上 下
219 / 317

鶴でも船でも

しおりを挟む

 全員がパイと飲み物をおかわりしそれらも平らげ落ち着いた雰囲気になったところで、レモンシロップをしみこませたホールケーキを切り分けて出す。

 使用人たちは立食形式なので手軽なカップケーキにしたが、ホールタイプの方がスポンジの風合いがヘレナの好みだ。

「さすがにここに植えているレモンはまだ収穫できないので、エルド様に頂いていたものを使いました。自分で言うのもなんですが美味しくできましたので、ぜひ一口でも召し上がってみてください」

 ヘレナはリチャードの食の好みを知らない。

 焼きたてのスポンジにかけたシロップの糖分が表面で再結晶化するほどの甘さを厭うかもしれないと思うが敢えて勧めた。

 レモンは魔導士庁経由、卵とバターは魔改造家畜由来。
 いや、そもそも先ほどの食事パイも少し特殊な素材を組み込ませている。
 せめて彼の身体の中にたまった澱のようなものをこれらの力で薄めて欲しいと願う。

「…では、頂こう」

 リチャードが綺麗な所作でケーキを切り、口へ運ぶ。

「…………」

 しゃり、と砂糖の衣を噛む音が聞こえたような気がした。

 瞬きを繰り返しながらリチャードはゆっくりと咀嚼する。
 そして、彼は黙ってフォークを皿と口の間で優雅に往復させ、ついには平らげた。

「…ケーキの類は、あまり得意でないのだが…。これは…」

 呆然とした呟きに、満足したのだとヘレナたちは解釈する。

「レモンの風味がしっかりと効いているせいか甘さが気にならない…」

 ぽつりぽつりと感想を述べるリチャードの様子をエルドたちはじっと観察し、頷き合う。

「ありがとうございます。お口直しにコーヒーをどうぞ」

 新たに淹れたコーヒーをリチャードのそばに置くと、彼は傍らに立つヘレナへ視線を向けた。


「…君は。こんな顔をしていたのだな」

 まっすぐな瞳でヘレナを見つめ、しみじみとリチャードは言う。


 プラチナブロンドにアイスブルーの瞳の冷たく整った彼の美貌と無意識の色気を間近に見つめ返したヘレナはきょとんと丸く眼を開いたのち小首をかしげてしばし考え、合点が言ったように深く頷いた。


「ああ、そうですね…。先日は王妃様の御茶会のためにストラザーン家の侍女たちの総力を尽くした装いだったので、今日の私はまったくの別人ですよね。誠に申し訳ありませんが、あれはなかばお金をふんだんにかけた詐欺ですから」

 何時間もかけて鎧を装着したようなものだ。
 とはいえ、せっかくの心づくしで作られた重装備も並み居る美形たちの前では紙の盾同然だったが。

「いや、あれはあれで…、その、年相応で…可愛らしかったと、思う」

 リチャードが慌てて言いつのると、空気が大きく動き、誰もかれも一斉にせき込み始めた。

 正面のエルドなど、袖に口を当てて肩を震わせている。

 リチャードの隣に座るユースタスそしてクリスたちはそろって苦虫を潰したような顔で彼を見据えていた。

「り、リチャードさま…。それは…」

 さらにその隣に座るウィリアムが珍しく動揺を露わにし、しどろもどろで口を挟むが、せき込んだ名残りなのか声がか細い。

 マーサとミカはグラスに水を注いで配り始めた。

 そんな周りのあれやこれやをどうおさめたものか困惑しつつ、ヘレナは笑顔を返す。

「ありがとうございます。言われてみれば、私もリチャード様とこれほど近い距離でお話しするのは初めてですね。今日はこれでもお出迎えのために少しはよそいきの状態ですが…、まあ、こびとから標準よりちょっと小柄な十七歳くらいには見えるように成長したということでしょうか」

 今度は一番離れた席から大きな物音がした。

 視線をやると、ヒルが思わず立ち上がってしまったていで「いや、あの、その、ちび…じゃなくて」とおろおろしており、隣に座っていたテリーが腕に手をかけ着席を促すが、熊のように落ち着きがない。

 ライアンは何かツボにはまったのか腹を抱えて笑い続けている。

 今日はみんな、いったいどうしたことか。


 ますます収拾がつかなくなったところで、それまで好奇心丸出しできらきら目を輝かせている夫の隣で黙って食していたスカーレットがおもむろに口を開いた。


「このままでは日が暮れる。私はそれでもかまわないが、年寄りがくたびれるだろう。とりあえず仕事をしないか」

 鶴の一声。
 いや、渡りに船というべきか。


しおりを挟む
感想 124

あなたにおすすめの小説

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、第一王子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

溺愛されたのは私の親友

hana
恋愛
結婚二年。 私と夫の仲は冷え切っていた。 頻発に外出する夫の後をつけてみると、そこには親友の姿があった。

訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果

柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。 彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。 しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。 「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」 逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。 あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。 しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。 気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……? 虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。 ※小説家になろうに重複投稿しています。

最強陛下の育児論〜5歳児の娘に振り回されているが、でもやっぱり可愛くて許してしまうのはどうしたらいいものか〜

楠ノ木雫
ファンタジー
 孤児院で暮らしていた女の子リンティの元へ、とある男達が訪ねてきた。その者達が所持していたものには、この国の紋章が刻まれていた。そう、この国の皇城から来た者達だった。その者達は、この国の皇女を捜しに来ていたようで、リンティを見た瞬間間違いなく彼女が皇女だと言い出した。  言い合いになってしまったが、リンティは皇城に行く事に。だが、この国の皇帝の二つ名が〝冷血の最強皇帝〟。そして、タイミング悪く首を撥ねている瞬間を目の当たりに。  こんな無慈悲の皇帝が自分の父。そんな事実が信じられないリンティ。だけど、あれ? 皇帝が、ぬいぐるみをプレゼントしてくれた?  リンティがこの城に来てから、どんどん皇帝がおかしくなっていく姿を目の当たりにする周りの者達も困惑。一体どうなっているのだろうか?  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...