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護衛兼侍女兼寮母

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「このチャツネは、ブライトンから引き揚げる時にクリスが一緒に運んでくれたものです」


 ヘレナは芥子の実入りの薄いセイボリービスケットの上に薄く切ったハード系チーズをのせ、更にその上に少しだけ林檎と干しブドウのチャツネをかけてある皿と、ライ麦のパンにハムとスクランブルエッグとトマトのチャツネをはさんだサンドイッチ、そして人参のマリネとクリームチーズをはさんだ小さなバンズの皿をテーブルの真ん中に置いた。

 そして、鍋ごとで運んできた蕪とジャガイモのポタージュをミカがスープ用マグカップに注ぎ分け、仕上げに刻みパセリを散らす。


「あ、あとでクランブルもありますので、そのつもりでいてくださいね。昨夜、マーサが作っておいてくれたので。絶品ですよ」

 数日前から臨時で手伝いに入ってくれたマーサはいったん帰宅したそうだが、滞在中に色々と作り置きをしてくれたらしい。

 厨房と食糧庫には色々な種類のパンと焼き菓子そして保存食が棚に並べられており、それらを使った遅めの昼食はいつもより少し手の込んだものとなった。


 しかし。

 そのテーブルを囲んだ雰囲気がいつもとは違い、重苦しい。

 ヘレナがミカに視線を送ると、彼女は呆れた顔で首を振るのみだ。


 食堂の中ではパールとネロが暖炉の前に仲良くのびて、テーブル席には険しい顔をしたシエルと、そして椅子の背もたれに寄りかかって額に手を当てたまま動かないヒル。

 そんな二人の間にいたたまれない様子のクラークが座っていた。


「……ヒル卿。ベッドで横になる方が良いのでは?」

 突破口はこれしかない。


「……いや。だいぶ良くなってきた。作ってくれたホットレモネードのおかげだ。ありがとう」

 ヘレナが声をかけると、いくらかいつもの肌色に戻ったヒルが背もたれからゆるりと体を起こした。


「まさか、時空酔いするとか、意外だよねえ、ヒルさんってさ。さっきはどうなるかとおもったよ」

 ミカがなんとか話に乗ってくれて、ヘレナは心の中でこぶしを高く上げた。




 ほんの少し前のこと。

 ヘレナ、ヒル、ミカ、そしてパール、ネロ。

 彼らがシエルの冷え冷えとした不機嫌オーラに固まってる最中に、クラークが本邸よりリチャードの衣装を抱えてひょっこりと書斎に顔を出した。


「どうしたんだ? なんか寒い……」

 全員の視線が刺さった瞬間、クラークは己の間の悪さを呪ったがもう遅い。


「あ、ヒル。お前、どうやって……」

 とりあえず、何故か獣とヘレナを抱え込んで床に座っているヒルに問いかけると、「う……」といううめき声が聞こえた。


「ヒル卿、手が冷たいです。どうしたのですか」

 ヘレナの慌てた声に、すぐさまクラークは駆け寄る。

 ヒルはパールとヘレナを解放して少し後ろへいざり、片手を口に当ててようよう答えた。


「すまない……。実は、転移魔法が……苦手、なんだ」


 一度も聞いたことのない、か細い声。

 浅黒い肌が紙のように真っ白になっていた。




「まあ、二日酔いも朝飯食えば治るって言うしさ。ほら、とりあえずスープから飲んでみなよ」

 たん、とマグカップをヒルの前に置くと、そろりとそれに手を伸ばし、ゆっくりと口元へ運ぶ。


「…………ああ。生き返るな」

 一口飲んで息をついた。


「ほら、シエルさんもむくれてないで。せっかくヘレナが口当たり甘めのポタージュも良いかもしれないって、今朝作ったんだからさ」

 シエルが顔を上げると、ヘレナは彼を見つめてこくんと頷いた。


「お口に合えばよいのですけど」

 困り顔で言葉を続けるヘレナの長い三つ編みがふるりと揺れるのを目で追って、シエルはくっと何か飲み込んだ。


「……いただきます」

 湯気が立ちのぼるマグカップを優雅に持ち上げ、一口飲む。

 そして、ため息をついてシエルは謝罪した。


「すみません。色々、気持ちの整理がつかなくて。お忙しいなか、こんなに素敵な料理を振舞ってくださっているのに私ときたら……」


「いえいえ、そんな……」

 ヘレナが両手を振りながら首も左右に振る。


 そもそも、シエルがなぜ機嫌斜めなのかが、わからない。

 お腹が空いているのかな? と思い、素早くテーブルセットをしたつもりだったのだが。


「そうさね。ヒルさんがちょっとヘレナにチューしたからって、腹を立てる権利はシエルさんにないからね。そもそもシエルさんだってこの間、アタシが目を離している隙にヘレナの髪の毛手に取ってチューしてたし、クラークさんだってアタシが背中向けている隙に寝ているヘレナのつむじにチューしたよね?」


 ミカは男三人に向かって爆弾を投下する。


「ぐほっ……」

 弾をくらったクラークは、不運なことにスープを飲んでいる最中だった。

 吹き出すのはなんとか耐えたが、気の毒なことに気管に入ったらしく、口に手を当ててせき込んでいる。


「み、みて……」

 ぜいぜいと肩で息をするクラークに、ミカは両手を腰に当て唇を片方だけにいと釣り上げ、黒い笑みを浮かべた。


「アタシを舐めるなんて百年早いよ。それくらいならまあいいかと見逃してあげただけさ」


「……すまない。なんとなく、ついやってしまった」

 正面に座るクラークから頭を下げられて、ヘレナはきょとんと眼を丸くする。


「いや、あの。みなさん下心があってのことじゃなく、身内の情めいたものだとちゃんと私は理解しているので、大丈夫ですよ。娘とか、姪とか、そんな感じですよね? せっかく可愛がってくださるのに、私が怒るなんてそんな……」


「すまん、本当に俺が悪かった!」

 なぜか、土下座する勢いのクラーク。


「むすめ……」

「姪か……」

 そしてシエルとヒルは、それぞれぼんやりと宙を見つめて呟く。


「まあ、そうだよねえ。見た目十歳そこそこだけど小侯爵の書類上の妻とかいう女の子に下心のあるチューとかって、色々、いろっいろ、マズいよねえ」

 どかっとヘレナの隣の席に座ったミカは、ぱんっと両手を叩いた。


「はい、注目」


 人間たちばかりか、パールとネロも目を真ん丸にしてミカを見つめる。


「カタリナ・ストラザーン伯爵夫人よりここの管理をアタシに任されている以上、この館にいる時はアタシの決めた規則に従ってもらうよ」


 全員、固唾をのんでミカの言葉を拝聴した。


「寝食を共にするんだ。そりゃ仲良くもなるさ。だけどね。親しき中にも礼儀あり、それと倫理と道徳に心がけて清く正しく生活するようこころがけるように。さもないと……」


「さもないと?」

 小首をかしげてヘレナは尋ねる。

「……そうさね」

 少し考え込んだ後思いついたのか、ミカはにっと歯を見せた。


「内容にもよるけど、まず独りで家畜小屋の掃除、薪割り、床拭き、そして飯抜きかな?」


「ご飯抜きは嫌ですねえ」

「だろ?」

 女たちののんびりとした会話を聞くにつけ、男たちは目の前の料理を眺め、嘆息する。

 ミカとヘレナ、そしてマーサの料理を多く味わってしまった今となっては。

「たしかに、何よりもの罰だな……」

 クラークの呟きに、両脇のシエルとヒルは心の中で大きくうなずいた。

 そんな彼らをサンドイッチをつまみながらミカは眺める。


「……テリーに寮母手当ねだろうかな」

「ミカ?」

 護衛兼侍女の呟きに隣でスープを飲むヘレナが聞き返すが、なんでもないと手を振った。


「そういや、ヘレナ。ファーストキスって、誰だったんだい?」


 マーサはにやにやしながら自らの唇をとんとんと指先で叩いて見せると、ヘレナは明るい声で即答する。


「ああ、多分、おじいさまですね!!」


 ぶほっと三人とも吹き出した。


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