糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼春野

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ホランドが見つけたもの

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「ああ、いたいた。やっぱりここだった。なあ、なんか美味しそうなもの食ってるな。俺も混ぜてくれよ」

 噂をすれば影。
 というか、呼んでもいないのになぜ現れる、ライアン・ホランド。
 焚火を囲んでいた者たちは、心の中でげんなりとする。

「鉄鍋で焼いたキャロットケーキと蜂蜜入りミルクコーヒーだけど、それで良ければね」

 立ち直りの速いミカが口を開くと、にこりと人好きのする笑顔を浮かべてホランドは頷いた。

「もちろん。昼飯くいっぱぐれたから、滅茶苦茶腹が空いているんだ、俺」

「わかったよ。そこに座りな」

「うん」

 彼女が皿を取り出しながら空いている場所を顎で示すと、素直にすとんと切り株に腰を下ろす。

「ほら、ポークパイの残りがあるからまずはそれを食べな」

 めんどくさそうな顔をしながらミカはバスケットの中から拳ほどの大きさのパイをナフキンに包んで渡すと、ホランドは目をきらきらと輝かせ子どものように歓声を上げた。

「やった。これ、うまいよね。本邸のより俺こっちが好き。なあ、本邸へ戻る時に夜食にちょっともらっていい?」

「仕方ないね。わかったよ、好きにしな」

 まるで下町の肝っ玉母さんと甘え上手な息子の会話だ。
 ミカの方がホランドよりはるかに年下なのだが、それを感じさせないままぽんぽんと軽快に二人の応酬が続いていく。

「だれ、これ……」

 クリスの呟きにテリーとシエルは深く同意した。
 別人過ぎる。
 これではまるで妖精に取り換えられた赤子のようだ。

「蜂蜜を投与してまだ数回なのだけど、こういうことなの」

 ヘレナは肩をすくめ、ホランドを観察するように目をやった。

「恐ろしいほどの効果だな」

「ですね」

「え? あのとんでも性根は薬物か呪いだったとかいうの? それってなんだか甘やかしすぎじゃない?」

 姉たちの会話に思わずクリスは声を潜めて抗議する。
 その横で、パールがぶんぶんと尻尾を振った。

「なんだよ、とんでも性根って。しっかり聞こえているぞ、弟」

 少女のように唇を尖らせるものの怒った様子はないホランドに、ますますクリスは困惑し頭を抱える。

「なにこの人……」

 十歳以上クリスより年上の筈だが、それを感じさせないあれやこれやと過去のあれやこれやを思うと、ふと血筋の恐ろしさを感じた。
 彼は決して兄ではないが、確かに血縁だ。
 この危ういところが、間違いなくあの男に似ている。

「ところで、あんたここにいて良かったのかい? さっき奥様がご到着したばかりだろう?」

 リチャードの側近として使用人たちと並んで出迎えるべきではないかとミカは指摘した。

「ああ。俺はリチャード・ゴドリーの秘書であって、別にコンスタンス様付きじゃないからね。業務で離れているってことにすれば別に。ウィリアムとヴァンで十分だろう」

 さらりと答えながら、ホランドは細身の体と小さな顔から想像できないほど猛烈な勢いでミートパイを平らげていく。

「でさ。俺見つけちゃったんだよな。多分」

 パイを握っていない方の手をウエストコートの内側に差し込んだ。

「サイモン・シエル。あんたが探している物の一つだと思う。受け取れ」

 胸元から取り出した小瓶をホランドが空中へ放ると、シエルは風魔法を使って回収する。

「これは……」
 瓶を手の中で転がしながらシエルは呟く。
 中にあるのは焦げ茶色の何かが粗塩程度に砕かれていた。

「おそらく、バーナードのおっさんが飲まされていたコーヒーの一部だ。いや、コーヒーに見せかけたとんでもないヤツ。俺以外じゃ、わからなかっただろうな」

「……これが何なのか、ホランド卿はご存じなのですね」

 シエルが視線をやると、ホランドはミートパイへ更にかぶりつきながら頷く。

「ああ。ちょっと舐めてみたし。間違いない」

 ヘレナたちはぎょっと目を見張る。

「ああ、大丈夫。ちょっと舐めるくらいなら大したことないんだ。バーナードのおっさんには殺すつもりで、時間をかけつつたくさん飲ませただろうからああなった」

「ずいぶん詳しいのですね。もしかしてこれは―――」

「俺たちがこの前まで赴任していたシエナ島に生えているポレって言う木の実の種だ。現地のまじない師たちが神の声を聞くか亡くなった人の魂呼びの儀式のときに使う。方法はいくつもあって、香として焚くこともあるが、炒って砕いた物を茶のようにして飲ませるのを俺は見たことがある」

 儀式に挑んだ人々がみな、一体感を得るための物。
 薬としても毒としても。
 様々なことに使われ、まじない師たちにはなくてはならない道具の一つだ。

「ざっくり言うと、幻覚作用のある麻薬の一種ということですか」

「ご名答」

 ホランドは唇についたパイのかけらを親指で拭い、ぺろりと舐めた。

「今朝になってなんか気になることを思いだしてさ。ちょうど『奥様』のご帰還のために使用人は全員階下に降りて、最上階はもぬけの殻だったから、ちょっと家探ししたんだよな。そしたらそいつの靴箱の中に靴クリームの缶がいくつもあるし、振ってみたら粉っぽい音がするのもあるしで大当たり」

「それで。『そいつ』とは、誰なのでしょうか?」

 シエルは瓶のふたを開け、そっと匂いを嗅ぐとわずかに眉間のしわを寄せる。

「あんたたちは面識ないかもしれない。たくさんいる顔の良い侍従たちの一人で、ニール・ゴアってやつだ」

「ニール・ゴア……」

 その男は今回の旅行に帯同している侍従の一人だと、ホランドは説明した。

「俺たちがシエナへ行っている留守の間に、前の侍女頭の紹介で雇われたことになっているが、それもどうだか怪しい」

 前任の侍女頭は長年ゴドリー家に仕えていたが急な病に倒れ、現在の侍女頭のヨアンナ・ボニーに後任を託したことになっている。
 しかし、その交代はあまりにも突然で同じく何人か体調不良を理由に辞めた上に最後はほぼ総入れ替えになった。
 あまりにも不透明な部分が多い。

「俺の記憶ではシエナ島であいつを見かけなかったと思うが……。なんだかあの目元が気になるんだよな」

 彼曰く、ニール・ゴアは男としてはやや小柄で細身、黒い髪にたれ目がちな焦げ茶の瞳で柔和な顔立ちのどちらかというと目立たない存在。

「俺は、あいつにどこかで会ったことがある。おそらく、ニール・ゴアでない時に」

 ホランドはミカからコーヒーを受け取り、一口飲んで疲れたように続けた。

「だから、急いで調べた。そしたら、あった。どうしたもんかな、これは」

 焚火の煙がまっすぐに空に向かって立ちのぼる。

 もともとバーナード・コールが覚醒した時に、彼の身体を犯した毒はシエナ島の何かではないかと言う推測は出ていたが、これほど早くにその物質が発見されるとは正直思っていなかった。

 ヘレナは空を見上げ、思わずため息をついた。

「びゃ……」

 小さな声に視線を足元におろすとネロが金色の瞳を真ん丸にしてヘレナを見上げている。

「び……」

 相変わらずなんとも変わった鳴き声を軽く上げた後、黒い小さな頭を勢いよくヘレナの膝にぶつけ、強い力でごりごりと擦り付けてきた。

「ふふ。ありがとう、ネロ……」

 背中をゆっくり撫でながら、艶やかな毛皮のぬくもりとしなやかな身体を手のひらで味わい、ゆっくりと心の中に出来た緊張を解いていく。

「あなたがいてくれて、本当に良かった」

 黒猫はゆるりと尻尾を振って返事をした。

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