251 / 332
ご機嫌斜めな道案内猫
しおりを挟む糸を紡いでいる最中にネロが少し大きめになってぴったりとくっ付いていてくれたせいか、身体が温まり、次第に眠気が襲ってくる。
時折、ぱちとり弾けるストーブの中の薪。
からからと乾いた音を立てる糸車。
繊維によりをかけて、つむに巻く。
ハンドルを回して、止めて。
逆回転させて。
単調な作業を繰り返すうちに、ヘレナは夢とうつつの間を振り子のように行ったり来たりしていた。
『びゃーう』
靄の向こうで、猫が高らかに鳴いている。
あの、少ししゃがれ気味の声はネロだ。
身体が重い。
指一本動かすのも億劫だ。
でも、ネロが呼んでいる。
行かないと。
「よい…しょっと…」
手をついたのは飴色の床でも、敷いていた毛布でもなく。
上下感覚がおかしくなりそうな白い何か。
これに似たものを覚えている。
前は雨雲の中にいるような、鈍色の世界だったけれど。
一度目を瞑り、ヘレナは立ち上がった。
『びゃっ』
気が付くと、目の前に黒猫が座っていた。
たしーん、たしーんと白い世界の地面らしきものを長い尻尾で叩き、どこか不機嫌そうだ。
「ネロ。どうしたの?」
『びっ』
短く答えたネロは背を向けると、てくてくと歩き出す。
『びゃお』
戸惑って眺めていると、ついて来いと言うように一度振り返った頭を前に向ける。
「今夜は、人間語で喋ってくれないのね…」
まっすぐに立った黒い尻尾の先だけがぷるると小刻みに揺れた。
よくわからないが、ネロは大絶賛ご機嫌斜め中のようだ。
しょんぼりとヘレナは後を追った。
何度か後ろから話しかけてみたものの、ネロはただただ黙って歩く。
時折、尻尾が大きく揺れたり、ぴんと立ったり。
ネロの複雑な胸の内を表しているようで、ヘレナはついていくしかなかった。
どれくらい歩いただろうか。
次第にもやが薄くなってきたことに気付いた。
急に視界が開ける。
「わあ…」
思わず、ヘレナは感嘆の声を上げた。
目の前に広がるのは色とりどりの花咲く楽園。
『びゃお』
緑豊かな草原の中にネロは飛び込み、突然駆け出した。
彼の目指す先には、こんもりと何かが見える。
大きな絹のクッションがいくつも転がっていて。
三人の美しい女性が。
べろんと怠惰に横たわっていた。
「あら」
ネロの気配に気づいたのか。
身体を起こして座り込んだ女性は、目の覚めるようなオレンジ色の瞳を見開き、あんぐりと口を開けた。
マンダリン・ガーネットのような透明な瞳と乳白色の肌、そして金の絹糸のような髪の上にはカモミールの花冠。
身に着けているのはシュミーズドレスのような、いや、宗教画に出てくる女神のようにゆったりと流れるような衣装。
そして。
その長くて美しい指先には一本の揚げ芋がつままれていた。
ヘレナは二度、瞬きをした。
間違いない。
しかし、その超絶美女は今、まさに揚げ芋を口に放り込む直前だった。
「うーん」
小さく首を傾げ、手元の揚げ芋とヘレナと何度か視線を往復させたのち、薔薇色の唇の中にそれを放り込んだ。
口を閉じてもぐもぐもぐとしばらく咀嚼して飲み込むと、何事もなかったかのようににこりと笑った。
「いらっしゃい、小さな娘。お前の用事は何かしら」
彼女の左右で思い思いに転がっている美女たちは、規則正しく、可愛らしいいびきをかいていた。
近くに置かれた低いテーブルの上には揚げ芋と魚のフライらしきものと、見たことのない白い綿の粒のようなものが器に盛られている。
他にはとりどりの果物と飲み物が入っているゴブレットが複数。
「ちょっと退屈していたのよね。歓迎するわよ?」
長い睫毛に縁どられた瞳を片方だけ、器用に閉じて見せる。
『びゃーう』
いつの間にかネロはその不思議な美女の胡坐の真ん中に収まり、膝に顎を載せていた。
ご機嫌である。
「あの…。おくつろぎのところお邪魔してすみません。私はヘレナと申します。その子の後を追ってここまで来てしまい、何が何だかさっぱりで」
正直に答えると、女性は声を上げて笑う。
「いいわね、それ。たまにはいいわあ、そういうお客さん」
膝の上のネロの黒い毛皮をわしゃわしゃと乱暴に撫でて、彼女はオレンジ色の瞳の光を強めた。
「私の名前はノラ。仕事と趣味が覗き見なの」
「趣味と、仕事が、のぞきみ?」
困惑するヘレナの周りを黄色の蝶たちがぴらぴらと舞った。
145
お気に入りに追加
465
あなたにおすすめの小説

