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二人の少女 ⑤ ~ハンスとミカエル、そしてカタリナ~
しおりを挟む既視感はあるが、なぜこの少年少女が目の前にいるのかわからなかった。
妊娠が発覚して以来このゴドリー伯爵邸へ移り、世間体などの問題で事実上の軟禁状態なのだと、さすがのジュリアも自覚している。
友人たちとの手紙のやり取りすら禁じられている今、なぜ見知らぬ人々と引き合わされるのか。
応接室のソファに座らされて首をかしげた。
薔薇色の頬をした中性的な少年はジュリアより少し年上に見える。
決して目を合わせることなく長い睫毛を伏せ視線を床に彷徨わせて、どこかおどおどとしていて内気な様子だった。
一方の妹の方はまっすぐに背を伸ばし、とても美しい礼をした。
「体調が回復されていないなかの訪問をお許しください。私の名前はカタリナ・ブライトン。こちらは兄の――ハンスと申します」
「ハンス?」
ジュリアは驚きに目を見開き、周囲を見回した。
立ち会っている大人たちの一人の中にマリアロッサを見つけ、慌てて声を上げた。
「お義姉さま。人違いです。この方は、私の『ハンスさま』ではありません」
それほど大声を上げたつもりはない。
しかし、広めの応接室ではっきりと響いた。
「そう…。それは良かったわ」
この場にいたのは、ブライトン子爵家の兄妹、マリアロッサ、マーガレット、ベンホルム、クラインツの長兄夫妻、そして見知らぬ男性…彼はどこかブライトンの妹の方と雰囲気が似ていた。
大人たちはいちようにどこか肩の荷が下りたような顔をしていたが、正面に立つ少年はぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「兄さん…」
妹が見とがめて袖を引くが、ガラスの粒のような水滴が『ハンス』の頬を伝っては落ちていく。
「ごめんなさい…。僕の従兄が…、ううん。ミカエルは決して悪い人じゃないんだ。きっとこれには何かの事情が…」
「兄さん!」
「ハンス!」
妹と、男性が同時に鋭い声を上げた。
「お父様、兄さんを外に…」
「そうだな。大変失礼しました。息子は今動揺しておりまして。お詫びはまた改めてさせていただきます」
男性は、ブライトン子爵だそうだ。
大柄な体で泣き続ける少年を抱えるようにして退室した。
応接室の扉と玄関の扉が閉まる音がして、二人は屋敷の外の出たのだと感じた。
「誠に申し訳ありません」
自分よりいくつか年下であろうに、カタリナという少女はきっちりと頭を下げて詫びる。
「『ミカエル』って、どういうことですか?」
従兄、とも先ほどの『ハンス』は言った。
「大変失礼しました。説明させていただきます。ミカエルは私たちの従兄にあたります。私の父の弟にあたるパット男爵の妻は、母の妹でもありまして、とても近しい血筋なので、兄ハンスと従兄ミカエルはさらに歳も近いせいもあって、とてもよく似ていました」
兄弟と姉妹の縁組。
政略結婚にしても、そんな取り合わせは初めて聞いた。
「クラインツ公爵令嬢が思われた通り、似ていると言っても双子でもないので背格好程度です。兄はあの通り外見に反して内気で人と接するのがうまくありません。比べて従兄は昔から活動的で人の懐へするりと入る術を身に着けておりました」
あどけない声で、カタリナは淡々と語る。
「学校では『王子』と渾名されるほどに…」
最後の一言にジュリアは息をのむ。
「見聞を広めれば兄も少しは自信をつけることができるのではと、父は夏になる前から仕事へ同伴し、この国から遠い所へ出かけておりました。しかし直前に兄は従兄に自分の口座の小切手を一冊渡していたそうです」
口座?
小切手?
十四歳のジュリアにとって、分からないことばかりだ。
「ジュリア。どうして『ハンス』を探しているうちにブライトン子爵家へたどり着いたかというとね。貴方が仮面舞踏会から帰る時に『ハンス』が馬車へ支払ったお金は小切手からで署名もはっきりしていたからよ。名義は『ハンス・ブライトン』だったの。カタリナの証言通りなら別人だけど、確認のために貴方に直接ハンス・ブライトン子爵子息本人と会ってもらう必要があった」
お金を使うために、彼は『ハンス』を名乗ったのか。
ならば、なぜ。
「そこまでわかっているなら、なぜ、その『ミカエル』はここにいないの?」
彼は、私に必ず会いに来ると約束した。
ここでの生活が楽しくて、甘い期待と記憶はだんだんと薄れてきてはいたけれど。
それでも。
彼を信じていた。
「そうね。実はね…、ジュリア。ミカエルは…、ミカエル・パットは現在、行方がわからないの」
「え…」
「リラ」
次から次へと血の気が引いたが、いつの間にか隣に座っていたマーゴの細い指が現実に引き戻してくれた。
「マーガレット、ありがとう。ジュリア。話を続けても良いかしら」
「…はい」
「その仮面舞踏会から少し経った頃に彼のご家族が事故で亡くなって。色々ゴタゴタしていたら彼の行方が分からなくなったの。小切手ももう使われていない」
事故なのか、事件なのか。
それすらわからないと言う。
「どうして…」
眩暈を感じてふらりとジュリアの身体が揺れた。
「ジュリア」
後からベンホルムが肩に大きな手をやり、しっかりと支えてくれた。
「従兄は…。ミカエルは少し…。風来坊なところがありました。夏季休暇が始まってすぐに家を飛び出したきり戻ってこないと叔母がこぼしていました」
カタリナがゆっくりと口を開く。
「従兄は。家族がなくなったことも知らずに、どこかを旅しているのかもしれません」
ハンス。
いいや、ミカエル。
彼はいったいどこに。
「本当に、重ね重ね。申し訳ありませんでした」
小さな少女が全てを背負って。
クラインツ公爵家とゴドリー伯爵家の人々に深く詫びた。
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