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金色の犬
しおりを挟むそれから間もなく、両家の顔合わせは突然終了してしまった。
理由は、王妃殿下から使いが飛び込んできたからだ。
現れたのは目にも眩しい容姿の騎士で、彼は優雅に一礼をして突然の訪問を侘び、王妃が皆の来訪を心待ちにしていることを伝える。
『待てが出来ないお方だこと…』
侯爵夫人の低音美声の呟きがぽそりとこぼれたが、全員、聞こえないふりをした。
「モルダー男爵。君が伝令を買って出た理由は分かっている。我々に遠慮しなくて良い」
侯爵が来訪者に声をかけると、彼は『お気遣い、感謝いたします』と深く頭を下げた後、くるりと舞うように身体の向きを変え、なんとつかつかと歩を進めてヘレナのそばまで来た。
もちろんヘレナは驚いたが、向かいのリチャードも目を丸くする。
「初めまして…ではなくて、お久しぶりなのだけど、俺のこと覚えているかな、ヘレナ嬢」
いきなり砕けた口調で、オックスブラッドの布に金と黒の装飾が密に縫い込まれている騎士服を身にまとう黄金の髪の男がゆるりと頭を傾け親し気に微笑む。
さらさら…と後頭部で無造作に縛っているふわふわの黄金が風もないのに美しく舞い、ヘレナは少し気が遠くなった。
この、きんきんきらきら超絶美形。
記憶にある。
目が潰れそうなほど輝いていた美少年が背の高い老貴族に伴われ、ある日突然ストラザーン家へやってきたのだ。
当時はまだ祖父が生きていて、ブライトン家の経営はぎりぎり保たれていた。
良き時代だったともいえる。
祖父と母と使用人たちが力をあわせて精一杯もてなし、なごやかなひと時だった。
大人たちの親し気な会話についていけないヘレナはゆっくりと料理を口に運びながら、上品で理知的な空気をまとった老人の隣に静かに座りぴかぴか光を放っている少年に目をやり、考えた。
父ハンスをもう一度炉で溶かしてきちんと生成しなおしたらこうなるかもな。
そんな記憶がヘレナの中で再生されていく。
あの食事会のあと、たしか…。
「たしかモルダー伯爵のお孫さんで…」
モルダー伯は祖母の生家であるフォサーリ侯爵家の親戚筋。
遡って侯爵家の当主だったヘレナの曾祖父の、歳の離れた末妹がモルダー伯爵家に嫁ぎ、やがてこの目に優しくない騎士が孫として誕生した。
確か、名前は。
「モルダー男爵家のナイジェル様ですか?」
思わず疑問形で答えてしまうが、彼は気を悪くすることなく嬉しそうに笑う。
「正解。君は幼くても賢そうだったから、きっと覚えていてくれるのではと思っていたのだよね。あ、クリス君は三歳くらいだったかな。俺の事覚えているかい? 君のひい祖父様のフォサーリ侯爵老と俺のお祖母さんが兄妹だったから会いに行ったことがあるんだよ」
ナイジェル・モルダーは隣に座っているクリスにもぐいぐいと迫る。
「いえ…。申し訳ありません…」
いきなり話を振られてクリスは謝罪の言葉を返しながら頭の隅で考えた。
この、犬のような懐っこさ。
そこの隅で珍しく静かに柱と化している側近その三の、最近の別邸でのふるまいとぴたりと重なる。
きらきらしい外見もさることながら、高位貴族の目の前でこのマイペースぶり。
これがフォサーリの血ということなのか。
一応、自分にも少しは流れているはずだが、到底ああはなれない。
おそらくブライトンの祖父か辺境生まれの母の血が明度を下げてくれているに違いないと心から感謝した。
クリスは、姉同様に静かに目立たず地道に生きたいと願っている。
「本当は今この場で君たちを抱きしめ、昔のように頬ずりして親戚としての親愛の情をたっぷり示したいのだけど、このあとがつかえているから我慢するよ」
途端にクリスの脳内に鮮烈な画像と感触がよみがえった。
金色の。
ふわふわの巻き毛がたなびき、顔がきゅっと小さくて手足が異様に長い犬。
金色の犬に襲われほっぺたを吸われまくり、構い倒されたような記憶が。
目を見開き思わず姉を振り返ると、彼女は半笑いでわずかに頷いた。
あれは、この男だったのか。
「フォサーリ…?」
ぼんやりとした小さなつぶやきが姉の向かいの席から聞こえ、視線を向けると侯爵夫妻の最愛の息子が困惑の表情を浮かべていた。
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