197 / 317
スパルタな家族愛
しおりを挟む「そのようなわけで、明日は貴方たちに早起きしてもらうわよ」
カタリナ・ストラザーン伯爵夫人は両手を腰に当て、毅然と決定事項を述べる。
彼女の視線の先にはそれぞれソファに崩れ落ちている姪と甥…いや、娘と息子がいた。
「早起き…ですか」
屍になりかけているヘレナがようよう身を起こす。
令嬢にあるまじき姿だが、容赦してもらいたい。
朝一番でストラザーン伯爵の迎えが別邸に来てほぼ拉致に近い状態でストラザーン邸へ連れていかれ、到着するなり風呂に突っ込まれて全身磨き上げられ、よろよろになって案内された部屋へ行くと、同じく全身磨かれてふらふらになった弟クリスがドレスメーカーの人々に取り囲まれてなんやかやされていた。
ヘレナとクリスは互いに、ここ一か月で驚異的な身体成長を果たした。
よって、ストラザーンへ養子に入ってすぐに作ってもらった衣装はどれも身体に合わない。
やる気に満ちた人々に気圧されたヘレナとクリスは、既に縫いあがっている衣装を何着も脱いだり着たり針を刺されたりを何時間も耐えなければならなかった。
ようやく解放されての今。
カタリナがこの苦行の理由を語り始めたのだ。
「明日の午後に、王妃殿下のお茶会に招かれているの。そのための衣装を徹夜で何とかしてもらうために彼らには来てもらったのよ」
たった一着のためにこのようなことを。
以前もお世話になったドレスメーカー『メリーアン』の面々の、かつてない鬼気迫る様子に納得した。
王宮の最奥へ入り込むにあたって誰にも文句を言われない衣装を明日の朝までに仕上げねばならないのだ。
彼らは今夜徹夜になるだろう。
いや、そもそも。
どうして没落貴族の姉弟が王妃殿下と面会できるのだ。
「まあ、顔合わせをまとめてやっちゃいましょうっていうご提案の招待状を頂いたの」
「まとめて? とは…」
なんとかクリスもソファから顔を上げる。
「まずは、ゴドリー侯爵への挨拶ね。マリアロッサ様はヘレナと別邸でお会いしたけれど、ベンホルム様とはまだでしょう。それに結婚式があんなこんなだったから、クリスはリチャード様と顔合わせをしていないし」
「そういえば…」
なんとか起き上がったヘレナとクリスは互いに顔を見合わせる。
クリスは結構な頻度で別邸を尋ねてくれているが、正門を通らない上にそもそもリチャードが別邸を尋ねることはイチイの木を植えた時以来ない。
言われてみれば書類上とはいえ妻の弟と全く面識がないのだ。
会えない距離と言うわけでもないのに。
「それとね。貴方たちのお母様は王妃様がとても大切にしていた侍女なの。ぜひ会って話がしたいとのことで、一堂に会すこととなったわ」
「叔母様、待ってください、あの…」
「お・か・あ・さ・ま、よ。クリス」
指を一本立てて左右に軽く振り、チチチと舌を鳴らす。
「もちろん生みの母はルイズ様だけどね。ただ外での事を考えて、そろそろストラザーン家の息子であることに慣れてちょうだい。ああ、ヘレナもね」
「え、ええと、…はい。お気遣いありがとうございます、おば…いえ、お母様」
「ふふ。急には無理よね。でもとりあえず明日、この屋敷から出たら『お母さま』でお願いね」
カタリナの茶目っ気たっぷりのウィンクに、姉弟はこくこくと首を縦に振った。
翌日は実に清々しい天気だった。
日の出前に侍女たちに起こされもう一度磨き直され、姉弟は爪の先までピカピカにされた。
そして、ヘレナは超絶技巧の編み込みを施され、色々な物をたくさん顔に塗られた。
もちろん、衣装は間に合った。
「姉さん…。色々別世界だね」
「クリスこそ」
玄関ホールで落ち合った二人は互いにまじまじと見つめ合う。
「クリス、お化粧しているの?」
クリスの黒髪はつやつやで、少し長めの前髪から覗く青い瞳とともになにやらきらきら輝いている。
白くきめの整った肌も頬のあたりはうっすらと薔薇色に色づき、唇もいつもよりプリプリしていて赤い。
「そんなわけないに決まっているでしょ。朝から捏ねられてこうなったんだよ…」
「それは…。お疲れ様。こういうのもなんだけど、綺麗になったわね」
「言わないでそれ以上…」
どこから見ても貴公子然とした弟は、くたりと頭を傾け片手を顔に当てて、はあーと深いため息をついた。
手足がますます伸びて、ささいな仕草が優雅に見える。
そんなところまで、ずいぶん格好良くなったなとヘレナは眩しく思った。
「お待たせ。それでは、そろそろ行こうか」
母カタリナをエスコートして階段を降りてきたのは、従兄のユースタスだ。
明るい茶色の髪はゆるい癖がかかってふわりと舞い、優しい声の彼らしい。
エメラルドの瞳をほころばせてユースタスは微笑んだ。
「さすがメリーアンだね。ヘレナを最高に可愛く仕上げてくれた」
「あ、ありがとうございます、ユースタス様」
「ユス兄さま」
にこりと笑顔のまま訂正が入った。
「は?」
「もういい加減、僕のことをユス兄さまと呼ばなきゃ。君は僕の妹なんだからね」
ユースタスの隣ではお母上が重々しくうなずいている。
「あ、クリス君もだよ。さあ、とりあえず今、三回言ってみようか、『ユス兄さま』」
「え…。その、ユー」
「ユス兄さま」
ユースタスの口角がさらに上がった。
カタリナを始め、執事や侍女たちは興味津々の様子だ。
「…はい、ユス兄さま」
そのようなわけで、ヘレナとクリスは直立姿勢で三回復唱した。
ストラザーン家の人々の愛は時としてスパルタだ。
58
お気に入りに追加
469
あなたにおすすめの小説
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
のほほん異世界暮らし
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、第一王子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
最強陛下の育児論〜5歳児の娘に振り回されているが、でもやっぱり可愛くて許してしまうのはどうしたらいいものか〜
楠ノ木雫
ファンタジー
孤児院で暮らしていた女の子リンティの元へ、とある男達が訪ねてきた。その者達が所持していたものには、この国の紋章が刻まれていた。そう、この国の皇城から来た者達だった。その者達は、この国の皇女を捜しに来ていたようで、リンティを見た瞬間間違いなく彼女が皇女だと言い出した。
言い合いになってしまったが、リンティは皇城に行く事に。だが、この国の皇帝の二つ名が〝冷血の最強皇帝〟。そして、タイミング悪く首を撥ねている瞬間を目の当たりに。
こんな無慈悲の皇帝が自分の父。そんな事実が信じられないリンティ。だけど、あれ? 皇帝が、ぬいぐるみをプレゼントしてくれた?
リンティがこの城に来てから、どんどん皇帝がおかしくなっていく姿を目の当たりにする周りの者達も困惑。一体どうなっているのだろうか?
※他の投稿サイトにも掲載しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる