糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼春野

文字の大きさ
上 下
174 / 332

クリス、怒る。

しおりを挟む


「ええと…ね。クリス。怒らないで?」

「やだなあ。俺が姉さんを怒るわけないじゃん」

 穏やかに微笑んでいるが、寒い。

 壁にあるオーブンストーブの熱が全く届かない…いや、火が消えてしまったかもしれない。
 パールとネロは耳をぺたんと伏せぴたりと身を寄せ合いヘレナの足元で丸くなった。

 フェンリルは氷魔法の属性ではなかったのか。

 いつもは優しいクリスの豹変に、パールはすっかり怯えていた。
 さすがは、カタリナ・ストラザーン伯爵夫人の甥。
 四人の大人は内心冷や汗をかいた。

 そういえば、クリスは風魔法の素養があると聞いていたことをテリーは今更思い出す。
 ストラザーン伯爵夫人は風と水を駆使して氷魔法を繰り出すのだから、この子も感情が高ぶれば同じ現象が起きるだろう。

「さっきの会話だと要するに…。結婚式とやらでなんかすごいことがあった上に、そこの側近二人が絡んでいたってことですよね」

「すごい推理力だね…」

 ミカの不用意な呟きできん、と空気が凍る。

「ねえ、クリス。コンポートがシャーベットになっちゃう。お願いだから落ち着いて?」

 すでに手の中のフォークがひんやりと冷たい。
 喋るたびに口から白い靄が上がるあたり、どれほど気温が下がっているのかよくわかる。

「説明」

「うん」

「ちゃんと、包み隠さず説明してくれる?」

「うん」

「俺を、のけ者にしない?」

「はい、しません」

 こっくりと大きくうなずくと、ゆっくり暖かい空気に包まれた。

「え? 暖房も出来るんだ? 便利だね」

 ライアンの呑気な声にぴくりと一瞬眉を吊り上げたが、深呼吸を一つしてクリスは答える。

「最近、火魔法が少し操れるようになったんです。ストラザーン伯爵家の家庭教師に教わっているうちに、まあ、生活魔法程度ですが」

「ありがとう、クリス。おかげでとても暖かいわ」

「それより姉さん。約束」

「あ、そうね。ええと…」

 ヘレナは両掌を自分に向けてじっと見つめ、ゆっくり指を降りながらリチャードとの結婚式のために教会へ行ってからのことを順序だてて簡潔に説明を始めた。

 教会の控室でのリチャードたちとの会話と待遇。

 そして始まった『斬新すぎる結婚式』。

 聖なる場で新郎新婦がそのまま盛り出したのに、なんと置いてけぼりをくらったこと。

 その時司祭として立ち会っていたサイモン・シエルとリド・ハーンに保護されたが、およそ三時間放置。

 ようやく回収されたものの、さっぱり顔のリチャードからは偽装結婚あるあるの『愛さない宣言』を意気揚々と告げられ、別邸に幽閉されることと生活費はハンスに渡した婚姻支度金から賄えと言われたこと。

 念のため確認へ出向いた別邸はとても住めた状態ではなく、急遽割り当てられた客室も中の下の内容で、閉じ込められた数日間は食事も暖房も間引かれたこと。

「…とまあ、このあたりからはクリスも知っているわよね。叔母さまがシエル様たちに色々仕掛けを作ってくれるようお願いしたのだから」

「まあね…」

 クリスはテーブルに両肘をついて頭を抱え、はああーっと腹の底から息を吐きだす。

「ざんしんすぎる、結婚式ねえ…」

「いやもう、あの時リチャード様が奥様から剥がして床に放り投げたティアラとか首飾り…。メインの石一つで借金完済できるし、クリスの学費まかなえるし、家の修理もできてしまうだろうなあと一瞬考えて、何とも言えない気持ちになったのを今また思い出したわ…」

 ヘレナの暗い笑みに大人たちはきゅっと喉を絞められた心地になった。

「お金持ちってすごいね」

「うん、熟練の職人でもそうとう時間がかかっただろうなと思われるヴェールが破ける音が聞こえた時、ちょっと殺意がわいたかな」

 なぜだろう。
 今度は灯が暗くなって空気も希薄になってきたような気がする。

 当時の元凶である二人は浅く呼吸を繰り返した。

「あれ? 重要なのはそこなんだ? まあ、ヘレナらしいっちゃ、らしいけど。いきなり祭壇でおっぱじめた件はどうでもいいの?」

 なんとミカが話を蒸し返し、テリーは焦る。

 彼としては振出しに戻らずこのまま流して欲しかったが、律儀なヘレナはこんな時もきちんと応じてしまう。

「ああ、あれ…」

 唇を尖らせ宙をにらみながらヘレナはしばらく考え、やがてきっぱりと首を振った。

「どうでもいいと言えばどうでもいいかもしれません。あそこまでいくとなんだか滑稽で、家畜の種付けみたいに…」

「わーっ! もういい。やめやめ。やめようよ。俺たちが悪かった。あの時はどうかしていたんだ」

 ライアンが奇声を上げながら割って入る。

「本当に悪かったよ。なんだか感覚が麻痺していて、そんなもんだと思っていたんだ、あの頃は」

「家畜…」

 ヴァンが苦し気に胸を拳でとんとんと叩き続け、クリスは十五歳らしい軽蔑のまなざしを二人に送る。

「なるほど。俺としては色々納得できないことがあるけど、姉さんが過去だというのならまあとりあえず置いとくよ。今現在問題は山積みなんだし、テリーさんの報告、まだ続きがあるんだよね」

「賢明なご判断をありがとう、クリス…」

 テリーは心から感謝の意を示した。




しおりを挟む
感想 124

あなたにおすすめの小説

うまい話には裏がある~契約結婚サバイバル~

犬飼春野
恋愛
ナタリアは20歳。ダドリー伯爵家の三女、七人兄弟の真ん中だ。 彼女の家はレーニエ王国の西の辺境で度重なる天災により領地経営に行き詰っていた。 貴族令嬢の婚期ラストを迎えたナタリアに、突然縁談が舞い込む。 それは大公の末息子で美形で有名な、ローレンス・ウェズリー侯爵27歳との婚姻。 借金の一括返済と資金援助を行う代わりに、早急に嫁いでほしいと求婚された。 ありえないほどの好条件。 対してナタリアはこってり日焼けした地味顔細マッチョ。 誰が見ても胡散臭すぎる。 「・・・なんか、うますぎる」 断れないまま嫁いでみてようやく知る真実。 「なるほど?」 辺境で育ちは打たれ強かった。 たとえ、命の危険が待ちうけていようとも。 逞しさを武器に突き進むナタリアは、果たしてしあわせにたどり着けるのか? 契約結婚サバイバル。 逆ハーレムで激甘恋愛を目指します。 最初にURL連携にて公開していましたが、直接入力したほうが読みやすいかと思ったのであげなおしました。 『小説家になろう』にて「群乃青」名義で連載中のものを外部URLリンクを利用して公開します。 また、『犬飼ハルノ』名義のエブリスタ、pixiv、HPにも公開中。

辺境伯へ嫁ぎます。

アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。 隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。 私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。 辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。 本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。 辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。 辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。 それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか? そんな望みを抱いてしまいます。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 設定はゆるいです。  (言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)  ❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。  (出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)

【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。

千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。 だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。 いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……? と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

【完結】没落寸前の貧乏令嬢、お飾りの妻が欲しかったらしい旦那様と白い結婚をしましたら

Rohdea
恋愛
婚期を逃し、没落寸前の貧乏男爵令嬢のアリスは、 ある日、父親から結婚相手を紹介される。 そのお相手は、この国の王女殿下の護衛騎士だったギルバート。 彼は最近、とある事情で王女の護衛騎士を辞めて実家の爵位を継いでいた。 そんな彼が何故、借金の肩代わりをしてまで私と結婚を……? と思ったら、 どうやら、彼は“お飾りの妻”を求めていたらしい。 (なるほど……そういう事だったのね) 彼の事情を理解した(つもり)のアリスは、その結婚を受け入れる事にした。 そうして始まった二人の“白い結婚”生活……これは思っていたよりうまくいっている? と、思ったものの、 何故かギルバートの元、主人でもあり、 彼の想い人である(はずの)王女殿下が妙な動きをし始めて……

訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果

柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。 彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。 しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。 「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」 逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。 あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。 しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。 気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……? 虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。 ※小説家になろうに重複投稿しています。

婚約破棄された侯爵令嬢は、元敵国の人質になったかと思ったら、獣人騎士に溺愛されているようです

安眠にどね
恋愛
 血のつながらない母親に、はめられた主人公、ラペルラティア・クーデイルは、戦争をしていた敵国・リンゼガッド王国へと停戦の証に嫁がされてしまう。どんな仕打ちを受けるのだろう、と恐怖しながらリンゼガッドへとやってきたラペルラティアだったが、夫となる第四王子であり第三騎士団団長でもあるシオンハイト・ネル・リンゼガッドに、異常なまでに甘やかされる日々が彼女を迎えた。  どうにも、自分に好意的なシオンハイトを信用できなかったラペルラティアだったが、シオンハイトのめげないアタックに少しずつ心を開いていく。

【完結】令嬢憧れの騎士様に結婚を申し込まれました。でも利害一致の契約です。

稲垣桜
恋愛
「君と取引がしたい」 兄の上司である公爵家の嫡男が、私の前に座って開口一番そう告げた。 「取引……ですか?」 「ああ、私と結婚してほしい」 私の耳がおかしくなったのか、それとも幻聴だろうか…… ああ、そうだ。揶揄われているんだ。きっとそうだわ。  * * * * * * * * * * * *  青薔薇の騎士として有名なマクシミリアンから契約結婚を申し込まれた伯爵家令嬢のリディア。 最低限の役目をこなすことで自由な時間を得たリディアは、契約通り自由な生活を謳歌する。 リディアはマクシミリアンが契約結婚を申し出た理由を知っても気にしないと言い、逆にそれがマクシミリアンにとって棘のように胸に刺さり続け、ある夜会に参加してから二人の関係は変わっていく。 ※ゆる〜い設定です。 ※完結保証。 ※エブリスタでは現代テーマの作品を公開してます。興味がある方は覗いてみてください。

処理中です...