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鶴でも船でも
しおりを挟む全員がパイと飲み物をおかわりしそれらも平らげ落ち着いた雰囲気になったところで、レモンシロップをしみこませたホールケーキを切り分けて出す。
使用人たちは立食形式なので手軽なカップケーキにしたが、ホールタイプの方がスポンジの風合いがヘレナの好みだ。
「さすがにここに植えているレモンはまだ収穫できないので、エルド様に頂いていたものを使いました。自分で言うのもなんですが美味しくできましたので、ぜひ一口でも召し上がってみてください」
ヘレナはリチャードの食の好みを知らない。
焼きたてのスポンジにかけたシロップの糖分が表面で再結晶化するほどの甘さを厭うかもしれないと思うが敢えて勧めた。
レモンは魔導士庁経由、卵とバターは魔改造家畜由来。
いや、そもそも先ほどの食事パイも少し特殊な素材を組み込ませている。
せめて彼の身体の中にたまった澱のようなものをこれらの力で薄めて欲しいと願う。
「…では、頂こう」
リチャードが綺麗な所作でケーキを切り、口へ運ぶ。
「…………」
しゃり、と砂糖の衣を噛む音が聞こえたような気がした。
瞬きを繰り返しながらリチャードはゆっくりと咀嚼する。
そして、彼は黙ってフォークを皿と口の間で優雅に往復させ、ついには平らげた。
「…ケーキの類は、あまり得意でないのだが…。これは…」
呆然とした呟きに、満足したのだとヘレナたちは解釈する。
「レモンの風味がしっかりと効いているせいか甘さが気にならない…」
ぽつりぽつりと感想を述べるリチャードの様子をエルドたちはじっと観察し、頷き合う。
「ありがとうございます。お口直しにコーヒーをどうぞ」
新たに淹れたコーヒーをリチャードのそばに置くと、彼は傍らに立つヘレナへ視線を向けた。
「…君は。こんな顔をしていたのだな」
まっすぐな瞳でヘレナを見つめ、しみじみとリチャードは言う。
プラチナブロンドにアイスブルーの瞳の冷たく整った彼の美貌と無意識の色気を間近に見つめ返したヘレナはきょとんと丸く眼を開いたのち小首をかしげてしばし考え、合点が言ったように深く頷いた。
「ああ、そうですね…。先日は王妃様の御茶会のためにストラザーン家の侍女たちの総力を尽くした装いだったので、今日の私はまったくの別人ですよね。誠に申し訳ありませんが、あれはなかばお金をふんだんにかけた詐欺ですから」
何時間もかけて鎧を装着したようなものだ。
とはいえ、せっかくの心づくしで作られた重装備も並み居る美形たちの前では紙の盾同然だったが。
「いや、あれはあれで…、その、年相応で…可愛らしかったと、思う」
リチャードが慌てて言いつのると、空気が大きく動き、誰もかれも一斉にせき込み始めた。
正面のエルドなど、袖に口を当てて肩を震わせている。
リチャードの隣に座るユースタスそしてクリスたちはそろって苦虫を潰したような顔で彼を見据えていた。
「り、リチャードさま…。それは…」
さらにその隣に座るウィリアムが珍しく動揺を露わにし、しどろもどろで口を挟むが、せき込んだ名残りなのか声がか細い。
マーサとミカはグラスに水を注いで配り始めた。
そんな周りのあれやこれやをどうおさめたものか困惑しつつ、ヘレナは笑顔を返す。
「ありがとうございます。言われてみれば、私もリチャード様とこれほど近い距離でお話しするのは初めてですね。今日はこれでもお出迎えのために少しはよそいきの状態ですが…、まあ、こびとから標準よりちょっと小柄な十七歳くらいには見えるように成長したということでしょうか」
今度は一番離れた席から大きな物音がした。
視線をやると、ヒルが思わず立ち上がってしまったていで「いや、あの、その、ちび…じゃなくて」とおろおろしており、隣に座っていたテリーが腕に手をかけ着席を促すが、熊のように落ち着きがない。
ライアンは何かツボにはまったのか腹を抱えて笑い続けている。
今日はみんな、いったいどうしたことか。
ますます収拾がつかなくなったところで、それまで好奇心丸出しできらきら目を輝かせている夫の隣で黙って食していたスカーレットがおもむろに口を開いた。
「このままでは日が暮れる。私はそれでもかまわないが、年寄りがくたびれるだろう。とりあえず仕事をしないか」
鶴の一声。
いや、渡りに船というべきか。
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