【完結】没落寸前の貧乏令嬢、お飾りの妻が欲しかったらしい旦那様と白い結婚をしましたら
Rohdea
恋愛
婚期を逃し、没落寸前の貧乏男爵令嬢のアリスは、
ある日、父親から結婚相手を紹介される。
そのお相手は、この国の王女殿下の護衛騎士だったギルバート。
彼は最近、とある事情で王女の護衛騎士を辞めて実家の爵位を継いでいた。
そんな彼が何故、借金の肩代わりをしてまで私と結婚を……?
と思ったら、
どうやら、彼は“お飾りの妻”を求めていたらしい。
(なるほど……そういう事だったのね)
彼の事情を理解した(つもり)のアリスは、その結婚を受け入れる事にした。
そうして始まった二人の“白い結婚”生活……これは思っていたよりうまくいっている?
と、思ったものの、
何故かギルバートの元、主人でもあり、
彼の想い人である(はずの)王女殿下が妙な動きをし始めて……

辺境伯へ嫁ぎます。
アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。
隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。
私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。
辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。
本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。
辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。
辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。
それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか?
そんな望みを抱いてしまいます。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 設定はゆるいです。
(言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)
❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。
(出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)

【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。
千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。
だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。
いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……?
と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。

婚約破棄された侯爵令嬢は、元敵国の人質になったかと思ったら、獣人騎士に溺愛されているようです
安眠にどね
恋愛
血のつながらない母親に、はめられた主人公、ラペルラティア・クーデイルは、戦争をしていた敵国・リンゼガッド王国へと停戦の証に嫁がされてしまう。どんな仕打ちを受けるのだろう、と恐怖しながらリンゼガッドへとやってきたラペルラティアだったが、夫となる第四王子であり第三騎士団団長でもあるシオンハイト・ネル・リンゼガッドに、異常なまでに甘やかされる日々が彼女を迎えた。
どうにも、自分に好意的なシオンハイトを信用できなかったラペルラティアだったが、シオンハイトのめげないアタックに少しずつ心を開いていく。

うまい話には裏がある~契約結婚サバイバル~
犬飼春野
恋愛
ナタリアは20歳。ダドリー伯爵家の三女、七人兄弟の真ん中だ。
彼女の家はレーニエ王国の西の辺境で度重なる天災により領地経営に行き詰っていた。
貴族令嬢の婚期ラストを迎えたナタリアに、突然縁談が舞い込む。
それは大公の末息子で美形で有名な、ローレンス・ウェズリー侯爵27歳との婚姻。
借金の一括返済と資金援助を行う代わりに、早急に嫁いでほしいと求婚された。
ありえないほどの好条件。
対してナタリアはこってり日焼けした地味顔細マッチョ。
誰が見ても胡散臭すぎる。
「・・・なんか、うますぎる」
断れないまま嫁いでみてようやく知る真実。
「なるほど?」
辺境で育ちは打たれ強かった。
たとえ、命の危険が待ちうけていようとも。
逞しさを武器に突き進むナタリアは、果たしてしあわせにたどり着けるのか?
契約結婚サバイバル。
逆ハーレムで激甘恋愛を目指します。
最初にURL連携にて公開していましたが、直接入力したほうが読みやすいかと思ったのであげなおしました。
『小説家になろう』にて「群乃青」名義で連載中のものを外部URLリンクを利用して公開します。
また、『犬飼ハルノ』名義のエブリスタ、pixiv、HPにも公開中。

【完結】わたしが嫌いな幼馴染の執着から逃げたい。
たろ
恋愛
今まで何とかぶち壊してきた婚約話。
だけど今回は無理だった。
突然の婚約。
え?なんで?嫌だよ。
幼馴染のリヴィ・アルゼン。
ずっとずっと友達だと思ってたのに魔法が使えなくて嫌われてしまった。意地悪ばかりされて嫌われているから避けていたのに、それなのになんで婚約しなきゃいけないの?
好き過ぎてリヴィはミルヒーナに意地悪したり冷たくしたり。おかげでミルヒーナはリヴィが苦手になりとにかく逃げてしまう。
なのに気がつけば結婚させられて……
意地悪なのか優しいのかわからないリヴィ。
戸惑いながらも少しずつリヴィと幸せな結婚生活を送ろうと頑張り始めたミルヒーナ。
なのにマルシアというリヴィの元恋人が現れて……
「離縁したい」と思い始めリヴィから逃げようと頑張るミルヒーナ。
リヴィは、ミルヒーナを逃したくないのでなんとか関係を修復しようとするのだけど……
◆ 短編予定でしたがやはり長編になってしまいそうです。
申し訳ありません。

訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる