糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼春野

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投影

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「昨夜の事件について、あらかた聞いた。ヒルが追放処分になったことも」

「な……」

 リチャードはホランドへ鋭い視線を送った。

 この場で漏らすとしたら彼しかいない。

「申し訳ありません。急を要することができたので」

 ホランドは深々と頭を下げた。

 主君を飛び越えたホランドを責めようと身体を浮かしかけたのを、モルダーに押しとどめられる。


「落ち着け。とにかくまず、これを見てもらおうか」


 杏の実程度の大きさの水晶の珠を上着のポケットから出して、手のひらに載せる。

 ヴヴヴ……と音がした後珠から光が出て、大人の頭程度の大きさの投影画像が浮かび上がる。


「アビゲイルが保安ともめごと解決のために廊下のあちこちに魔道具を仕込んでいてね。俺はそれを知っていたから装置を借りてきた」

 これだけ広い元宮殿では、どれだけ衛兵を配置しても行き届かないことがある。

 事後にしか役に立たないが、とりあえずなんらかの事件が起きた場合のためにあちこちに撮影装置が設置されていた。



「これは、昨夜九時ごろの本館から別館へつながる廊下のものだ」

 映し出されたのは、月明かりの差し込む廊下。

 宴のドレス姿のコンスタンスをヒルがエスコートし、その後ろをひっつめ髪の痩せた侍女が続く。

 急に立ち止まって動かない彼女のためにヒルは椅子を運んできて侍女と二人がかりで座らせ、靴を脱ぐのを侍女が跪いて手伝い、さらに何か言葉を交わした後ヒルは上着を脱いでまた、侍女と二人で彼女に着せた。

 そしてヒルが足元に膝をつくと両腕を伸ばしてコンスタンス自ら倒れこむ。

 横抱きにしてヒルが立ち上がり侍女を先に歩かせると、いくらも進まないうちに、コンスタンスは彼の首に回した両腕を強く絡めて身体を押し付けた。

 そして、彼の耳に口を近づけ、不自然な動作で頭を動かす。

 それを、何度も何度も繰り返した。

 照明があまりなく、暗いせいではっきりとはわからないが―――。


「ヒルの耳になんか悪戯しかけているよな、この人」

 モルダーの平坦な声が部屋の中に落ちた。


「何をされたとしても主君の女性には逆らえない。立場的に。それは理解しているな?」


 いったん珠を握りこんで投影を終了させ、また手のひらを開く。


「今度は、この寝室の続きの間の居室の前の画像になる。長いから少し速度を上げて見せるぞ」


 ヴ……と音を立ててまた画像が浮かび上がる。


 侍女の先導で入室するヒルとコンスタンス。

 程なくしてヒルが足早に退室する。

 そして、侍女がカンテラを片手におそるおそる出て、使用人用の階段がある方角へ向かった。

 しばらくするとヒルが帯剣した姿で戻り、扉の中に話しかけた後背を向けるが、すぐに内側から扉が開く。

 ヒルの上着を着用したままのコンスタンスが話しかけ、ドレスをまくって足を見せる。

 短いやり取りの後、倒れかかった彼女をまたヒルが抱き上げた。

 ただし、入る時に彼は靴を片方脱いで扉に挟むことを忘れない。


「なんとしても密室にしたくなかったんだよ、あいつは。そして問題はこの後だよ、リチャード」


 突然、扉を突き破るようにして居室に駆け込む男がいた。


 見間違えようがない。

 ノーザンだった。


 その直後、開ききった扉から白い光のようなものが漏れ出てくる。

 不自然な、力強い光線。


「これは、ヒルの言っていた閃光弾ではないでしょうか」

 それまでただそばで控えているだけだったホランドがぽつりと言う。



 そしてヒルはシャツ姿に帯剣という軽装のまま、侍女が向かった方角へ駆けだした。

 しばらくしてノーザンが開け放したままだった扉を閉めてヒルの後を追い、またすぐに戻ってくる。



「ここからはもっと速度を上げるぞ。二時間くらい変わらないから」

 あらかじめ画像の確認をしていたらしいモルダーは軽く珠を撫でた。



 閉じられたままの扉。

 次に開いたのは、リチャードたちが戻って来た時だった。

 取り乱した様子で扉を開くノーザンの顔が浮かび上がったのを最後に、ホランドは手のひらを閉じ、投影を終了させた。



「ようするに」

 しんと静かになった部屋の中で、モルダーは口を開いた。


「ヒルの話が正しくて、ノーザンが嘘をついていた」


「…………」


 リチャードは額に手を当てて深いため息をついた。


 モルダーは『ノーザンが』と言ったが……。


「貴方がここにいるということは、ヒルは今どこに」


「それは……」


 モルダーが答えようとしたとき、彼が来た方と反対側の扉の向こうが騒がしくなった。

 使用人たちが押しとどめようとする声と、女性の甲高い怒鳴り声。



「ああ、おでましか」


 ばん、と扉が開くと、女性が長い黒髪を振り乱しながら現れた。


 室内に、薔薇の香りが一気に広がる。

 薄い生地を重ねたシュミーズドレスの上にはガウンを形ばかり羽織っているが、肩のあたりが大きく開き、豊かな胸が今にもこぼれそうだ。


「リック!!」

 サファイアの瞳を潤ませリチャードの側まで駆け寄ってきたコンスタンスに、モルダーは椅子から立ち上がり、一礼した。


「これは、コンスタンス嬢。私は近衛騎士のナイジェル・モルダー男爵と申します。直接ごあいさつ申し上げるのは初めてですね。リチャード・ゴドリー伯爵とは戦地で一緒に戦ったことがあります」


 朗々と歌うように挨拶を述べた後少し首を傾けると、絹糸のような髪がさらりと動く。

 まるで一枚の絵のようにナイジェル・モルダーは美しかった。


「こんな時間にお邪魔して失礼しました。火急の用事ゆえ、どうかお許しください。」

 優雅な微笑みに、コンスタンスはリチャードへ伸ばしかけた手を止め、思わず見とれる。


「ハ…………」

 薔薇色に艶めく唇は半開きのままだ。


「……ああ。似ているでしょう、俺」

 にこりとモルダーは人懐こい笑みを浮かべた。


「ライアン・ホランドとは遠縁なので」


「え……?」

 リチャード、コンスタンス、ホランド。

 三人とも、それぞれ驚きの表情を浮かべる中、モルダーはふう、と大きく息をついた。



「しかし誠に申し訳ないのですが、コンスタンス嬢。今しばらくリチャードと俺たちだけにしてもらえますか」

 背筋を伸ばし、きっぱりとコンスタンスに告げる。


「これは王命です」


 がらりと声色が冷たいものに変わり、人当たりが柔らかな美貌の男爵から護衛の要である近衛騎士ナイジェル・モルダーとなった。


「機密保持が決まり故、今すぐ退室願います」


 蒼色の瞳で冴え冴えと、あられもない姿のコンスタンスをじっと見つめる。


「…………」


 気圧されたようにコンスタンスは後ずさり、ガウンの前を引き寄せ胸元を隠した。


「これは……。失礼しました」

 ゆるゆると腰をかがめ、モルダーへ礼をする。


「奥様……」

 侍女長たちに支えられ、コンスタンスは退室した。


 扉が閉まる瞬間、彼女は振り返る。

 今一度、モルダーの姿を目に焼き付けるために。




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