糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼春野

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二人の少女 ⑥ ~小さな王~

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 自分よりも年下で。
 子爵家の令嬢なのに。

 カタリナは格上の兄たちに対し、わきまえた振る舞いをし、所作も堂々たるものだった。
 公爵令嬢として生きてきた自分よりもずっと、ずっと。

 ジュリアは恥ずかしさを覚えた。


「あの、お義兄さま」

 ベンホルムを振り返ると、優しいまなざしで続きを促された。

「お願いがあります。あの子を…。ここに連れて来てもらって良いですか」

 赤ん坊は出産した部屋で新しく雇い入れた乳母にみてもらっていた。

 願いは聞き届けられ、ベンホルムが抱いてきた小さな包みを慣れないながらもなんとか受け止めて、顔をカタリナの方に向けた。


「この子の名前。まだつけていなかったの。もしかしたら、…いえ、きっと来てくれると思っていたから」

 なんとなく。

 もう、彼には会えないのだと。

 さすがに理解できた。

 家門を代表して未成年の従妹が詫びる異常さに、夢ばかり見ていたジュリアの中に現実がだんだんとしみこんでくる。


「ねえ、カタリナ嬢。あなたが、この子の名前を付けてくれないかしら。『ハンス』の代わりに」

「え…?」

 小さな淑女もさすがに驚いたのか、年相応の顔をした。

「だって、彼は、来ないのでしょう?」

 本当に『ミカエル』があの時の人なのかはわからない。

 だって、一緒に過ごしたのはほんのひととき。

 最初は仮面をつけて踊って。
 部屋に案内された時は薄く灯りをともされているだけで。
 全てを取り払って共寝をしたベッドで、さしこむ月明かりの中見上げた顔と身体はたいそう美しかったけれど。

 今思えば交わされた言葉はさほどない。

 どれもまるで夢の中のようだった。


 もし今のように昼の光の下で引き合わされたとして、本当に自分は彼を『ハンス』だと認めるだろうか。

 もしかしたら、先ほどの少年のように『このひとではない』と告げてしまうのではないか。

 あの夜の『ハンス』はもういない。

 でも、この子は生れた。
 今も、生きている。


「彼が、本当にこの世界に存在したのなら。その証として、血のつながった人に名前をつけて欲しいの」

 生まれて数日の間に赤ん坊は驚くほど成長していった。

 大人たちは珠のような美しい赤ん坊だと賞賛したが、正直、初めて見た時は子犬がお腹から出てきたのかと思ってしまうくらい、ジュリアにとって息子は人間に見えなかった。

 すでに生後三か月を過ぎたリチャードしか赤ん坊を見たことがなかったたからだ。

 腕の中の赤ん坊は、相変わらず小さな手をにぎりしめ、歯のない小さな口であくびをし、なんとも不思議な甘い香りを発していたけれど、人間らしくなってきている。

 そして、愛らしさが増した。

 でも、名前を贈る権利は自分にはないと思っている。

 本当は父親に名付けてもらいたかった。
 決してかなわない夢。


「クラインツ公爵令嬢。名付け親に相応しい方はここにおられるではありませんか。ブライトンの者などではあまりにも…」

 カタリナは首を振る。

「いいえ。ジュリアがそうしたいなら、ぜひに」

 マリアロッサが口を開いた。

「妹の願いを、どうか聞いてもらえないかしら、カタリナ嬢」

 他の大人たちが頷き合うのを視線で確認したのち、ブライトン子爵令嬢は小さく息をつく。

 そして、ジュリアの腕の中にじっと納まっている小さな赤ん坊をじっと見つめた。


「では……。…ライアン…。ライアンはいかがでしょうか」


 小さな王。

 カタリナはそう口にした。


「ライアン…」

 声に出してみると、赤ん坊がはふーっと息を吐いた。
 まるで、返事を返してくれたかのように。


「ライアン、ライアン…。貴方の名前は、ライアンよ」


 金色の産毛に青い瞳の男の子は。

 この時からライアンと呼ばれるようになった。



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