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王妃のオモテナシ

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 意を決して進んだ先は色彩と技巧の数々に溢れていた。

 俗悪にならぬよう細部まで配慮され、国の技術の最高峰たちが競い合って作られたその部屋は、ヘレナにとって全てが新鮮で驚きの連続だ。

 またもや思わず見とれてしまうがクリスに手を握られ、その最奥にこの国で最も高貴な女性が椅子に座ったまま、自分たちを眺めゆったりとほほ笑んでいることに気付いた。

 マホガニー色の柔らかな髪をゆったりと結い上げ、翡翠色の瞳をきらきらと輝かせてヘレナたちを見つめるその人は、白くふっくらとした頬にえくぼを浮かべ、親し気に言葉をかける。


「会えてうれしいわ、ストラザーン伯爵家のみなさん」

 王妃エリザベート。

 その堂々たる姿は、たとえ豪華な宝飾を身に着けていなくても、彼女が政治の場において時には王より勝る手腕を見せる稀有な人であることを物語っていた。

 声をかけられ、カタリナと子どもたちはしっかりと頭と腰を下げ、最高の礼の形をとる。

「お待たせしました。カタリナ・ストラザーン、長男ユースタス、次男クリス、長女ヘレナとともにごあいさつ申し上げます」

 名を示されたヘレナは黙ってさらに深く頭を下げた。

「ああ、堅苦しい挨拶は抜きにしてちょうだいね。ここは王宮の最奥。口うるさい雀たちはここまで入り込めないわ」

 茶目っ気たっぷりに応える王妃に礼を解くことを許され、侍従の案内に従い席に着く。
 席順は先ほどとほぼ同じだ。
 長テーブルの奥に女主人であるエリザベートが鎮座し、彼女の左手側にゴドリー侯爵夫妻とリチャードが、向かいにカタリナ、ユースタス、ヘレナ、クリスが座った。

 付き従っていたミカとコール、クラーク、ホランドの四人はタピスリーの飾ってあった部屋に留め置かれ、王妃の右の背後にナイジェル・モルダーが控え、王妃の左側に立つ栗色の髪を質素にまとめた怜悧な美貌の女官をさも嬉しそうに唇の両端を上げ眺めている。

 彼に尻尾があれば、おそらく優雅にふぁさふぁさと振られていたであろうと、ヘレナは思う。

「なにぶん急に決めたお茶会だから、特別な料理は何もなくてごめんなさい。さあ、始めましょうか」

 王妃の言葉に、ナイジェルの視線をものともせず黒衣の女官は白くて長い指を軽く上げる。

 すると、小さなグラスに入った海老と野菜の彩が綺麗なアスピックと蕪と生ハムのマリネ、スモークサーモンとジャガイモを絞り出して飾られた可愛らしいカナッペが一つの皿にのせられて一人一人の前に置かれた。

 そして、華奢なフルートグラスに金色のシャンパンが注がれる。

「このような機会はなかなかないでしょうから、食前酒で乾杯しましょう。この国を支えてくれているゴドリー侯爵家とストラザーン伯爵家が婚姻という縁で繋がったことを祝福して、乾杯」

 王妃がグラスを軽く持ち上げると、全員後に続いた。

「乾杯」

 ヘレナとリチャードはテーブル越しに、互いに困惑のまなざしを交わす。

 これまでの経緯からこのような正式な場に臨むことになろうとは予想だにしなかった。
 しかし、自分たち以外の人々はそれが当たり前の様子で自然に語り合いながら食事を楽しんでいる。

 ヘレナはじっと目の前の皿を見つめ、しばし考えた後、カタリナと親しいゴドリー侯爵夫妻の息子さんと同席しているだけだと思うことにして、まずは食べることに決め、カトラリーに手を伸ばした。

「まあ、綺麗な色ですね」

「うふふ。女性だけの集まりでこの時期はよく供すのだけど、なかなか好評よ」

 カタリナが感嘆の声を上げたのは、次に運ばれてきたのは薄紅色のスープで、カリフラワーに少量のビーツを加えたポタージュ。

「だけど、今回は男性が四人もいるのだから、少しは食べ応えのある物の方がいいのかしらね」

 王妃の言葉に、女官は視線で侍従たちに合図をし、次の料理が運ばれてくる。

 ローストビーフと温野菜のサラダ、牡蠣のグラタン、小さなキノコのタルト、スタッフドトマト、そしてオーブンでまるごと焼かれたチキンが銀の皿に載って登場した。

 もはやお茶会というより格式の高い食事会に思えてきたが、これは王妃の心づくしなのだと思い、有難く頂くこととする。

「すごいね、ねえさん…」

 クリスがこっそりヘレナへ囁く。

「ええ」

 おもいっきり深く頷きたいのを耐えて、切り分けられ皿に盛られたチキンを口に入れると、みっしりと深い味わいが広がった。
 中に詰められていたのは仔牛のひき肉、りんご、ピスタチオ、アーモンドプードル、そしてスパイス。加えられたレモンの皮から仄かな爽やかさが香る、なかなか贅沢な一品だ。

 すっかりお腹いっぱいになったところで、レモンのウォーターアイスが小さなガラスの器に盛られて現れ、白とピンクの二色に絞り出されたラズベリーの一口サイズの可愛らしいメレンゲと素朴なアイシングがかけられたオレンジレイヤーケーキ、そしていくつかのセイボリーが並べられた。

「今日のお茶はフィリスが淹れてちょうだい」

「かしこまりました」

 女官が一礼して、優雅な手つきで紅茶を入れ始めると、それまで護衛に徹していたナイジェル・モルダーが侍従を軽く目線で制して手伝い始める。

 その様子はまるで飼い主にまとわりつく犬のようだ。

 しかし、フィリスと呼ばれた女性は顔色一つ変えることなく、淡々と手を動かす。

 そして、それがまたたまらなく良いのか、ナイジェルはとろけるような目で見つめており、ヘレナとクリスは戸惑った。

「ああ、紹介するわ。フィリスは私の最も信頼する女官の一人であり、ナイジェル・モルダー男爵の妻よ。結婚後も変わらずそばにいてもらっているの」

 王妃が苦笑しながら説明すると、フィリスは手を止めていったん茶器をティーテーブルへ置き、すらりとした身体をかがめてヘレナたちへ礼の形をとる。

「初めまして。ご紹介に預かりました、フィリス・モルダーでございます」

 ヘレナたち以外は王妃の側近としてのフィリスをよく知っているのだろう。
 どこか生温かい微笑みを、リチャードすら浮かべている。

 腑に落ちた姉弟は着座のままで良いのか迷ったが頭を下げて挨拶を返した。

 そして。

「ぼくのフィリスは凄く綺麗で有能だから、王妃様がなかなか結婚を許してくれなくて大変だったんだ。フィリスを挟んで引っ張り合いだよ。最後は力技でぼくが勝ち取ったけどね」

 いつのまにか姉弟の背後に回ったナイジェルが内緒話をするように身体をかがめて耳打ちした。

「ああ…。ええと、なるほど?」

 こくんとヘレナとクリスが頷くと、かちゃんと茶器が軽く音を立てる。

「ナイジェル!」

 遠目にもフィリスの白い頬から耳までうっすらと、ラズベリーのメレンゲのように染まっていた。

「なるほど」

 そういうところか。


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