糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼春野

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二人の少女 ⑨ ~雨~

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 その日の午後に突然冷たい空気が流れ込んだかと思うと、鈍色の重たい雲に空が覆われ、雷と雨の音に囲まれた。

 光を失った屋敷の中は暗く、ジュリアもマーガレットも自室のベッドに横になったまま動けなくなってしまった。

 窓ガラスを叩く雨音は激しく、時には雹も混じっている。
 胸にぽっかりと穴が開いて。
 全てがぼんやりとしていた。

 ジュリアはゆっくりと手を持ち上げて天井へ伸ばしてみる。

 ああ、重い。
 何もかもが。
 世界が沈んでいく。


 雨は長く続いた。
 昼も夜もジュリアたちは眠り続け、幾日経ったのかわからない。

 そんななか、カタリナがやってきた。


「少し、ブライトンがごたごたしていて。間が空きました」

 侍女が茶席を用意してくれたサンルームの窓の外はまだ雨模様で、薄暗い。

 十日ぶりだとカタリナは言う。
 言われてみればそうだろうか。

 彼女は、何も問わない。
 何もかも知った上での来訪なのだ。


「今日は、楽器を持ってきました」

 背後にいる護衛から布の包みを受け取り、椅子に座ったまま膝の上で取り出す。
 飴色の胴から木の板が長く伸び、その上を数本の糸が張られていた。
 リュートと似た弦楽器だ。

「異国のものでキタールと言います」

 抱え直して右手で爪弾きながら、左手で板の端に取り付けられた螺子のようなものを指で動かし糸の張り具合を調整する。

 ポロン、ポロンと音が転がり落ちた。


「私は不器用なので、簡単な旋律しか弾けませんが…」

 そう前置きして、カタリナは音を紡ぐ。

 ぽろん、ぽろんと。

 少したどたどしい指使いから生まれた音は、窓の外の雨のしずくと同化していく。

『……、…、……、………』

 耳慣れない言葉を、カタリナがキタールの音に載せた。

 異国の楽器と、異国の言葉。

 とても不思議なことに、わからないままジュリアの耳を通り、胸に染みていく。
 繰り返し、繰り返し、カタリナは静かに奏で続け、囁くような優しい声で歌い続けた。

 おそらくその国では、ごくごく単純な旋律で、ごくごく簡単な言葉なのだろう。
 いつかマーガレットと芝の上に横たわり、空を見上げて歌った数え歌のような。


「――――っ」

 気が付くと、隣にマーガレットが座っていた。

 音に誘われて部屋から出てきたのだろうか。
 彼女もまた、じっとカタリナの音に聞き入りながら、涙を流していた。

 涙?

 自らの頬に手をやると、濡れていることに気付く。

 ああ、そうか。
 自分は、泣いていたのだ。
 泣きたかったのだ。

 風が、ライアンを連れて行ってしまったその瞬間から、ジュリアの世界は凍り付いて、止まっていた。

 マーガレットも、おそらく。

 どちらからともなく、手を伸ばし、つないだ。
 あの時のように。



 それから、カタリナは毎日訪れるようになった。

 たんたんと、変わらぬ日常を送れるように。

 すっかり食が細くなった二人が少しでも食べられるようにと、様々な食材を持ち込んでは料理人に指示して作らせる。

 そして外の世界の話を少しずつ語ってくれた。

 雨の日に歌ってくれた歌はなんと古代語だった。

「知っていればいつか役立つような気がして」

 カタリナは家族の中では珍しく魔力を持ち、護身術を兼ねて勉強中なのだと言う。

 彼女の母親は南部のフォサーリ侯爵出身で、一族は美形揃いとして名高い。

 子どもの頃から何度も危ない目に遭っており、いつもそばにいる護衛兼侍女たちは九歳の頃から交代で勤めてくれているという。

 彼女たちは三人姉妹で、マリラ、マーサ、マレナ。

 マリラとマーサには夫がおり、妊娠や出産で休んだ時には別の仲間が代わりを務め、子どもは家族が見ているらしいが、その仕事ぶりと信頼関係はジュリアたちにとって想像の付かない世界だった。

 籠の中の鳥たちはまだ見ぬ空の下の話を聞き、想像の翼を広げ、心の穴を少しずつ埋めていく。

 ある日は伝手でつかまえたという元魔導師を連れてきたカタリナは、いきなり古代語教室をサンルームで始めた。



 雨と雹に叩きつけられ、傷ついた草花はやがて夏の日差しから力を得て、花芽を伸ばす。

 窓の外の花畑はよみがえり、再び美しい絨毯となった。

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