」
子どもが生まれてから。
ジュリアが亡くなってからまだ三日目で、とても名前を考える余裕がなかった。
「ミドルネームで良いから、アベルと付けたいと、そうおっしゃっていた」
「アベル…。良い名だ。ありがとう。これからはそう呼ぶことにする…」
アベルの名が記された小物を一つ一つテーブルに並べて眺める。
小さなケープに、手袋、靴下…白い毛糸で様々なものが編んであった。
手に取り、その網目の一つ一つに指で触れているうちに、ミゲルの血の気は引いていく。
思い起こせばあの日。
ミゲルのせいでジュリアが糸切狭で自害をした時、膝の上には白い毛糸と編みかけの何かが載っていた。
土砂降りのなか、土と血にまみれて転がったあれは…。
「あの日…。ジュリアはミカエルを慕って、恋の歌を…歌っていたのではないというのか…」
覚えていないと、目覚めた彼女は言った。
だから、自分は慌てて蓋をした。
思い出したなら、きっと憎まれるだろうと恐れて。
不都合な記憶を隠しジュリアが自分を見つめてくれることに歓喜し、幸せに浸った。
「歌っていたのは、カタリナ様がキタールで伴奏し、マーガレット様と歌った古代語の聖歌や数え歌だ。素朴な民たちの歌ばかりだったそうだ」
「―――――っ」
目を見開いてマレナを見上げる。
凪いだ瞳でマレナは見つめ返し、続けた。
「閣下がミカエルを殺しただろうということや、ホランドを人質にジュリア様を酷い言葉で脅したことも何もかも…覚えておいでだったよ。あんたと生きていくために、忘れたふりをなさったのさ」
そして、最奥から平たい紙箱を取り出す。
「これが、ジュリア様がずっとあんたに渡したかったものだ」
震える手で受け取り、何度もてこずりながら箱を開けた。
その中から出てきたのは、ハンカチほどの大きさの布に刺繍が施された作品の数々だった。
「これは…」
空色の布に雲の峰々が縫い込まれている。
次の布は雲の切れ間から見える畑の畝と農家、そして馬や牛。
丘に沿って植えられた葡萄畑、オリーブの木、森、夜の空、そして朝陽…。
何枚も何枚も。
それらは全て、竜の背に乗らねば見えない風景。
最後の一枚は、ミゲルの竜たち。
一頭たりとも同じではなく、全て特徴をよくつかんで描かれていた。
そして、これも右下にライラックが刺繍され、流麗な文字が記されている。
「ジュリア様の愛称はリラ。つまりライラックの花だ。そして、ここに刺繍されているのは『わたしのだんなさま』だ」
ジュリアにとっての唯一無二の呼び名。それは『旦那様』。
私の、大切な旦那様。
私だけの旦那様。
そう、記していた。
「そんな…これは………、ジュリア…」
「そしてこれが、最後の一枚だ。途中だった」
丸い木枠にはめ込まれた布には身体を伸ばして空を飛ぶ黒竜が真ん中にいた。
そして、その背には小さな赤ん坊、女性、さらに後ろに黒い糸を何度か往復させた状態で、横に針が刺さったままで終わっている。
「ジュリア様は、無事にお子を産んでこれを完成させたら、願いを一つ。閣下に言ってみたいとおっしゃっていた」
「…なんと…言っていた」
「『また空へ、連れて行ってください』と」
「―――――」
『空』。
ジュリアが見上げていた空は。
帰るための道ではなく。
「まさかお産で命を落とすことになるとは、ご本人も思っていなかったのだろう。御子と、閣下と三人の生活を楽しみになさっていたのだと思う」
生き生きとした表情の赤ん坊と女性。
赤ん坊は黒髪に青い瞳。
女性はもちろん金髪に青い瞳で。
そして、どこか愛嬌のある顔をした黒竜。
流れる雲の様や色遣いまで、ジュリアの心の優しさと温かさを表していた。
「サルマンからガルヴォへ連れて行かれた時、竜に乗せられていきなり空に舞い上がって最初は怖かったが、途中から楽しくなっていたのだそうだ。ずっと屋敷に閉じ込められ続けて、初めてジュリア様は外の世界を見たんだ」
ガルヴォへ運ぶ時、ミゲルは怖がるジュリアを片腕でしっかり抱きしめて飛んだ。
最初は小刻みに震えていたのがだんだんとそうでないことには気づいていたが、話しかける術を持たなかった。
まさか、ミゲルの身体の隙間から眼下の風景を楽しんでいたとは知らず。
まさか、竜たちを愛してくれていたとは知らず。
まさか、まさか、まさか………。
「ああああ―――――っ。ジュリア――ッ!」
床に手をついてミゲルは慟哭する。
何度も何度も謝罪の言葉を言いながら泣く主を、マレナは静かに見守った。
翌日。
ミゲルはジュリアの棺に飴色のキタールを一緒に入れ、葬った。
内情不安を理由に全ての弔問を断り、静かな弔いとなった。
竜たちは一晩中低く泣き続け、その声はどこまでも響き、山の峰々が震えた。
159
お気に入りに追加
470
あなたにおすすめの小説

もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。
そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。
そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。
「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」
そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。
かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが…
※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。
ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。
よろしくお願いしますm(__)m

公爵夫人アリアの華麗なるダブルワーク〜秘密の隠し部屋からお届けいたします〜
白猫
恋愛
主人公アリアとディカルト公爵家の当主であるルドルフは、政略結婚により結ばれた典型的な貴族の夫婦だった。 がしかし、5年ぶりに戦地から戻ったルドルフは敗戦国である隣国の平民イザベラを連れ帰る。城に戻ったルドルフからは目すら合わせてもらえないまま、本邸と別邸にわかれた別居生活が始まる。愛人なのかすら教えてもらえない女性の存在、そのイザベラから無駄に意識されるうちに、アリアは面倒臭さに頭を抱えるようになる。ある日、侍女から語られたイザベラに関する「推測」をきっかけに物語は大きく動き出す。 暗闇しかないトンネルのような現状から抜け出すには、ルドルフと離婚し公爵令嬢に戻るしかないと思っていたアリアだが、その「推測」にひと握りの可能性を見出したのだ。そして公爵邸にいながら自分を磨き、リスキリングに挑戦する。とにかく今あるものを使って、できるだけ抵抗しよう!そんなアリアを待っていたのは、思わぬ新しい人生と想像を上回る幸福であった。公爵夫人の反撃と挑戦の狼煙、いまここに高く打ち上げます!
➡️登場人物、国、背景など全て架空の100%フィクションです。

子供が可愛いすぎて伯爵様の溺愛に気づきません!
屋月 トム伽
恋愛
私と婚約をすれば、真実の愛に出会える。
そのせいで、私はラッキージンクスの令嬢だと呼ばれていた。そんな噂のせいで、何度も婚約破棄をされた。
そして、9回目の婚約中に、私は夜会で襲われてふしだらな令嬢という二つ名までついてしまった。
ふしだらな令嬢に、もう婚約の申し込みなど来ないだろうと思っていれば、お父様が氷の伯爵様と有名なリクハルド・マクシミリアン伯爵様に婚約を申し込み、邸を売って海外に行ってしまう。
突然の婚約の申し込みに断られるかと思えば、リクハルド様は婚約を受け入れてくれた。婚約初日から、マクシミリアン伯爵邸で住み始めることになるが、彼は未婚のままで子供がいた。
リクハルド様に似ても似つかない子供。
そうして、マクリミリアン伯爵家での生活が幕を開けた。

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
傾国の美兄が攫われまして。
犬飼春野
恋愛
のどかな春の日差しがゆるゆるとふりそそぐなか、
王宮の一角にある庭園ではいくつものテーブルと椅子が据えられ、
思い思いの席に座る貴族の女性たちの上品な話声がゆったりと流れていた。
そんななか、ひときわきりりとした空気をまとった令嬢がひとり、物憂げなため息をついていた。
彼女の名はヴァレンシア。
辺境伯の娘で。
三歳上の兄がひとりいる。
彼は『傾国の』が冠される美青年だった。
美女と見紛う中性的な美貌の兄と
美青年と見紛う中性的な風貌の妹。
クエスタ辺境伯の兄妹を取り巻く騒動と恋愛模様をお届けします。
※ 一年くらい前に思いついた設定を発掘し練り直しておりますが。
安定の見切り発車です。
気分転換に書きます。
※ 他サイトにも掲載しております。

十三月の離宮に皇帝はお出ましにならない~自給自足したいだけの幻獣姫、その寵愛は予定外です~
氷雨そら
恋愛
幻獣を召喚する力を持つソリアは三国に囲まれた小国の王女。母が遠い異国の踊り子だったために、虐げられて王女でありながら自給自足、草を食んで暮らす生活をしていた。
しかし、帝国の侵略により国が滅びた日、目の前に現れた白い豹とソリアが呼び出した幻獣である白い猫に導かれ、意図せず帝国の皇帝を助けることに。
死罪を免れたソリアは、自由に生きることを許されたはずだった。
しかし、後見人として皇帝をその地位に就けた重臣がソリアを荒れ果てた十三月の離宮に入れてしまう。
「ここで、皇帝の寵愛を受けるのだ。そうすれば、誰もがうらやむ地位と幸せを手に入れられるだろう」
「わー! お庭が広くて最高の環境です! 野菜植え放題!」
「ん……? 連れてくる姫を間違えたか?」
元来の呑気でたくましい性格により、ソリアは荒れ果てた十三月の離宮で健気に生きていく。
そんなある日、閉鎖されたはずの離宮で暮らす姫に興味を引かれた皇帝が訪ねてくる。
「あの、むさ苦しい場所にようこそ?」
「むさ苦しいとは……。この離宮も、城の一部なのだが?」
これは、天然、お人好し、そしてたくましい、自己肯定感低めの姫が、皇帝の寵愛を得て帝国で予定外に成り上がってしまう物語。
小説家になろうにも投稿しています。
3月3日HOTランキング女性向け1位。
ご覧いただきありがとうございました。

夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。
辺野夏子
恋愛
セファイア王国王女アリエノールは八歳の時、王命を受けエメレット伯爵家に嫁いだ。それから十年、ずっと仮面夫婦のままだ。アリエノールは先天性の病のため、残りの寿命はあとわずか。日々を穏やかに過ごしているけれど、このままでは生きた証がないまま短い命を散らしてしまう。そんなある日、アリエノールの元に一人の子供が現れた。夫であるカシウスに生き写しな見た目の子供は「この家の子供になりにきた」と宣言する。これは夫の隠し子に間違いないと、アリエノールは継母としてその子を育てることにするのだが……堅物で不器用な夫と、余命わずかで卑屈になっていた妻がお互いの真実に気が付くまでの話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる